ホセア書 8:11 エフライムは罪を償う祭壇を増やした。しかし、それは罪を犯す祭壇となった。
8:12 わたしは多くの戒めを書き与えた。しかし、彼らはそれを無縁のものと見なした。
8:13 わたしへの贈り物としていけにえをささげるが その肉を食べるのは彼らだ。主は彼らを喜ばれない。今や、主は彼らの不義に心を留め その罪を裁かれる。彼らはエジプトに帰らねばならない。
8:14 イスラエルはその造り主を忘れた。彼らは宮殿を建て連ねた。ユダも要塞の町を増し加えたが わたしはその町々に火を送り 火は城郭を焼き尽くす。
10:1 イスラエルは伸びほうだいのぶどうの木。実もそれに等しい。実を結ぶにつれて、祭壇を増し 国が豊かになるにつれて、聖なる柱を飾り立てた。
10:2 彼らの偽る心は、今や罰せられる。主は彼らの祭壇を打ち砕き 聖なる柱を倒される。
詩篇 40:1 指揮者によって。ダビデの詩。賛歌。
40:2 主にのみ、わたしは望みをおいていた。主は耳を傾けて、叫びを聞いてくださった。
40:3 滅びの穴、泥沼からわたしを引き上げ わたしの足を岩の上に立たせ しっかりと歩ませ
40:4 わたしの口に新しい歌を わたしたちの神への賛美を授けてくださった。人はこぞって主を仰ぎ見 主を畏れ敬い、主に依り頼む。
40:5 いかに幸いなことか、主に信頼をおく人 ラハブを信ずる者にくみせず 欺きの教えに従わない人は。
40:6 わたしの神、主よ あなたは多くの不思議な業を成し遂げられます。あなたに並ぶものはありません。わたしたちに対する数知れない御計らいを わたしは語り伝えて行きます。
40:7 あなたはいけにえも、穀物の供え物も望まず 焼き尽くす供え物も 罪の代償の供え物も求めず ただ、わたしの耳を開いてくださいました。
40:8 そこでわたしは申します。御覧ください、わたしは来ております。わたしのことは 巻物に記されております。
ヘブル 13:1 兄弟としていつも愛し合いなさい。
13:2 旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。
13:3 自分も一緒に捕らわれているつもりで、牢に捕らわれている人たちを思いやり、また、自分も体を持って生きているのですから、虐待されている人たちのことを思いやりなさい。
13:4 結婚はすべての人に尊ばれるべきであり、夫婦の関係は汚してはなりません。神は、みだらな者や姦淫する者を裁かれるのです。
13:5 金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。
13:6 だから、わたしたちは、はばからずに次のように言うことができます。「主はわたしの助け手。わたしは恐れない。人はわたしに何ができるだろう。」
13:7 あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。
13:8 イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。
13:9 いろいろ異なった教えに迷わされてはなりません。食べ物ではなく、恵みによって心が強められるのはよいことです。食物の規定に従って生活した者は、益を受けませんでした。
13:10 わたしたちには一つの祭壇があります。幕屋に仕えている人たちは、それから食べ物を取って食べる権利がありません。
13:11 なぜなら、罪を贖うための動物の血は、大祭司によって聖所に運び入れられますが、その体は宿営の外で焼かれるからです。
13:12 それで、イエスもまた、御自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難に遭われたのです。
13:13 だから、わたしたちは、イエスが受けられた辱めを担い、宿営の外に出て、そのみもとに赴こうではありませんか。
13:14 わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来るべき都を探し求めているのです。
13:15 だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。
13:16 善い行いと施しとを忘れないでください。このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです。
人がどう生きていくべきか、それらの指針を明確に持っていることは幸いなことである。
しかし、それが常に自分の思いや考えだけに頼っているなら、どうしても自己都合や欲望などに影響され、よこしまな生き方へと引きずられて行ってしまうだろう。
そうなると、それはもはや幸いな人生とはいえなくなってしまう。
聖書には、人が神によって創られたものであるということが語られている。
つまり、我々の人生も、本来、神のみ手のもとにあるということであろう。
私たちは神のものなのだ。
だから聖書では、神のことを主とも記している。
もちろん、単なる奴隷とかロボットのような存在ではないし、自由も与えられている。
しかし、その自由を、どう用いていくか、それによって私たちの人生は幸いなものとも、不幸なものともいかようにもなりうる。
ならば、どちらを選ぶべきか、答えは明確である。
本来創られた方の目的に従って生きていく方が幸いであろう。
主なる神は、御子イエス様の命の代価を支払って、罪に支配され、道に迷っていたような私たちを贖い、買い戻して下さった。
それほどに、主なる神は、私たちのことを尊く思っていて下さる。
そのようなお方のもとで歩む人生は、なんと幸いなことであろうか。
様々な困難なことはあるかもしれないが、本当の主なる神のもと、神と共に歩む人生には、常に幸いと平安が約束されている。
今日も一日、神の御心に沿うた歩みを続けていけますように。