イザヤ25章6~9節、詩篇116篇1~4,12~19節、ルカ14章12~14節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ 25:6 万軍の主はこの山で祝宴を開き すべての民に良い肉と古い酒を供される。それは脂肪に富む良い肉とえり抜きの酒。
25:7 主はこの山で すべての民の顔を包んでいた布と すべての国を覆っていた布を滅ぼし
25:8 死を永久に滅ぼしてくださる。主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい 御自分の民の恥を 地上からぬぐい去ってくださる。これは主が語られたことである。
25:9 その日には、人は言う。見よ、この方こそわたしたちの神。わたしたちは待ち望んでいた。この方がわたしたちを救ってくださる。この方こそわたしたちが待ち望んでいた主。その救いを祝って喜び躍ろう。

詩篇 116:1 わたしは主を愛する。主は嘆き祈る声を聞き
116:2 わたしに耳を傾けてくださる。生涯、わたしは主を呼ぼう。
116:3 死の綱がわたしにからみつき 陰府の脅威にさらされ 苦しみと嘆きを前にして
116:4 主の御名をわたしは呼ぶ。「どうか主よ、わたしの魂をお救いください。」
116:12 主はわたしに報いてくださった。わたしはどのように答えようか。
116:13 救いの杯を上げて主の御名を呼び
116:14 満願の献げ物を主にささげよう 主の民すべての見守る前で。
116:15 主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い。
116:16 どうか主よ、わたしの縄目を解いてください。わたしはあなたの僕。わたしはあなたの僕、母もあなたに仕える者。
116:17 あなたに感謝のいけにえをささげよう 主の御名を呼び
116:18 主に満願の献げ物をささげよう 主の民すべての見守る前で
116:19 主の家の庭で、エルサレムのただ中で。ハレルヤ。

ルカ 14:12 また、イエスは招いてくれた人にも言われた。「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。
14:13 宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。
14:14 そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」


この世は、弱い人たちにとっては生き辛い世界かもしれない。
日々の暮らしを守るだけでも精一杯で、いつ、自分の命に終わりが来るかもしれないという不安の中に生きて行かなければならないかもしれない。
けれど、本当は、そういう死に対する不安というのは、弱い人も強い人も、貧しい人も豊かな人も、みな同じである。
聖書には、すべての人を覆っていた死に対する不安に対し、死が終わりではない事、永遠の命によみがえらせてくださることが約束されている。
この約束が真実であるならば、誰もが平安のうちに生きて行けるだろう。
この世は相変わらず弱い人たちにとって生き辛い世界であることには変わりはないのかもしれないが、永遠の命の約束を頂いているならば、それは幸いなものとなるだろう。
私自身の内には、何の良いものも、強い心もないかもしれないが、神様がイエス様の大きな犠牲を支払ってまで私たちにその命を与えようとして下さったのなら、安心してこの幸いな約束に信頼し、平安と喜びの中を生きていきたいものである。