イザヤ40章1~11節、詩篇72篇1~7,18~19節、ヨハネ1章19~28節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ 40:1 慰めよ、わたしの民を慰めよと あなたたちの神は言われる。
40:2 エルサレムの心に語りかけ 彼女に呼びかけよ 苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを 主の御手から受けた、と。
40:3 呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。
40:4 谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。
40:5 主の栄光がこうして現れるのを 肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。
40:6 呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。
40:7 草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。
40:8 草は枯れ、花はしぼむが わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。
40:9 高い山に登れ 良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ 良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな ユダの町々に告げよ。見よ、あなたたちの神
40:10 見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ 御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い 主の働きの実りは御前を進む。
40:11 主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め 小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。

詩篇 72:1  ソロモンの詩。 神よ、あなたによる裁きを、王に あなたによる恵みの御業を、王の子に お授けください。
72:2 王が正しくあなたの民の訴えを取り上げ あなたの貧しい人々を裁きますように。
72:3 山々が民に平和をもたらし 丘が恵みをもたらしますように。
72:4 王が民を、この貧しい人々を治め 乏しい人の子らを救い 虐げる者を砕きますように。
72:5 王が太陽と共に永らえ 月のある限り、代々に永らえますように。
72:6 王が牧場に降る雨となり 地を潤す豊かな雨となりますように。
72:7 生涯、神に従う者として栄え 月の失われるときまでも 豊かな平和に恵まれますように。
72:18 主なる神をたたえよ イスラエルの神 ただひとり驚くべき御業を行う方を。
72:19 栄光に輝く御名をとこしえにたたえよ 栄光は全地を満たす。アーメン、アーメン。

ヨハネ 1:19 さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、
1:20 彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。
1:21 彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。
1:22 そこで、彼らは言った。「それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。」
1:23 ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」
1:24 遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。
1:25 彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」と言うと、
1:26 ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。
1:27 その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」
1:28 これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事であった。


バプテスマのヨハネが「あなたはどなたなのか」と尋ねられた時、メシアでもエリヤでもないと言っている。
ヨハネはヨハネである。エリヤが生まれ変わったのでもなければ、ましてや、イエス様ではない。
しかし、ヨハネは預言者として遣わされているのだから、預言者であるということには違いない。
ただ、ヨハネは、神から遣わされた預言者として、その務めを全うするため、自分のことよりも、自分を通して語られる神の言葉に耳を傾けるようにと願い、自分自身については「『主の道を真っすぐにせよ』と荒野で叫ぶ声」に過ぎず、その語られる言葉に注目するよう語っている。
このようなヨハネの姿勢は、なかなかできるものではないし、まさに真の預言者と言えるだろう。
自分など、何の素晴らしいところも力も能力もない。
むしろ、神に逆らい、神に背を向けて、神に敵対しているような者でしかない。
にもかかわらず、主なる神様は、こんな私にもイエス様の命掛けの贖いによる救いの約束を与えて下さった、
この素晴らしい救いの恵みを、素直に信じて受け入れようではないか。
それが唯一私たちにできる「主の道を備える」ことであろう。
自分という存在は何も変わらないし、変えられないかもしれないが、神の御声に耳を傾け、この救いの約束を受け取り、神に信頼する者とならせて頂こう。
靴紐をとく値打ちすらないものを、神は愛して救って下さるのだから。