エゼキエル43章1~12節、詩篇141篇、マタイ23章37節~24章14節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エゼキエル 43:1 それから、彼はわたしを東の方に向いている門に導いた。
43:2 見よ、イスラエルの神の栄光が、東の方から到来しつつあった。その音は大水のとどろきのようであり、大地はその栄光で輝いた。
43:3 わたしが見た幻は、このような幻であった。それは彼が町を滅ぼすために来たとき、わたしが見た幻と同じであった。その幻は、わたしがケバル川の河畔で見た幻と同じであった。わたしはひれ伏した。
43:4 主の栄光は、東の方に向いている門から神殿の中に入った。
43:5 霊はわたしを引き上げ、内庭に導いた。見よ、主の栄光が神殿を満たしていた。
43:6 わたしは神殿の中から語りかける声を聞いた。そのとき、かの人がわたしの傍らに立っていた。
43:7 彼はわたしに言った。「人の子よ、ここはわたしの王座のあるべき場所、わたしの足の裏を置くべき場所である。わたしは、ここで、イスラエルの子らの間にとこしえに住む。二度とイスラエルの家は、民も王たちも、淫行によって、あるいは王たちが死ぬとき、その死体によって、わが聖なる名を汚すことはない。
43:8 彼らがその敷居をわたしの敷居の脇に据え、彼らの門柱をわたしの門柱の傍らに立てたので、わたしと彼らとの間は、壁一つの隔りとなった。彼らは忌まわしいものを造って、わが聖なる名を汚したので、わたしは怒りをもって彼らを滅ぼした。
43:9 今、わたしのもとから、淫行と王たちの死体を遠ざけよ。そうすれば、わたしは彼らの間にとこしえに住む。
43:10 人の子よ、あなたはイスラエルの家にこの神殿を示しなさい。それは彼らが自分の罪を恥じ、神殿のあるべき姿を測るためである。
43:11 もし彼らが行ってきたすべてのことを恥じたならば、神殿の計画と施設と出入り口、そのすべての計画とすべての掟、計画と律法をすべて彼らに知らせなさい。それを彼らの目の前で書き記し、そのすべての計画と掟に従って施工させなさい。
43:12 以下は山の頂の神殿に関する律法である。周囲を区切られたこの領域はすべて最も神聖である。見よ、これが神殿に関する律法である。

詩篇 141:1  賛歌。ダビデの詩。 主よ、わたしはあなたを呼びます。速やかにわたしに向かい あなたを呼ぶ声に耳を傾けてください。
141:2 わたしの祈りを御前に立ち昇る香りとし 高く上げた手を 夕べの供え物としてお受けください。
141:3 主よ、わたしの口に見張りを置き 唇の戸を守ってください。
141:4 わたしの心が悪に傾くのを許さないでください。悪を行う者らと共にあなたに逆らって 悪事を重ねることのありませんように。彼らの与える好餌にいざなわれませんように。
141:5 主に従う人がわたしを打ち 慈しみをもって戒めてくれますように。わたしは油で頭を整えることもしません 彼らの悪のゆえに祈りをささげている間は。
141:6 彼らの支配者がことごとく 岩の傍らに投げ落とされますように。彼らはわたしの言葉を聞いて喜んだのです。
141:7 「あたかも地を裂き、地を割ったかのように わたしたちの骨は陰府の口に散らされている。」
141:8 主よ、わたしの神よ、わたしの目をあなたに向け あなたを避けどころとします。わたしの魂をうつろにしないでください。
141:9 どうか、わたしをお守りください。わたしに対して仕掛けられた罠に 悪を行う者が掘った落とし穴に陥りませんように。
141:10 主に逆らう者が皆、主の網にかかり わたしは免れることができますように。

マタイ 23:37 「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。
23:38 見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。
23:39 言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うときまで、今から後、決してわたしを見ることがない。」
24:1 イエスが神殿の境内を出て行かれると、弟子たちが近寄って来て、イエスに神殿の建物を指さした。
24:2 そこで、イエスは言われた。「これらすべての物を見ないのか。はっきり言っておく。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」
24:3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやって来て、ひそかに言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」
24:4 イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。
24:5 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。
24:6 戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。
24:7 民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。
24:8 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。
24:9 そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。
24:10 そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。
24:11 偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。
24:12 不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。
24:13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
24:14 そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」


イエス様はエルサレムの神殿の崩壊を預言され、そればかりか、各地で戦争や暴動、飢饉や災害など、様々な出来事が起こるであろうと語られている。
こんなことが続けば、さぞかし恐ろしい世界となるのだろうと思うけれど、これらのことは必ず起きるであろうと語られており、それまでは隠していた人間の本性が現れるだけのことなのだろうと思う。
人は平和で穏やかな時は紳士的に振舞う事はできるが、非常時や破滅的な状況となった時、その人の本性が現れる。
いったい誰を信用し、どのように振舞えば良いのか分からなくなるのかもしれないが、このようなことは必ず起きるであろうから、慌てないように、惑わされないようにせよと語られており、そういう人たちとも向き合い、適切に対処していくべきなのであろう。
もっとも、無茶な要求をされても、それに応える必要もないのであろうが、自分にできる事はできる範囲で担えば良いと思うし、できない事を無理して担う必要もないだろう。
そもそも、できないことはどんなに逆立ちしたところでできないのだから、できる範囲でやれば良い。
愛が冷え、不法がはびこり、ことさら生きにくい時代がやって来るのかもしれないが、最後まで耐え忍び、イエス様による救いの約束を忘れることなく、チャンスがあれば福音を宣べ伝えることを続けていけたら、それが最善であるということであろう。
混乱した世界となっていくことは苦しいことではあるが、きらびやかな世界や平穏で豊かそうに見えるこの世界に救いはないし、イエス様だけが真の救い主であられるということが明らかとなっていくだけのことと思えば、終わりの時を迎えることも悪いことでもないだろう。
辛いことや苦しいことは避けたいとは思うが、本当の救いがどこにあるのかということが明確になって行くのなら、あえてそれも受け入れていければと思う。