箴言8章4~21節、詩篇124篇、エフェソ5章15~20節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

箴言 8:4 「人よ あなたたちに向かってわたしは呼びかける。人の子らに向かってわたしは声をあげる。
8:5 浅はかな者は熟慮することを覚え 愚か者は反省することを覚えよ。
8:6 聞け、わたしは指導者として語る。わたしは唇を開き、公平について述べ
8:7 わたしの口はまことを唱える。わたしの唇は背信を忌むべきこととし
8:8 わたしの口の言葉はすべて正しく よこしまなことも曲がったことも含んでいない。
8:9 理解力のある人には それがすべて正しいと分かる。知識に到達した人には それがすべてまっすぐであると分かる。
8:10 銀よりもむしろ、わたしの諭しを受け入れ 精選された金よりも、知識を受け入れよ。
8:11 知恵は真珠にまさり どのような財宝も比べることはできない。
8:12 わたしは知恵。熟慮と共に住まい 知識と慎重さを備えている。
8:13 主を畏れることは、悪を憎むこと。傲慢、驕り、悪の道 暴言をはく口を、わたしは憎む。
8:14 わたしは勧告し、成功させる。わたしは見分ける力であり、威力をもつ。
8:15 わたしによって王は君臨し 支配者は正しい掟を定める。
8:16 君侯、自由人、正しい裁きを行う人は皆 わたしによって治める。
8:17 わたしを愛する人をわたしも愛し わたしを捜し求める人はわたしを見いだす。
8:18 わたしのもとには富と名誉があり すぐれた財産と慈善もある。
8:19 わたしの与える実りは どのような金、純金にもまさり わたしのもたらす収穫は 精選された銀にまさる。
8:20 慈善の道をわたしは歩き 正義の道をわたしは進む。
8:21 わたしを愛する人は嗣業を得る。わたしは彼らの倉を満たす。

詩篇 124:1  都に上る歌。ダビデの詩。 イスラエルよ、言え。「主がわたしたちの味方でなかったなら
124:2 主がわたしたちの味方でなかったなら わたしたちに逆らう者が立ったとき
124:3 そのとき、わたしたちは生きながら 敵意の炎に呑み込まれていたであろう。
124:4 そのとき、大水がわたしたちを押し流し 激流がわたしたちを越えて行ったであろう。
124:5 そのとき、わたしたちを越えて行ったであろう 驕り高ぶる大水が。」
124:6 主をたたえよ。主はわたしたちを敵の餌食になさらなかった。
124:7 仕掛けられた網から逃れる鳥のように わたしたちの魂は逃れ出た。網は破られ、わたしたちは逃れ出た。
124:8 わたしたちの助けは 天地を造られた主の御名にある。

エフェソ 5:15 愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。
5:16 時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。
5:17 だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。
5:18 酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、
5:19 詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。
5:20 そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。


真の知恵、本当の賢さとは、どういうものであろうか。
勉強ができることや様々な知識を蓄え、聡明な考えや意見が言える人たちは、それは確かに素晴らしいことであろう。
しかし、それがゆえに自分を誇り、他者を見下しているのなら、それは真の知恵者とは言えないだろう。
エフェソ5章15節には「愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。」と語られているが、自分の考えや意見、行動が、他者にとって威圧的だったり、攻撃的だったり、批判的だったりしているのなら、そこには平和も喜びも感謝ももたらされないし、醜い争いや奪い合いといったことしかもたらされないであろう。
何が主の御心であるのか。
簡単なことである。他者を喜ばすこと。でもそれが意外に難しい。
自分を含め、自分の周りにいる人達にも、心から感謝と喜びがあふれるような環境へと導かれていくこと、それを求めて行くことこそが真の知恵なのではないだろうか。
イエス様は、そのような幸いを私たちに与えようと、自らの命を投げ出して下さったお方。
命とまでは行かなくても、いくばくかの気配りを心がけていくだけでも、ずいぶんと人生は違ってくるのだろう。