ヨブ 40:6 主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。
40:7 男らしく、腰に帯をせよ。お前に尋ねる。わたしに答えてみよ。
40:8 お前はわたしが定めたことを否定し 自分を無罪とするために わたしを有罪とさえするのか。
40:9 お前は神に劣らぬ腕をもち 神のような声をもって雷鳴をとどろかせるのか。
40:10 威厳と誇りで身を飾り 栄えと輝きで身を装うがよい。
40:11 怒って猛威を振るい すべて驕り高ぶる者を見れば、これを低くし
40:12 すべて驕り高ぶる者を見れば、これを挫き 神に逆らう者を打ち倒し
40:13 ひとり残らず塵に葬り去り 顔を包んで墓穴に置くがよい。
40:14 そのとき初めて、わたしはお前をたたえよう。お前が自分の右の手で 勝利を得たことになるのだから。
42:1 ヨブは主に答えて言った。
42:2 あなたは全能であり 御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。
42:3 「これは何者か。知識もないのに 神の経綸を隠そうとするとは。」そのとおりです。わたしには理解できず、わたしの知識を超えた 驚くべき御業をあげつらっておりました。
42:4 「聞け、わたしが話す。お前に尋ねる、わたしに答えてみよ。」
42:5 あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。
42:6 それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し 自分を退け、悔い改めます。
詩篇 73:1 賛歌。アサフの詩。 神はイスラエルに対して 心の清い人に対して、恵み深い。
73:2 それなのにわたしは、あやうく足を滑らせ 一歩一歩を踏み誤りそうになっていた。
73:3 神に逆らう者の安泰を見て わたしは驕る者をうらやんだ。
73:4 死ぬまで彼らは苦しみを知らず からだも肥えている。
73:5 だれにもある労苦すら彼らにはない。だれもがかかる病も彼らには触れない。
73:6 傲慢は首飾りとなり 不法は衣となって彼らを包む。
73:7 目は脂肪の中から見まわし 心には悪だくみが溢れる。
73:8 彼らは侮り、災いをもたらそうと定め 高く構え、暴力を振るおうと定める。
73:9 口を天に置き 舌は地を行く。
73:10 (民がここに戻っても 水を見つけることはできないであろう。)
73:11 そして彼らは言う。「神が何を知っていようか。いと高き神にどのような知識があろうか。」
73:12 見よ、これが神に逆らう者。とこしえに安穏で、財をなしていく。
73:13 わたしは心を清く保ち 手を洗って潔白を示したが、むなしかった。
73:14 日ごと、わたしは病に打たれ 朝ごとに懲らしめを受ける。
73:15 「彼らのように語ろう」と望んだなら 見よ、あなたの子らの代を 裏切ることになっていたであろう。
73:16 わたしの目に労苦と映ることの意味を 知りたいと思い計り
73:17 ついに、わたしは神の聖所を訪れ 彼らの行く末を見分けた
73:18 あなたが滑りやすい道を彼らに対して備え 彼らを迷いに落とされるのを
73:19 彼らを一瞬のうちに荒廃に落とし 災難によって滅ぼし尽くされるのを
73:20 わが主よ、あなたが目覚め 眠りから覚めた人が夢を侮るように 彼らの偶像を侮られるのを。
73:21 わたしは心が騒ぎ はらわたの裂ける思いがする。
73:22 わたしは愚かで知識がなく あなたに対して獣のようにふるまっていた。
73:23 あなたがわたしの右の手を取ってくださるので 常にわたしは御もとにとどまることができる。
73:24 あなたは御計らいに従ってわたしを導き 後には栄光のうちにわたしを取られるであろう。
73:25 地上であなたを愛していなければ 天で誰がわたしを助けてくれようか。
73:26 わたしの肉もわたしの心も朽ちるであろうが 神はとこしえにわたしの心の岩 わたしに与えられた分。
73:27 見よ、あなたを遠ざかる者は滅びる。御もとから迷い去る者をあなたは絶たれる。
73:28 わたしは、神に近くあることを幸いとし 主なる神に避けどころを置く。わたしは御業をことごとく語り伝えよう。
ルカ 22:31 「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。
22:32 しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
22:33 するとシモンは、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言った。
22:54 人々はイエスを捕らえ、引いて行き、大祭司の家に連れて入った。ペトロは遠く離れて従った。
22:55 人々が屋敷の中庭の中央に火をたいて、一緒に座っていたので、ペトロも中に混じって腰を下ろした。
22:56 するとある女中が、ペトロがたき火に照らされて座っているのを目にして、じっと見つめ、「この人も一緒にいました」と言った。
22:57 しかし、ペトロはそれを打ち消して、「わたしはあの人を知らない」と言った。
22:58 少したってから、ほかの人がペトロを見て、「お前もあの連中の仲間だ」と言うと、ペトロは、「いや、そうではない」と言った。
22:59 一時間ほどたつと、また別の人が、「確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから」と言い張った。
22:60 だが、ペトロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。
22:61 主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。
22:62 そして外に出て、激しく泣いた。
たとえイエス様と一緒に死ななければならなくなったとしても、イエス様のことを知らないなどとは決して言わないといったペテロは、イエス様が捕らえられると、あっけなくこれを覆し、しかも三度もイエス様のことを知らないと言ってしまい、激しく自分の弱さを思い知らされることとなった。
ペテロは自分がそこまで弱くてずるい者であるとは思ってもいなかっただろうし、そんな風になりたくないと思っていたことには間違いない。
ただ、人は弱いし、その弱さも知らないのだ。
私たちは成長していくにつれ、様様なことを学び、いつからか、自分は何でも分かっているかのように思ってしまい、自分の周りで起きている事や他人の行動に対してまで、アレは良いとか悪いとか、あたかも神のごとく批評し、見下してしまいがちである。
いったい自分がどれほどの人間であるというのか、分かっていないし、本当は周りのことも何も分かっていないのだ。
それなのに、なぜそこまで自信をもって他者を批判し、自分を正当化できるのだろう。
そうしないと生きていけないほど、本当は弱い存在であるからなのだろう。
自分の弱さ、愚かさと向き合い、それをきちんと見つめ、理解し、受け入れていくならば、すぐにでも神の存在が必要であることに気づくだろう。
神が存在することをどうやって証明すればいいのかとか、聖書の神の何が正しくて何が間違っているかとか、そんなことを言えるような身分でも能力も何もないことに気が付いた時、人は素直に神の御言葉に耳を傾けることができるようになるのではないだろうか。
信仰に入った人たちの多くの方が、様々な人生における試練を通して神と出会ってこられたのには、そういう理由もあるのだろう。
自分自身の本当の姿の前に、徹底的に打ちのめされるような経験をした時、はじめて人は、自分の存在を愛し、赦し、認め、生かして下さる神の存在を求めるし、知るのであろう。
試練は辛いことであるけれど、神と出会う事ができたなら、それも良かったと言えるようになれたら幸いである。
自分の弱さ、愚かさを示される時、自分が生きていて良いのかどうか悩まされるかもしれないが、命をかけて愛して下さった主なる神様の十字架の御業を見上げるならば、ああ、自分も生きてて良いんだと思えるし、生きていて欲しいと願われたこそのイエス様の十字架であることを感謝しつつ、喜んで生きていける、そんな幸いを覚えたいものである。