サムエル下7章1~17節、詩篇80篇2~8,18~20節、ガラテヤ3章23~29節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

サムエル下 7:1 王は王宮に住むようになり、主は周囲の敵をすべて退けて彼に安らぎをお与えになった。
7:2 王は預言者ナタンに言った。「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ。」
7:3 ナタンは王に言った。「心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。主はあなたと共におられます。」
7:4 しかし、その夜、ナタンに臨んだ主の言葉は次のとおりであった。
7:5 「わたしの僕ダビデのもとに行って告げよ。主はこう言われる。あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。
7:6 わたしはイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕、すなわち幕屋を住みかとして歩んできた。
7:7 わたしはイスラエルの子らと常に共に歩んできたが、その間、わたしの民イスラエルを牧するようにと命じたイスラエルの部族の一つにでも、なぜわたしのためにレバノン杉の家を建てないのか、と言ったことがあろうか。
7:8 わたしの僕ダビデに告げよ。万軍の主はこう言われる。わたしは牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした。
7:9 あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう。
7:10 わたしの民イスラエルには一つの所を定め、彼らをそこに植え付ける。民はそこに住み着いて、もはや、おののくことはなく、昔のように不正を行う者に圧迫されることもない。
7:11 わたしの民イスラエルの上に士師を立てたころからの敵をわたしがすべて退けて、あなたに安らぎを与える。主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。
7:12 あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。
7:13 この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。
7:14 わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が過ちを犯すときは、人間の杖、人の子らの鞭をもって彼を懲らしめよう。
7:15 わたしは慈しみを彼から取り去りはしない。あなたの前から退けたサウルから慈しみを取り去ったが、そのようなことはしない。
7:16 あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」
7:17 ナタンはこれらの言葉をすべてそのまま、この幻のとおりにダビデに告げた。

詩篇 80:2 イスラエルを養う方 ヨセフを羊の群れのように導かれる方よ 御耳を傾けてください。ケルビムの上に座し、顕現してください
80:3 エフライム、ベニヤミン、マナセの前に。目覚めて御力を振るい わたしたちを救うために来てください。
80:4 神よ、わたしたちを連れ帰り 御顔の光を輝かせ わたしたちをお救いください。
80:5 万軍の神、主よ、あなたの民は祈っています。いつまで怒りの煙をはき続けられるのですか。
80:6 あなたは涙のパンをわたしたちに食べさせ なお、三倍の涙を飲ませられます。
80:7 わたしたちは近隣の民のいさかいの的とされ 敵はそれを嘲笑います。
80:8 万軍の神よ、わたしたちを連れ帰り 御顔の光を輝かせ わたしたちをお救いください。
80:18 御手があなたの右に立つ人の上にあり 御自分のために強められた 人の子の上にありますように。
80:19 わたしたちはあなたを離れません。命を得させ、御名を呼ばせてください。
80:20 万軍の神、主よ、わたしたちを連れ帰り 御顔の光を輝かせ わたしたちをお救いください。

ガラテヤ 3:23 信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視され、この信仰が啓示されるようになるまで閉じ込められていました。
3:24 こうして律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係となったのです。わたしたちが信仰によって義とされるためです。
3:25 しかし、信仰が現れたので、もはや、わたしたちはこのような養育係の下にはいません。
3:26 あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。
3:27 洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。
3:28 そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。
3:29 あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。



ダビデが神様に対し、神の御住まいとしての神殿建設を申し出た時、預言者ナタンを通して語られた神の言葉は、神ご自身がダビデの子孫の中から王を立て、その者によって永遠の王国を建て上げるというものであった。
それは、神の一方的な選びであって、ダビデが神殿を建設しようとしたから、ということではない。
むしろ、そのようなことはどうでも良いことのようにも見うけられる。
ただただ神ご自身が一方的にイスラエルの民に安住を約束し、ダビデのいかなる功績によるものでもなく、神ご自身の御業であるということが語られていると言えよう。
神様のなさる救いの御業の前では、もはや、どれだけの義の業や、善なる行いを積み上げてきたかということは関係はなく、むしろ、そういったしがらみの中から解放してくれるのが真の救いである。
かつて律法の支配下に閉じ込められていたような私たちを、完全なる解放と平安へと導く、それが神様のなさった御救いである。
その救いにあずかる唯一の方法が、十字架と復活のキリストを救い主として信じることである。
このクリスマスの良き時に、そのことを覚えつつ、私たちの救いを成し遂げて下さったイエス様を心から喜んでお迎えし、お祝いしたい。