歴代誌下33章1~17節、詩篇89篇2~19節、ヘブル11章1~7節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

歴代誌下 33:1 マナセは十二歳で王となり、五十五年間エルサレムで王位にあった。
33:2 彼は主がイスラエル人の前から追い払われた諸国の民の忌むべき慣習に倣い、主の目に悪とされることを行った。
33:3 彼は父ヒゼキヤが取り壊した聖なる高台を再建し、バアルの祭壇を築き、アシェラ像を造った。更に彼は天の万象の前にひれ伏し、これに仕えた。
33:4 主はかつて、「エルサレムにわたしの名をとこしえにとどめる」と言われたが、その主の神殿の中に彼は異教の祭壇を築いた。
33:5 彼はまた、主の神殿の二つの庭に天の万象のための祭壇を築いた。
33:6 彼はベン・ヒノムの谷で自分の子らに火の中を通らせ、占いやまじないを行い、魔術や口寄せ、霊媒を用いるなど、主の目に悪とされることを数々行って主の怒りを招いた。
33:7 彼はまた像、彫像を造り、神殿に置いた。神はその神殿について、かつてダビデとその子ソロモンにこう仰せになった。「わたしはこの神殿に、イスラエルの全部族の中から選んだエルサレムに、とこしえにわたしの名を置く。
33:8 もし彼らがわたしの命じるすべてのこと、モーセによるすべての律法、掟、法を行うよう努めるなら、わたしはあなたたちの先祖のものと定めたこの土地から、二度とイスラエルを移さない。」
33:9 マナセはユダとエルサレムの住民を惑わし、主がイスラエルの人々の前で滅ぼされた諸国の民よりも更に悪い事を行わせた。
33:10 主はマナセとその民に語られたが、彼らはそれに耳を貸さなかった。
33:11 そこで主は、アッシリアの王の将軍たちに彼らを攻めさせられた。彼らはマナセを鉤で捕らえ、一対の青銅の足枷につないでバビロンに引いて行った。
33:12 彼は苦悩の中で自分の神、主に願い、先祖の神の前に深くへりくだり、
33:13 祈り求めた。神はその祈りを聞き入れ、願いをかなえられて、再び彼をエルサレムの自分の王国に戻された。こうしてマナセは主が神であることを知った。
33:14 その後、彼は谷にあるギホンの西側にダビデの町の外壁を築いた。それは魚の門にまで達し、オフェルを囲んだ。壁は非常に高く築き上げられた。彼はユダのすべての砦の町に軍の長を配置した。
33:15 彼は異国の神々と偶像を主の神殿から取り除き、主の神殿の立つ山とエルサレムに築かせたすべての異教の祭壇も同様にして町の外に投げ捨てた。
33:16 そして、主の祭壇を築き、その上に和解と感謝の献げ物をささげ、ユダの人々にイスラエルの神、主に仕えるよう命じた。
33:17 しかし民は、彼らの神、主に対してではあるが、依然として聖なる高台でいけにえをささげていた。

詩篇 89:2 主の慈しみをとこしえにわたしは歌います。わたしの口は代々に あなたのまことを告げ知らせます。
89:3 わたしは申します。「天にはとこしえに慈しみが備えられ あなたのまことがそこに立てられますように。」
89:4 「わたしが選んだ者とわたしは契約を結び わたしの僕ダビデに誓った
89:5 あなたの子孫をとこしえに立て あなたの王座を代々に備える、と。」
89:6 主よ、天があなたの驚くべき力を告白し 聖なるものがその集会で あなたのまことを告白しますように。
89:7 雲の上で、誰が主に並びえましょう 神々の子らの中で誰が主に比べられましょう。
89:8 聖なるものの集いにおいて あなたは恐れられる神。御もとにあるものすべてに超えて 大いに畏れ敬われる方です。
89:9 万軍の神、主よ 誰があなたのような威力を持つでしょう。主よ、あなたの真実は あなたを取り囲んでいます。
89:10 あなたは誇り高い海を支配し 波が高く起これば、それを静められます。
89:11 あなたはラハブを砕き、刺し殺し 御腕の力を振るって敵を散らされました。
89:12 天はあなたのもの、地もあなたのもの。御自ら世界とそこに満ちるものの基を置き
89:13 北と南を創造されました。タボル山、ヘルモン山は 御名を喜び歌います。
89:14 あなたは力強い業を成し遂げる腕を具え 御手の力を振るい 右の御手を高く上げられます。
89:15 正しい裁きは御座の基 慈しみとまことは御前に進みます。
89:16 いかに幸いなことでしょう 勝利の叫びを知る民は。主よ、御顔の光の中を彼らは歩きます。
89:17 絶えず、御名によって喜び躍り 恵みの御業にあずかって奮い立ちます。
89:18 あなたは彼らの力の輝きです。御旨によって、我らの角を高く上げてください。
89:19 主は我らの盾 イスラエルの聖なる方は我らの王。

ヘブル 11:1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。
11:2 昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。
11:3 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。
11:4 信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。
11:5 信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。
11:6 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。
11:7 信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。



信仰とは、真の神が存在し、その神がこの世界を創られ、今も治めておられることを認め、その神が人を愛し救おうとされ、御子イエス様を送って下さったことにより、私たちの救いが実現している事に同意し、受け入れ、そして、その神が今もなおこの世界を治め、その中で生きる私たちを恵みのもとで導いて下さっていることを信じて、神と共に歩んでいくことと言える。
ただ単に神の存在を信じているだけとか、イエス様のことを知っているし、信じているというだけではなく、その事実に同意して生きていく行動であったり、生き様を通して、表していくものであろう。
そう言う意味では「行いのない信仰は役に立たない」とのヤコブの手紙の言葉も、意味のある言葉と言えるだろう。
信仰によって生かされている、人生そのものが神のために用いられていく、そのような者でありたい。
たとえ誰かのために何もできなかったとしても、他者を妬んだり、呪ったり、あるいは攻撃したりといったことにならないよう、祝福を祈り、共に泣き、共に笑い、共に生きる、そんな人生を、神を愛する人たちと共に歩んでいけたらと願う。
なにより、イエス様がいつも私たちと共に歩んで下さり、常に恵みで満たして下さるお方であることを覚えていよう。