士師記 9:7 このことがヨタムに知らされると、彼はゲリジム山の頂に行って立ち、大声を張り上げて言った。「シケムの首長たちよ。わたしの言うことを聞いてください。そうすれば、神はあなたたちの言うことを聞き入れてくださる。
9:8 木々が、だれかに油を注いで自分たちの王にしようとしてまずオリーブの木に頼んだ。『王になってください。』
9:9 オリーブの木は言った。『神と人に誉れを与えるわたしの油を捨てて木々に向かって手を振りに行ったりするものですか。』
9:10 木々は、いちじくの木に頼んだ。『それではあなたが女王になってください。』
9:11 いちじくの木は言った。『わたしの甘くて味のよい実を捨てて木々に向かって手を振りに行ったりするものですか。』
9:12 木々は、ぶどうの木に頼んだ。『それではあなたが女王になってください。』
9:13 ぶどうの木は言った。『神と人を喜ばせるわたしのぶどう酒を捨てて木々に向かって手を振りに行ったりするものですか。』
9:14 そこですべての木は茨に頼んだ。『それではあなたが王になってください。』
9:15 茨は木々に言った。『もしあなたたちが誠意のある者でわたしに油を注いで王とするなら来て、わたしの陰に身を寄せなさい。そうでないなら、この茨から火が出て、レバノンの杉を焼き尽くします。』
詩篇 20:1 指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。
20:2 苦難の日に主があなたに答え ヤコブの神の御名があなたを高く上げ
20:3 聖所から助けを遣わし シオンからあなたを支えてくださるように。
20:4 あなたの供え物をことごとく心に留め あなたのささげるいけにえを快く受け入れ
20:5 あなたの心の願いをかなえ あなたの計らいを実現させてくださるように。
20:6 我らがあなたの勝利に喜びの声をあげ 我らの神の御名によって 旗を掲げることができるように。主が、あなたの求めるところを すべて実現させてくださるように。
20:7 今、わたしは知った 主は油注がれた方に勝利を授け 聖なる天から彼に答えて 右の御手による救いの力を示されることを。
20:8 戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが 我らは、我らの神、主の御名を唱える。
20:9 彼らは力を失って倒れるが 我らは力に満ちて立ち上がる。
20:10 主よ、王に勝利を与え 呼び求める我らに答えてください。
1ヨハネ 2:18 子供たちよ、終わりの時が来ています。反キリストが来ると、あなたがたがかねて聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。これによって、終わりの時が来ていると分かります。
2:19 彼らはわたしたちから去って行きましたが、もともと仲間ではなかったのです。仲間なら、わたしたちのもとにとどまっていたでしょう。しかし去って行き、だれもわたしたちの仲間ではないことが明らかになりました。
2:20 しかし、あなたがたは聖なる方から油を注がれているので、皆、真理を知っています。
2:21 わたしがあなたがたに書いているのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、真理を知り、また、すべて偽りは真理から生じないことを知っているからです。
2:22 偽り者とは、イエスがメシアであることを否定する者でなくて、だれでありましょう。御父と御子を認めない者、これこそ反キリストです。
2:23 御子を認めない者はだれも、御父に結ばれていません。御子を公に言い表す者は、御父にも結ばれています。
2:24 初めから聞いていたことを、心にとどめなさい。初めから聞いていたことが、あなたがたの内にいつもあるならば、あなたがたも御子の内に、また御父の内にいつもいるでしょう。
2:25 これこそ、御子がわたしたちに約束された約束、永遠の命です。
2:26 以上、あなたがたを惑わせようとしている者たちについて書いてきました。
2:27 しかし、いつもあなたがたの内には、御子から注がれた油がありますから、だれからも教えを受ける必要がありません。この油が万事について教えます。それは真実であって、偽りではありません。だから、教えられたとおり、御子の内にとどまりなさい。
2:28 さて、子たちよ、御子の内にいつもとどまりなさい。そうすれば、御子の現れるとき、確信を持つことができ、御子が来られるとき、御前で恥じ入るようなことがありません。
士師記に語られている内容は、皮肉も込められた実に興味深いものとなっているように見える。
オリーブやいちじく、ぶどうの木は、それぞれ自分の役割を明確に理解しているし、木々に手を振って愛想を振りまくだけの王などにはならないし、なるつもりもない、といったことが語られている。
おおよそ、自分をわきまえているものは、代言壮語するようなことに関心はないし、それがいかに愚かなことであるかということも知っているからなのであろう。
愚かなものや自分を卑下しているものに限って、自分を大きく見せようとしてしまうのだろう。
見ている人には、それらの行為がいかに滑稽であるかということは明らかである。
「能ある鷹は爪隠す」ではないが、知恵あるものは、謙遜であるし、自分をことさら大きく見せようとしなくても、周囲の人から尊ばれるものである。
人はその人の言葉や行動、振舞いなどをよく見ているし、その言動にどんな意味があるのかということもよく見ている。
イエス様は、たとえどんなに罪深いものであっても、その人を愛し、救いたいと願われ、自らの命を捧げられた。
十字架のお姿こそが、イエス様の思いを物語っている。
私たちは、このイエス様の十字架の姿を見て、この方の真実な愛を知り、この方に愛されている事による平安と喜びを頂くのである。
この世のつまらないものに囚われ、何が本当に大切な事なのかということを見失ってはいないだろうか。
周りの人は案外見ているもの。
イエス様に愛され、赦され、生かされているものとして、ありのままの自分で、誠実に忠実に生きていきたいものである。