箴言 21:10 神に逆らう者の欲望は悪に注がれ その目は隣人をも憐れまない。
21:11 不遜な者を罰すれば、浅はかな者は知恵を得る。知恵ある人を目覚めさせるなら 彼は知識を得る。
21:12 神に従う人は逆らう者の家を識別し 神に逆らう者を災いに落とす。
21:13 弱い人の叫びに耳を閉ざす者は 自分が呼び求める時が来ても答えは得られない。
21:14 ひそかに贈り物をしておけば怒りはなだめられ 賄賂をふところに入れてやれば激怒も静まる。
21:15 裁きを行うことは、神に従う人には喜び 悪を行う者には滅び。
21:16 目覚めへの道から迷い出た者は死霊の集いに入る。
詩篇 12:1 指揮者によって。第八調。賛歌。ダビデの詩。
12:2 主よ、お救いください。主の慈しみに生きる人は絶え 人の子らの中から 信仰のある人は消え去りました。
12:3 人は友に向かって偽りを言い 滑らかな唇、二心をもって話します。
12:4 主よ、すべて滅ぼしてください 滑らかな唇と威張って語る舌を。
12:5 彼らは言います。「舌によって力を振るおう。自分の唇は自分のためだ。わたしたちに主人などはない。」
12:6 主は言われます。「虐げに苦しむ者と 呻いている貧しい者のために 今、わたしは立ち上がり 彼らがあえぎ望む救いを与えよう。」
12:7 主の仰せは清い。土の炉で七たび練り清めた銀。
12:8 主よ、あなたはその仰せを守り この代からとこしえに至るまで わたしたちを見守ってくださいます。
12:9 主に逆らう者は勝手にふるまいます 人の子らの中に 卑しむべきことがもてはやされるこのとき。
ルカ 20:45 民衆が皆聞いているとき、イエスは弟子たちに言われた。
20:46 「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣をまとって歩き回りたがり、また、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを好む。
20:47 そして、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」
21:1 イエスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。
21:2 そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、
21:3 言われた。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。
21:4 あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」
力の弱い人や立場の弱い人のことを思い、憐れみの心を持って接していくことは難しいことであろう。
なぜなら、そういう人たちに寄り添っていこうと思うなら、自分も同じ境遇や立場に身を置かなければならないからである。
自分の置かれている裕福で恵まれた環境を保ったままで、貧しい人たちのことをとやかく言っても、説得力にかけるし、ともすると、偽善的にしか見えなくなってしまう。
もちろん、人を助ける側の人までもが生活することさえ困窮してしまえば、助ける人までもが助けを必要としてしまい、誰も助からなくなってしまうため、人が生きていくだけの最低限の生活が保証されていくことも大事なことであろう。
レプトン銅貨二つを捧げたやもめにとって、このお金は、生活費の全てだったという。
もはや、これっぽっちの金額を所持していても何の役にも立たないし、持っていても、失っても、さして変わりはなかったかもしれない。
けれど、彼女は、自分の意思でそれを神にささげたのである。
普通、お金を渡す場合、捧げる側が捧げられる側を助ける意味があるだろう。
しかし、ここでは反対に、やもめは神に助けてもらう側であり、自分の所持金の全てを神に託し、神に助けてもらうことを選択したのである。
彼女の捧げた生活費とは、彼女の人生そのもの全て、という意味であろう。
自分の人生は、何によって支えられるのか、あるいは、誰に助けられて成り立っているのだろうか。
自分の力で働いてお金を稼ぎ、食べ物や様々なものを得て、生活が成り立っているように見えても、お金で買う全てのものは、誰かが作ったりしたものであり、そのもっと先を考えると、全てはこの世界を創られた神の恵みによるものではないか。
本来なら、生きていくのにさえ困難なはずの私たちを、神様は大いなる恵みをもって生かしていて下さる。
そのことをしっかりと見据えながら、与えられた人生を感謝して生きていきたいものである。
この人生は誰によって与えられたものなのか、神に、である。