イザヤ54章1~10節、詩篇124篇、マタイ24章23~35節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ 54:1 喜び歌え、不妊の女、子を産まなかった女よ。歓声をあげ、喜び歌え 産みの苦しみをしたことのない女よ。夫に捨てられた女の子供らは 夫ある女の子供らよりも数多くなると 主は言われる。
54:2 あなたの天幕に場所を広く取り あなたの住まいの幕を広げ 惜しまず綱を伸ばし、杭を堅く打て。
54:3 あなたは右に左に増え広がり あなたの子孫は諸国の民の土地を継ぎ 荒れ果てた町々には再び人が住む。
54:4 恐れるな、もはや恥を受けることはないから。うろたえるな、もはや辱められることはないから。若いときの恥を忘れよ。やもめのときの屈辱を再び思い出すな。
54:5 あなたの造り主があなたの夫となられる。その御名は万軍の主。あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神 全地の神と呼ばれる方。
54:6 捨てられて、苦悩する妻を呼ぶように 主はあなたを呼ばれる。若いときの妻を見放せようかと あなたの神は言われる。
54:7 わずかの間、わたしはあなたを捨てたが 深い憐れみをもってわたしはあなたを引き寄せる。
54:8 ひととき、激しく怒って顔をあなたから隠したが とこしえの慈しみをもってあなたを憐れむと あなたを贖う主は言われる。
54:9 これは、わたしにとってノアの洪水に等しい。再び地上にノアの洪水を起こすことはないと あのとき誓い 今またわたしは誓う 再びあなたを怒り、責めることはない、と。
54:10 山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと あなたを憐れむ主は言われる。

詩篇 124:1  都に上る歌。ダビデの詩。 イスラエルよ、言え。「主がわたしたちの味方でなかったなら
124:2 主がわたしたちの味方でなかったなら わたしたちに逆らう者が立ったとき
124:3 そのとき、わたしたちは生きながら 敵意の炎に呑み込まれていたであろう。
124:4 そのとき、大水がわたしたちを押し流し 激流がわたしたちを越えて行ったであろう。
124:5 そのとき、わたしたちを越えて行ったであろう 驕り高ぶる大水が。」
124:6 主をたたえよ。主はわたしたちを敵の餌食になさらなかった。
124:7 仕掛けられた網から逃れる鳥のように わたしたちの魂は逃れ出た。網は破られ、わたしたちは逃れ出た。
124:8 わたしたちの助けは 天地を造られた主の御名にある。

マタイ 24:23 そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。
24:24 偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである。
24:25 あなたがたには前もって言っておく。
24:26 だから、人が『見よ、メシアは荒れ野にいる』と言っても、行ってはならない。また、『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはならない。
24:27 稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来るからである。
24:28 死体のある所には、はげ鷹が集まるものだ。」
24:29 「その苦難の日々の後、たちまち太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。
24:30 そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。
24:31 人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
24:32 「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。
24:33 それと同じように、あなたがたは、これらすべてのことを見たなら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。
24:34 はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。
24:35 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」


終わりの時が近づくと、様々な困難なことが起こると預言されている。
しかし、主の到来により、それは回復の時となる。
主なる神様が現れるととき、苦しめられたものは癒され、悲しんでいた者は喜びにあふれる。
世を見ても、また自分自身を見ても、あまりにも絶望的すぎて、果たして本当にそのような時が来るのだろうかとさえ思ってしまうが、主なる神様のみ手による回復の時はやって来る。
なぜなら、主なる神様は憐れみ深いお方だからである。
イザヤ書の箇所に「山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと あなたを憐れむ主は言われる。」と語られている。
普通、山が移ったり、丘が揺らいだりするといったことは、ごくたまに大きな地震とかで起こりうることもあるが、普段はほとんど起こらない。
しかし、主なる神様の慈しみの心は、決して私たちから取り去られることは無いと約束されている。
神様の憐れみの御業は、いつ起きるかさえ分からないような極めて可能性の低い稀な出来事ではなく、必ず起こる、いつでも起きうる、常に私たちを取り巻いている祝福の約束として語られているのだ。
たとえこの天地が滅びようとも、この神様の約束の言葉は永遠に変わらない。
イエス様がご自分の命をかけてまで現わされた真実の約束だから、私たちはただその約束を信じるだけである。
私たちの救いは、もうすでに起きてしまった現実として受け止めていよう。