ダニエル 9:15 わたしたちの神である主よ、強い御手をもって民をエジプトから導き出し、今日に至る名声を得られた神よ、わたしたちは罪を犯し、逆らいました。
9:16 主よ、常に変わらぬ恵みの御業をもってあなたの都、聖なる山エルサレムからあなたの怒りと憤りを翻してください。わたしたちの罪と父祖の悪行のために、エルサレムもあなたの民も、近隣の民すべてから嘲られています。
9:17 わたしたちの神よ、僕の祈りと嘆願に耳を傾けて、荒廃した聖所に主御自身のために御顔の光を輝かしてください。
9:18 神よ、耳を傾けて聞いてください。目を開いて、わたしたちの荒廃と、御名をもって呼ばれる都の荒廃とを御覧ください。わたしたちが正しいからではなく、あなたの深い憐れみのゆえに、伏して嘆願の祈りをささげます。
9:19 主よ、聞いてください。主よ、お赦しください。主よ、耳を傾けて、お計らいください。わたしの神よ、御自身のために、救いを遅らせないでください。あなたの都、あなたの民は、御名をもって呼ばれているのですから。」
詩篇 122:1 都に上る歌。ダビデの詩。 主の家に行こう、と人々が言ったとき わたしはうれしかった。
122:2 エルサレムよ、あなたの城門の中に わたしたちの足は立っている。
122:3 エルサレム、都として建てられた町。そこに、すべては結び合い
122:4 そこに、すべての部族、主の部族は上って来る。主の御名に感謝をささげるのはイスラエルの定め。
122:5 そこにこそ、裁きの王座が ダビデの家の王座が据えられている。
122:6 エルサレムの平和を求めよう。「あなたを愛する人々に平安があるように。
122:7 あなたの城壁のうちに平和があるように。あなたの城郭のうちに平安があるように。」
122:8 わたしは言おう、わたしの兄弟、友のために。「あなたのうちに平和があるように。」
122:9 わたしは願おう わたしたちの神、主の家のために。「あなたに幸いがあるように。」
ヤコブ 4:1 何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。
4:2 あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、
4:3 願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。
4:4 神に背いた者たち、世の友となることが、神の敵となることだとは知らないのか。世の友になりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです。
4:5 それとも、聖書に次のように書かれているのは意味がないと思うのですか。「神はわたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられ、
4:6 もっと豊かな恵みをくださる。」それで、こう書かれています。「神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる。」
4:7 だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。
4:8 神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。罪人たち、手を清めなさい。心の定まらない者たち、心を清めなさい。
4:9 悲しみ、嘆き、泣きなさい。笑いを悲しみに変え、喜びを愁いに変えなさい。
4:10 主の前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高めてくださいます。
私たちは様々なことを神に祈り求める。
苦しい時、辛い時、助けを必要としている時など、自分ではどうにもならないこと、どうしようもないことに直面する時に祈る。
しかし、その時、なぜ自が裁かれなければならないのか、とか、なぜあの人たちを裁いて下さらないのかといったような祈りになることもある。
その根本には「自分は正しいのに」という思いが居座っていることに、なかなか気が付かないものである。
自分は間違っていて、自分こそ本当は裁かれなければならないような者であるということを示された時、人は絶望的な言葉しか出てこないものであるはずである。
真実の悔い改めの祈りというものは、そうそうたやすく人前で祈れるようなものではないだろう。
言葉にもならず、胸をたたきながら、深い苦しみに支配され、祈る気にもならないのではないだろうか。
しかし、主なる神様は、そのような時にこそ、神に祈れ、まことの愛のお方になら祈っても良いのだ、と教えてくださる。
それが分かる唯一の方法が、十字架の主イエス様のお姿を見上げることである。
十字架で死なれたイエス様を見上げる時、そこに、愚かな私の死ぬべき姿がそこにあり、イエス様が私の身代わりとなって死なれたことで、もはや私への裁きが完全に取り除かれたことを知る事により「ああ、祈っても良いのだ」と思わせてくれるのである。
神が真の愛のお方だからこそ、私たちは神に祈ることができる。
なんと有難いことであろう。
なんと幸いなことであろう。
十字架のイエス様を覚えつつ、感謝して祈る者とならせていただこう。