箴言 2:9 また、あなたは悟るであろう 正義と裁きと公平はすべて幸いに導く、と。
2:10 知恵があなたの心を訪れ、知識が魂の喜びとなり
2:11 慎重さがあなたを保ち、英知が守ってくれるので
2:12 あなたは悪い道から救い出され 暴言をはく者を免れることができる。
2:13 彼らはまっすぐな道を捨て去り、闇の道を歩き
2:14 悪を働くことを楽しみとし 悪と暴言に小躍りする者。
2:15 彼らの道筋は曲がり、通う道はくねっている。
詩篇 67:1 指揮者によって。伴奏付き。賛歌。歌。
67:2 神がわたしたちを憐れみ、祝福し 御顔の輝きを わたしたちに向けてくださいますように
67:3 あなたの道をこの地が知り 御救いをすべての民が知るために。
67:4 神よ、すべての民が あなたに感謝をささげますように。すべての民が、こぞって あなたに感謝をささげますように。
67:5 諸国の民が喜び祝い、喜び歌いますように あなたがすべての民を公平に裁き この地において諸国の民を導かれることを。
67:6 神よ、すべての民が あなたに感謝をささげますように。すべての民が、こぞって あなたに感謝をささげますように。
67:7 大地は作物を実らせました。神、わたしたちの神が わたしたちを祝福してくださいますように。
67:8 神がわたしたちを祝福してくださいますように。地の果てに至るまで すべてのものが神を畏れ敬いますように。
ルカ 19:1 イエスはエリコに入り、町を通っておられた。
19:2 そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。
19:3 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。
19:4 それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。
19:5 イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」
19:6 ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。
19:7 これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」
19:8 しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」
19:9 イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。
19:10 人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」
ザアカイは徴税人の頭で、金持ちであったと記されている。
おそらく、自分が裕福になることを優先し、結果、誰からも信頼されなくなり、友人も少なく、寂しい人生を送っていたのであろう。
移ろい行くものと引き換えに、大切なものを失っていたのだ。
しかしこのようなことは、程度の差こそあれ、誰もが同じようなことをしているのかもしれない。
自分のことしか考えない自己中心的な生き方を送っているために、周りの人はだんだん遠ざかっていく。
自己中心的な考え方しかできないために、悪いのは常に他人であったり、社会であったり、責任を自分以外のものに押し付けようとするために、怒りや争いも絶えない。
自分のエゴや富と引き換えに、魂が失われた状態なのだ。
イエス様は、そんなザアカイのもとに、ザアカイのような自己中心的な生き方をしている人のもとにやってこられる。
受け入れるかどうかは自由だが、心に虚しさを感じているならば、イエス様をお迎えすることを勧めたい。
イエス様をお迎えすることで、失われていた魂が救われるのだから。
自己中心的な生き方を続けていれば、何がしかのものを得ているかのように感じるかもしれないが、実際には多くのものを失っている。
なかでも一番大切のは、自分の魂である、
イエス様と出会い、信じて従って行くならば、一見、何らかのものを手放すように見えて、実は失うものはない。
それどころか、失われていた魂を、まことの命を得ることができる。
イエス様はそのために私たちの世界に人として来てくださった。
私たちと同じ人間として生き、あの十字架で愚かな私の身代わりとなって死に、私の犯してきた全ての過ちを償って下さった。
まことに有難いことである。
魂が失われたような自己中心的な生き方をやめ、私のために大きな犠牲を支払ってまで愛し救って下さったイエス様と共に、命あるものとして生きて行こう。