創世記11章27~32節、詩篇33篇12~22節、マタイ6章19~24節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

創世記 11:27 テラの系図は次のとおりである。テラにはアブラム、ナホル、ハランが生まれた。ハランにはロトが生まれた。
11:28 ハランは父のテラより先に、故郷カルデアのウルで死んだ。
11:29 アブラムとナホルはそれぞれ妻をめとった。アブラムの妻の名はサライ、ナホルの妻の名はミルカといった。ミルカはハランの娘である。ハランはミルカとイスカの父であった。
11:30 サライは不妊の女で、子供ができなかった。
11:31 テラは、息子アブラムと、ハランの息子で自分の孫であるロト、および息子アブラムの妻で自分の嫁であるサライを連れて、カルデアのウルを出発し、カナン地方に向かった。彼らはハランまで来ると、そこにとどまった。
11:32 テラは二百五年の生涯を終えて、ハランで死んだ。

詩篇 33:12 いかに幸いなことか 主を神とする国 主が嗣業として選ばれた民は。
33:13 主は天から見渡し 人の子らをひとりひとり御覧になり
33:14 御座を置かれた所から 地に住むすべての人に目を留められる。
33:15 人の心をすべて造られた主は 彼らの業をことごとく見分けられる。
33:16 王の勝利は兵の数によらず 勇士を救うのも力の強さではない。
33:17 馬は勝利をもたらすものとはならず 兵の数によって救われるのでもない。
33:18 見よ、主は御目を注がれる 主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。
33:19 彼らの魂を死から救い 飢えから救い、命を得させてくださる。
33:20 我らの魂は主を待つ。主は我らの助け、我らの盾。
33:21 我らの心は喜び 聖なる御名に依り頼む。
33:22 主よ、あなたの慈しみが 我らの上にあるように 主を待ち望む我らの上に。

マタイ 6:19 「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。
6:20 富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。
6:21 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」
6:22 「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、
6:23 濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。」
6:24 「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」


人は目に見えるものに影響を受けやすい。
美しいもの、荘厳なもの、多くの人を惹きつける魅力的なものなどを追い求めていく。
しかし、それらは永遠ではない。
それに、芽のご不自由な方にとっては、いくら見た目が良くても、美しいものとそうでないものの区別はつけられない。
目が見えている人も、果たして本当に麗しいものとそうでないものの区別ができているのだろうか。
あるいは、自分にとって都合の良いものだけが「麗しい」などと勝手に解釈しているだけなのかもしれない。
美しくないものとみなされるもの中に本当は麗しいものが隠されているのかもしれない。
神の御子イエス様は、十字架にはりつけにされ、殺された。
あざけられ、鞭打たれ、なぶり殺しのよう、殺された。
人々から「ぜひその姿を見てみたい」と思えるような、美しく賞賛されるような光景ではなかっただろう。
しかし、そこに神の本当の愛の姿が表されている。
愚かな人間を、なんとしても救いたいと願われた、神様の最高の愛の姿。
私たちは、このような素晴らしい救いの御業を、自分のためになされた事として、感謝してほめたたえる。