エレミヤ1章4~10節、詩篇89篇6~38節、使徒8章4~13節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ 1:4 主の言葉がわたしに臨んだ。
1:5 「わたしはあなたを母の胎内に造る前から あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に わたしはあなたを聖別し 諸国民の預言者として立てた。」
1:6 わたしは言った。「ああ、わが主なる神よ わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」
1:7 しかし、主はわたしに言われた。「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ 遣わそうとも、行って わたしが命じることをすべて語れ。
1:8 彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて 必ず救い出す」と主は言われた。
1:9 主は手を伸ばして、わたしの口に触れ 主はわたしに言われた。「見よ、わたしはあなたの口に わたしの言葉を授ける。
1:10 見よ、今日、あなたに 諸国民、諸王国に対する権威をゆだねる。抜き、壊し、滅ぼし、破壊し あるいは建て、植えるために。」

詩篇 89:6 主よ、天があなたの驚くべき力を告白し 聖なるものがその集会で あなたのまことを告白しますように。
89:7 雲の上で、誰が主に並びえましょう 神々の子らの中で誰が主に比べられましょう。
89:8 聖なるものの集いにおいて あなたは恐れられる神。御もとにあるものすべてに超えて 大いに畏れ敬われる方です。
89:9 万軍の神、主よ 誰があなたのような威力を持つでしょう。主よ、あなたの真実は あなたを取り囲んでいます。
89:10 あなたは誇り高い海を支配し 波が高く起これば、それを静められます。
89:11 あなたはラハブを砕き、刺し殺し 御腕の力を振るって敵を散らされました。
89:12 天はあなたのもの、地もあなたのもの。御自ら世界とそこに満ちるものの基を置き
89:13 北と南を創造されました。タボル山、ヘルモン山は 御名を喜び歌います。
89:14 あなたは力強い業を成し遂げる腕を具え 御手の力を振るい 右の御手を高く上げられます。
89:15 正しい裁きは御座の基 慈しみとまことは御前に進みます。
89:16 いかに幸いなことでしょう 勝利の叫びを知る民は。主よ、御顔の光の中を彼らは歩きます。
89:17 絶えず、御名によって喜び躍り 恵みの御業にあずかって奮い立ちます。
89:18 あなたは彼らの力の輝きです。御旨によって、我らの角を高く上げてください。
89:19 主は我らの盾 イスラエルの聖なる方は我らの王。
89:20 あなたの慈しみに生きる人々に かつて、あなたは幻によってお告げになりました。「わたしは一人の勇士に助けを約束する。わたしは彼を民の中から選んで高く上げた。
89:21 わたしはわたしの僕ダビデを見いだし 彼に聖なる油を注いだ。
89:22 わたしの手は彼を固く支え わたしの腕は彼に勇気を与えるであろう。
89:23 敵は彼を欺きえず 不正な者が彼を低くすることはない。
89:24 わたしは彼の前で彼を苦しめる者を滅ぼし 彼を憎む者を倒す。
89:25 わたしの真実と慈しみは彼と共にあり わたしの名によって彼の角は高く上がる。
89:26 わたしは彼の手を海にまで届かせ 彼の右の手を大河にまで届かせる。
89:27 彼はわたしに呼びかけるであろう あなたはわたしの父 わたしの神、救いの岩、と。
89:28 わたしは彼を長子とし 地の諸王の中で最も高い位に就ける。
89:29 とこしえの慈しみを彼に約束し わたしの契約を彼に対して確かに守る。
89:30 わたしは彼の子孫を永遠に支え 彼の王座を天の続く限り支える。
89:31 しかし、彼の子らがわたしの教えを捨て わたしの裁きによって歩まず
89:32 わたしの掟を破り わたしの戒めを守らないならば
89:33 彼らの背きに対しては杖を 悪に対しては疫病を罰として下す。
89:34 それでもなお、わたしは慈しみを彼から取り去らず わたしの真実をむなしくすることはない。
89:35 契約を破ることをせず わたしの唇から出た言葉を変えることはない。
89:36 聖なるわたし自身にかけて わたしはひとつのことを誓った ダビデを裏切ることは決してない、と。
89:37 彼の子孫はとこしえに続き 彼の王座はわたしの前に太陽のように
89:38 雲の彼方の確かな証しである月のように とこしえに立つであろう。」

使徒 8:4 さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。
8:5 フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。
8:6 群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。
8:7 実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。
8:8 町の人々は大変喜んだ。
8:9 ところで、この町に以前からシモンという人がいて、魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、偉大な人物と自称していた。
8:10 それで、小さな者から大きな者に至るまで皆、「この人こそ偉大なものといわれる神の力だ」と言って注目していた。
8:11 人々が彼に注目したのは、長い間その魔術に心を奪われていたからである。
8:12 しかし、フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も女も洗礼を受けた。
8:13 シモン自身も信じて洗礼を受け、いつもフィリポにつき従い、すばらしいしるしと奇跡が行われるのを見て驚いていた。



若い頃は、それほど経験も多くはなく、決して知識も多かったわけではないにも関わらず、不思議と恐れはなかった。
何でもできるような気がしていたし、実際、いろんなことにチャレンジできたように思う。
しかし、歳を重ねて、気力も体力も落ちてくると、今度は恐れと不安ばかりに囚われるようになってきた。
経験も積んだはずだし、知識も増したはずである。
しかしそれらの経験と知識が、かえって恐れや不安を増大させているのだ。
結局、人は自分がやって来たことに注目し、そこに頼り、そこに立とうとしているからなのだろう。
目を留めるべきは、自分がやってきたこと、ではなく、神がなさった御業。
それは分かっているのに、それがなかなか難しい。
経験や知識を重ねて行くことは尊いことであるし、必要なことであろう。
しかし、それに頼り過ぎるならば、神の御業がだんだん見えなくなっていく。
やることは若い頃と同じのはず。
ただ、神の御言葉を語ること、それに徹していれば良い。
神の御業が現わされるかどうかは、後で見させて頂ければ良いもの。
信仰の働きとはそういうものである。
若い頃に恐れも不安もないまま突っ走った、あの頃の答えがこれから見えてくるのかもしれないし、今、恐れと不安の中、それで「語り続けよ」と仰せられる神の御声に従って御言葉を語り続けていく働きの、その実がどう現れていくのか、焦らず、信じて続けていきたい。
恐れと不安に押しつぶされたとしても、そこでしかできないこともあるのだろうから。

エレミヤ 1:9 主は手を伸ばして、わたしの口に触れ 主はわたしに言われた。「見よ、わたしはあなたの口に わたしの言葉を授ける。
1:10 見よ、今日、あなたに 諸国民、諸王国に対する権威をゆだねる。抜き、壊し、滅ぼし、破壊し あるいは建て、植えるために。」