イザヤ51章1~3節、詩篇21篇、2テモテ1章3~7節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ 51:1 わたしに聞け、正しさを求める人 主を尋ね求める人よ。あなたたちが切り出されてきた元の岩 掘り出された岩穴に目を注げ。
51:2 あなたたちの父アブラハム あなたたちを産んだ母サラに目を注げ。わたしはひとりであった彼を呼び 彼を祝福して子孫を増やした。
51:3 主はシオンを慰め そのすべての廃虚を慰め 荒れ野をエデンの園とし 荒れ地を主の園とされる。そこには喜びと楽しみ、感謝の歌声が響く。

詩篇 121:1  都に上る歌。 目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。
121:2 わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから。
121:3 どうか、主があなたを助けて 足がよろめかないようにし まどろむことなく見守ってくださるように。
121:4 見よ、イスラエルを見守る方は まどろむことなく、眠ることもない。
121:5 主はあなたを見守る方 あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。
121:6 昼、太陽はあなたを撃つことがなく 夜、月もあなたを撃つことがない。
121:7 主がすべての災いを遠ざけて あなたを見守り あなたの魂を見守ってくださるように。
121:8 あなたの出で立つのも帰るのも 主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。

2テモテ 1:3 わたしは、昼も夜も祈りの中で絶えずあなたを思い起こし、先祖に倣い清い良心をもって仕えている神に、感謝しています。
1:4 わたしは、あなたの涙を忘れることができず、ぜひあなたに会って、喜びで満たされたいと願っています。
1:5 そして、あなたが抱いている純真な信仰を思い起こしています。その信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っていると、わたしは確信しています。
1:6 そういうわけで、わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃えたたせるように勧めます。
1:7 神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。


時々、クリスチャンの家庭に育った信徒の方から、自分もクリスチャン家庭ではないところでイエス様に出会って見たかったといったことを聞くことがある。
一方、クリスチャン家庭ではない一般の家庭で育ち、後にクリスチャンになった人も、できればクリスチャン家庭で育ってみたかったといったことを聞くこともある。
どちらもないものねだりではあるが、クリスチャンの家庭に生まれた人は、たまたま親から伝道されたというだけで、友達や知り合いから伝道された人と、本質的には変わりはないだろう。
しかし、やはり普段の生活の中で育まれる信仰生活というのは、特別なものであることには変わりはない。
ただ、宗教二世の問題が取りざたされるようになり、信仰の自由が保証されている社会にあって、私たちもどこまで子ども達を導けばいいのか、対応の仕方を考えていかなければならないのかもしれない。
我々にできる事は、良いものを提供するだけ、であるが、もし、相手が嫌がるのなら、いくら良いものでも強制することはできないし、すべきではないのだろう。
無理に強制しなくても、子供は親の良いところを見て、自然と学んでいくもの。
そう信じて、自分たちの信仰に従って歩んで行けばいいのだろう。
仮に、子供らが信仰とは程遠い生活を送っているように見えても、親が真実な信仰に生きているのなら、きっと子はそれを見てわかっているし、信仰に入るかどうかは自由として、尊重し、敬意を払ってくれることと思う。
よきものならば、きっと伝わる、そう信じて、よき人生を歩み続けていきたいものである。