ゼカリヤ書 1:1 ダレイオスの第二年八月に、イドの孫でベレクヤの子である預言者ゼカリヤに主の言葉が臨んだ。
1:2 「主はあなたたちの先祖に向かって激しく怒られた。
1:3 あなたは彼らに言いなさい。万軍の主はこう言われる。わたしに立ち帰れ、と万軍の主は言われる。そうすれば、わたしもあなたたちのもとに 立ち帰る、と万軍の主は言われる。
1:4 あなたたちは先祖のようであってはならない。先の預言者たちは彼らに、『万軍の主はこう言われる。悪の道と悪い行いを離れて、立ち帰れ』と呼びかけた。しかし、彼らはわたしに聞き従わず、耳を傾けなかった、と主は言われる。
1:5 その先祖たちは、今どこにいるか。預言者たちは永遠に生きているだろうか。
1:6 だが、わたしが僕である預言者たちに 命じた言葉と掟は 先祖たちに届かなかったろうか。彼らは立ち帰って言った。『万軍の主は、わたしたちの歩んだ道と行った業に従って、わたしたちを扱おうと思い定められ、そのようにされた。』」
詩篇 145:8 主は恵みに富み、憐れみ深く 忍耐強く、慈しみに満ちておられます。
145:9 主はすべてのものに恵みを与え 造られたすべてのものを憐れんでくださいます。
145:10 主よ、造られたものがすべて、あなたに感謝し あなたの慈しみに生きる人があなたをたたえ
145:11 あなたの主権の栄光を告げ 力強い御業について語りますように。
145:12 その力強い御業と栄光を 主権の輝きを、人の子らに示しますように。
145:13 あなたの主権はとこしえの主権 あなたの統治は代々に。
145:14 主は倒れようとする人をひとりひとり支え うずくまっている人を起こしてくださいます。
ローマ 7:1 それとも、兄弟たち、わたしは律法を知っている人々に話しているのですが、律法とは、人を生きている間だけ支配するものであることを知らないのですか。
7:2 結婚した女は、夫の生存中は律法によって夫に結ばれているが、夫が死ねば、自分を夫に結び付けていた律法から解放されるのです。
7:3 従って、夫の生存中、他の男と一緒になれば、姦通の女と言われますが、夫が死ねば、この律法から自由なので、他の男と一緒になっても姦通の女とはなりません。
7:4 ところで、兄弟たち、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています。それは、あなたがたが、他の方、つまり、死者の中から復活させられた方のものとなり、こうして、わたしたちが神に対して実を結ぶようになるためなのです。
7:5 わたしたちが肉に従って生きている間は、罪へ誘う欲情が律法によって五体の中に働き、死に至る実を結んでいました。
7:6 しかし今は、わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されています。その結果、文字に従う古い生き方ではなく、"霊"に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。
人はみな罪人なので、律法の前には死ぬほかない。
しかし、それゆえ、律法の力は、生きている人にのみ働いており、死んでしまえば、それ以上、律法に支配されることはない。
ただ、死んでいるか、生きているかは全く別の問題であろう。
日本における仏教的な考えでは、人が死ねば自動的に仏(悟った者)となる、成仏したと考えられている。
それほどに人の死は、多くの苦難を伴うものだから、それを乗り越えたなら仏となると考えるのも無理はないかもしれない。
しかし、それはくまで死ぬ瞬間のことだけに限ったことで、生前の生き方については、何ら問われないこととなってしまう。
それで平安があるのなら良いが、できればはっきりと赦しの宣言を受け、永遠に生きる命の約束をしっかりと受け取っている方がどれだけ安心して生きられることだろう。
イエス様を信じるとは、そういうこと。
全ての罪の赦しの宣言を頂き、永遠に滅びることのない命を頂く約束をいただくのである。
しかも、その約束は、恵みとして、信じるだけで与えられるという。
ただただ神の真実な愛と憐れみのゆえに。
感謝なことである。