歴代下 34:20 王はヒルキヤ、シャファンの子アヒカム、ミカの子アブドン、書記官シャファン、王の家臣アサヤにこう命じた。
34:21 「この見つかった書の言葉について、わたしのため、イスラエルとユダに残っている者のために、主の御旨を尋ねに行け。我々の先祖が、主の言葉を守らず、この書物に記されているとおりにすべての事を行わなかったために、我々の上に注がれた主の怒りは激しいからだ。」
34:22 ヒルキヤと王が指名した者たちは、女預言者フルダのもとに行った。彼女はハスラの孫でトクハトの子である衣装係シャルムの妻で、エルサレムのミシュネ地区に住んでいた。彼らがその話を彼女に聞かせると、
34:23 彼女は答えた。「イスラエルの神、主はこう言われる。『あなたたちをわたしのもとに遣わした者に言いなさい。
34:24 主はこう言われる。見よ、わたしはこの所とその住民に災いをくだし、ユダの王の前で読み上げられた書に記されているすべての呪いを実現する。
34:25 彼らがわたしを捨て、他の神々に香をたき、自分たちの手で作ったすべてのものによってわたしを怒らせたために、わたしの怒りはこの所に向かって注がれ、消えることはない。
34:26 主の心を尋ねるためにあなたたちを遣わしたユダの王にこう言いなさい。あなたが聞いた言葉について、イスラエルの神、主はこう言われる。
34:27 あなたはこの所とその住民についての主の言葉を聞いて心を痛め、神の前にへりくだり、わたしの前にへりくだって衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしはあなたの願いを聞き入れた、と主は言われる。
34:28 見よ、わたしはあなたを先祖の数に加える。あなたは安らかに息を引き取って墓に葬られ、わたしがこの所とその住民にくだす災いのどれも、その目で見ることはない。』」彼らはこれを王に報告した。
34:29 そこで王は人を遣わして、ユダとエルサレムのすべての長老を集めた。
34:30 王は、ユダのすべての人々、エルサレムの住民、祭司とレビ人、老いた者から若い者まで、すべての民と共に主の神殿に上り、主の神殿で見つかった契約の書のすべての言葉を彼らに読み聞かせた。
34:31 それから、王は自分の場所に立って主の御前で契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、魂を尽くして主の戒めと定めと掟を守り、この書に記されている契約の言葉を実行することを誓った。
34:32 王はエルサレムとベニヤミンにいるすべての者に誓わせた。エルサレムの住民は先祖の神、その神の契約に従って行動した。
34:33 ヨシヤはイスラエルの人々のすべての土地から忌むべきものを一掃し、イスラエルにいるすべての者をその神、主に仕えさせた。彼が生きている間、彼らは先祖の神、主に従う道からはずれることはなかった。
詩篇 93:1 主こそ王。威厳を衣とし 力を衣とし、身に帯びられる。世界は固く据えられ、決して揺らぐことはない。
93:2 御座はいにしえより固く据えられ あなたはとこしえの昔からいます。
93:3 主よ、潮はあげる、潮は声をあげる。潮は打ち寄せる響きをあげる。
93:4 大水のとどろく声よりも力強く 海に砕け散る波。さらに力強く、高くいます主。
93:5 主よ、あなたの定めは確かであり あなたの神殿に尊厳はふさわしい。日の続く限り。
ルカ 2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。
2:26 そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。
2:27 シメオンが"霊"に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。
2:28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
2:29 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。
2:30 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。
2:31 これは万民のために整えてくださった救いで、
2:32 異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」
2:33 父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。
2:34 シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。
2:35 ――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」
2:36 また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、
2:37 夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、
2:38 そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。
聖書には神を信じてその生涯を送った様々な人たちのことが記されている。
何人かの人たちは、その名前が聖書に記されているが、多くの人たちは「群衆」であったり「民」であったり、名も知られない数多くの信仰者たちがいたはずである。
たまたまその一人であったシメオンは、宮参りにやってきたイエス様の家族と対面し、神の言葉を告げる務めに召されたことで、その名が記される事となった。
彼の働きは、まるで預言者の働きのようであるけれども、預言者でも何でもない、ただの普通の人である。
そもそも、普通の人とかと、特別に召された人といった表現がふさわしい言葉かどうかわからないが、誰であろうと、神に見いだされ、救われた人ならば、その人は特別である。
特別な神の救いを受けた「普通の人」なのだ。
旧約聖書でも、預言者や王らの名前が頻繁に登場するが、彼らもまた我々と同じ普通の人間である。
悩みもすれば、苦労もする、同じ人間である。
そして、イエス様もそのような人間となられ、私たちの身代わりとなって十字架で死なれたのである。
名もなき人生、人知れずひっそりと人生を終えて行く人であっても一向にかまわないが、そんな世界の片隅に生きる者にも、主なる神様は愛の眼差しを向け続けて下さる。
それが特別な私たちの人生である。