創世記18章1~14節、詩篇134篇、1ペトロ1章23~25節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

創世記 18:1 主はマムレの樫の木の所でアブラハムに現れた。暑い真昼に、アブラハムは天幕の入り口に座っていた。
18:2 目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。アブラハムはすぐに天幕の入り口から走り出て迎え、地にひれ伏して、
18:3 言った。「お客様、よろしければ、どうか、僕のもとを通り過ぎないでください。
18:4 水を少々持って来させますから、足を洗って、木陰でどうぞひと休みなさってください。
18:5 何か召し上がるものを調えますので、疲れをいやしてから、お出かけください。せっかく、僕の所の近くをお通りになったのですから。」その人たちは言った。「では、お言葉どおりにしましょう。」
18:6 アブラハムは急いで天幕に戻り、サラのところに来て言った。「早く、上等の小麦粉を三セアほどこねて、パン菓子をこしらえなさい。」
18:7 アブラハムは牛の群れのところへ走って行き、柔らかくておいしそうな子牛を選び、召し使いに渡し、急いで料理させた。
18:8 アブラハムは、凝乳、乳、出来立ての子牛の料理などを運び、彼らの前に並べた。そして、彼らが木陰で食事をしている間、そばに立って給仕をした。
18:9 彼らはアブラハムに尋ねた。「あなたの妻のサラはどこにいますか。」「はい、天幕の中におります」とアブラハムが答えると、
18:10 彼らの一人が言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」サラは、すぐ後ろの天幕の入り口で聞いていた。
18:11 アブラハムもサラも多くの日を重ねて老人になっており、しかもサラは月のものがとうになくなっていた。
18:12 サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである。
18:13 主はアブラハムに言われた。「なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。
18:14 主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。」

詩篇 134:1  都に上る歌。 主の僕らよ、こぞって主をたたえよ。夜ごと、主の家にとどまる人々よ
134:2 聖所に向かって手を上げ、主をたたえよ。
134:3 天地を造られた主が シオンからあなたを祝福してくださるように。

1ペトロ 1:23 あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。
1:24 こう言われているからです。「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。
1:25 しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。



一人一人の人生には、それぞれにストーリー(物語)が存在する。
誰にも知られずに、世界の片隅に生きているように思えても、そこにも一人一人の人生がある。
そして、全ての命を創られるのは神ご自身であり、私たちもまた、神から与えられた命を生きている。
そして、主なる神は、こんなちっぽけな私にも、永遠に朽ちることのない命を与えて下さる。
イエス様が命がけでそれを成し遂げ、この約束が真実なものであることを示して下さった。
天地万物を創られた方がそう言われるのなら、安心して信じていれば良い。
少なくとも、ちっぽけで、偽りだらけで、無知で無力なこの私が考えることなどと比べものにならないほどに、神が与えると約束された命の約束は素晴らしいものに違いない。
せめて、素直に神の語られる約束の言葉を受け止め、信頼して生きて行こう。
そこに、新たな私にだけ用意された新たなストーリーが綴られていくのだから。