コヘレト1章1~11節、詩篇49篇2~13節、マルコ10章17~22節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

コヘレト 1:1 エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉。
1:2 コヘレトは言う。なんという空しさ なんという空しさ、すべては空しい。
1:3 太陽の下、人は労苦するが すべての労苦も何になろう。
1:4 一代過ぎればまた一代が起こり 永遠に耐えるのは大地。
1:5 日は昇り、日は沈み あえぎ戻り、また昇る。
1:6 風は南に向かい北へ巡り、めぐり巡って吹き 風はただ巡りつつ、吹き続ける。
1:7 川はみな海に注ぐが海は満ちることなく どの川も、繰り返しその道程を流れる。
1:8 何もかも、もの憂い。語り尽くすこともできず 目は見飽きることなく 耳は聞いても満たされない。
1:9 かつてあったことは、これからもあり かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない。
1:10 見よ、これこそ新しい、と言ってみても それもまた、永遠の昔からあり この時代の前にもあった。
1:11 昔のことに心を留めるものはない。これから先にあることも その後の世にはだれも心に留めはしまい。

詩篇 49:2 諸国の民よ、これを聞け この世に住む者は皆、耳を傾けよ
49:3 人の子らはすべて 豊かな人も貧しい人も。
49:4 わたしの口は知恵を語り わたしの心は英知を思う。
49:5 わたしは格言に耳を傾け 竪琴を奏でて謎を解く。
49:6 災いのふりかかる日 わたしを追う者の悪意に囲まれるときにも どうして恐れることがあろうか
49:7 財宝を頼みとし、富の力を誇る者を。
49:8 神に対して、人は兄弟をも贖いえない。神に身代金を払うことはできない。
49:9 魂を贖う値は高く とこしえに、払い終えることはない。
49:10 人は永遠に生きようか。墓穴を見ずにすむであろうか。
49:11 人が見ることは 知恵ある者も死に 無知な者、愚かな者と共に滅び 財宝を他人に遺さねばならないということ。
49:12 自分の名を付けた地所を持っていても その土の底だけが彼らのとこしえの家 代々に、彼らが住まう所。
49:13 人間は栄華のうちにとどまることはできない。屠られる獣に等しい。

マルコ 10:17 イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」
10:18 イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。
10:19 『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」
10:20 すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。
10:21 イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
10:22 その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。



ある金持ちがイエス様に「永遠の命を受け継ぐためには何をすればいいか」と尋ねた際、イエス様は「持っているものを売り払い、貧しい人々に施しなさい」と命じられている。
これら一連の出来事は、自分では何でもできると思い上がっている人に対する戒めの言葉であり、全ての人に対して、そうするように言われているわけではない。
神の律法の言葉というのは、傲慢なもの、罪を犯しているものに対し、悔い改めへと促すためのものであり、たとえそれを神が望んでおられるとしても、もともと我々人間には完全には成し得ないことばかりなのだ。
もし仮に「イエス様が仰せられたから」と言って、持ち物を売り払い、貧しい人に施したからと言って、実際にはそれで永遠の命を得ることもできないし、する必要もない。
なぜなら、イエス様がご自分の命の代価を支払って、信じる者に永遠の命を与える、というのが聖書で約束されている神の救いの恵みの約束だからである。

1ペテロ1:18 知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、
1:19 きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。

もし「救われるために、あなたの財産を売り払って神に捧げなさい」と言うような人がいたら、それは真の神の言葉ではない。
強欲におぼれた人間の言葉でしかない。
本当の神は、御子の命をも惜しまず捧げたほどに、私たちを愛し、喜んで私たちに永遠の命を与え下さるお方なのだから。