民数24章1~14節、詩篇48篇、ルカ1章26~38節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

民数 24:1 バラムは、イスラエルを祝福することが主の良いとされることであると悟り、いつものようにまじないを行いに行くことをせず、顔を荒れ野に向けた。
24:2 バラムは目を凝らして、イスラエルが部族ごとに宿営しているのを見渡した。神の霊がそのとき、彼に臨んだ。
24:3 彼はこの託宣を述べた。ベオルの子バラムの言葉。目の澄んだ者の言葉。
24:4 神の仰せを聞き 全能者のお与えになる幻を見る者 倒れ伏し、目を開かれている者の言葉。
24:5 いかに良いことか ヤコブよ、あなたの天幕は イスラエルよ、あなたの住む所は。
24:6 それは広がる谷 大河の岸の園のようだ。それは主が植えられたアロエの木のよう 水のほとりの杉のようだ。
24:7 水は彼らの革袋から溢れ 種は豊かな水を得て育つ。彼らの王はアガグよりも栄え その王国は高く上げられる。
24:8 エジプトから彼らを導き出された神は 彼らにとって野牛の角のようだ。彼らは、敵対する国を食らい尽くし 骨を砕き、矢で刺し通す。
24:9 雄獅子のように伏し 雌獅子のように横たわる彼らを 起き上がらせることができる者があろうか。あなたを祝福する者は祝福され あなたを呪う者は呪われる。
24:10 バラクはバラムに対して激しく怒り、手を打ち鳴らしながら、バラムに言った。「敵に呪いをかけるために招いたのに、見よ、お前は三度も祝福した。
24:11 自分の所に逃げ帰るがよい。お前を大いに優遇するつもりでいたが、主がそれを差し止められたのだ。」
24:12 バラムはバラクに言った。「あなたがわたしのもとに遣わした使者に対しても、わたしはこう言ったではありませんか。
24:13 『たとえバラクが、家に満ちる金銀を贈ってくれても、主の言葉に逆らっては、善にしろ悪にしろ、わたしの心のままにすることはできません。わたしは、主が告げられることを告げるだけです』と。
24:14 わたしは今、わたしの民のもとに帰ります。後の日にこの民があなたの民に対して何をするか、あなたに警告しておきます。」

詩篇 48:1  歌。賛歌。コラの子の詩。
48:2 大いなる主、限りなく賛美される主。わたしたちの神の都にある聖なる山は
48:3 高く美しく、全地の喜び。北の果ての山、それはシオンの山、力ある王の都。
48:4 その城郭に、砦の塔に、神は御自らを示される。
48:5 見よ、王たちは時を定め、共に進んで来た。
48:6 彼らは見て、ひるみ、恐怖に陥って逃げ去った。
48:7 そのとき彼らを捕えたおののきは 産みの苦しみをする女のもだえ
48:8 東風に砕かれるタルシシュの船。
48:9 聞いていたことをそのまま、わたしたちは見た 万軍の主の都、わたしたちの神の都で。神はこの都をとこしえに固く立てられる。
48:10 神よ、神殿にあってわたしたちは あなたの慈しみを思い描く。
48:11 神よ、賛美は御名と共に地の果てに及ぶ。右の御手には正しさが溢れている。
48:12 あなたの裁きのゆえに シオンの山は喜び祝い ユダのおとめらは喜び躍る。
48:13 シオンの周りをひと巡りして見よ。塔の数をかぞえ
48:14 城壁に心を向け、城郭に分け入って見よ。後の代に語り伝えよ
48:15 この神は世々限りなくわたしたちの神 死を越えて、わたしたちを導いて行かれる、と。

ルカ 1:26 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
1:27 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。
1:28 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
1:29 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。
1:30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。
1:31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
1:32 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。
1:33 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
1:34 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」
1:35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
1:36 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。
1:37 神にできないことは何一つない。」
1:38 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。



天使ガブリエルがマリアに告げたことは、マリアがまだ結婚もしていないのに、身ごもって男の子を産む、というものであった。
通常考えられないことであるどころか、はっきり言って、戸惑いというより、そんなことが自分の身に起こって欲しいなどとは決して思えないことであろう。
あってはならないこと、絶対に会ってほしくない事に違いない。
けれど、天使ガブリエルは、それを祝福の言葉として伝えたのである。
神のなさる祝福は、人間にとって都合のいいもの、喜ばしいものとはすぐには思えないことも多い。
あるいは、いつまで経っても困難を伴うものもある。
それでも「祝福」なのだ。
なぜなら、そこには多くの人の救いが伴うものだからである。
多くの人の救いのためには、様々な困難も乗り越えて行かなければならないことも多い。
宣教の働きであるとか、教会の働きなどもそういったものであるかもしれない。
困難を伴うものであるし、できればやりたくないようなこともあるだろう、けれども、その先に、何人かでも救いの恵みに与る人がいるのなら、その働きは「祝福」なのだ。
だから、マリアが「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と述べたように、我々もまた「主のお言葉通りなりますように」と祈りつつ、全てのことに臨んでいきたい。
不安や葛藤はあるけれども「神にできないことは何一つない」と天使ガブリエルが述べた言葉に信頼しつつ、主のなさることに身を委ねていきたいものである。