エレミヤ36章11~26節、詩篇119篇89~96節、2コリント7章2~12節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ 36:11 シャファンの孫でゲマルヤの子であるミカヤは、その巻物に記された主の言葉をすべて聞くと、
36:12 王宮にある書記官の部屋へ下って行った。そこには、役人たちが皆、席に着いていた。書記官エリシャマ、シェマヤの子デラヤ、アクボルの子エルナタン、シャファンの子ゲマルヤ、ハナンヤの子ツィドキヤをはじめすべての役人たちがいた。
36:13 ミカヤは、バルクが民の前で巻物を読んだときに聞いた言葉を、すべて役人たちに伝えた。
36:14 役人たちは、ユディをバルクのもとに遣わして、「あなたが民に読み聞かせたあの巻物を持って来るように」と言わせた。ユディの父はネタンヤ、祖父はシェレムヤ、曽祖父はクシである。そこで、ネリヤの子バルクは、巻物を持って、彼らのところに来た。
36:15 彼らはバルクに言った。「座って、我々にも巻物を読んでください。」そこで、バルクは彼らに巻物を読み聞かせた。
36:16 その言葉をすべて聞き終わると、彼らは皆、おののいて互いに顔を見合わせ、バルクに言った。「この言葉はすべて王に伝えねばならない。」
36:17 更にバルクに尋ねた。「どのようにして、このすべての言葉を書き記したのか教えてください。彼の口述ですか。」
36:18 バルクは答えた。「エレミヤが自らわたしにこのすべての言葉を口述したので、わたしが巻物にインクで書き記したのです。」
36:19 そこで、役人たちはバルクに言った。「あなたとエレミヤは急いで身を隠しなさい。だれにも居どころを知られてはなりません。」
36:20 彼らは巻物を書記官エリシャマの部屋に納めて、宮廷にいる王のもとに赴き、その言葉をすべて王に伝えた。
36:21 王はユディを遣わして、巻物を取って来させた。彼は書記官エリシャマの部屋から巻物を取って来て、王と王に仕えるすべての役人が聞いているところで読み上げた。
36:22 王は宮殿の冬の家にいた。時は九月で暖炉の火は王の前で赤々と燃えていた。
36:23 ユディが三、四欄読み終わるごとに、王は巻物をナイフで切り裂いて暖炉の火にくべ、ついに、巻物をすべて燃やしてしまった。
36:24 このすべての言葉を聞きながら、王もその側近もだれひとり恐れを抱かず、衣服を裂こうともしなかった。
36:25 また、エルナタン、デラヤ、ゲマルヤの三人が巻物を燃やさないように懇願したが、王はこれに耳を貸さなかった。
36:26 かえって、王は、王子エラフメエル、アズリエルの子セラヤ、アブデエルの子シェレムヤに命じて、書記バルクと預言者エレミヤを捕らえようとした。しかし、主は二人を隠された。

詩篇 119:89 主よ、とこしえに 御言葉は天に確立しています。
119:90 あなたへの信仰は代々に続き あなたが固く立てられた地は堪えます。
119:91 この日に至るまで あなたの裁きにつき従って来た人々は すべてあなたの僕です。
119:92 あなたの律法を楽しみとしていなければ この苦しみにわたしは滅びていたことでしょう。
119:93 わたしはあなたの命令をとこしえに忘れません それによって命を得させてくださったのですから。
119:94 わたしはあなたのもの。どうかお救いください。あなたの命令をわたしは尋ね求めます。
119:95 神に逆らう者はわたしを滅ぼそうと望んでいます。わたしはあなたの定めに英知を得ます。
119:96 何事にも終りと果てがあるのをわたしは見ます。広大なのはあなたの戒めです。

2コリント 7:2 わたしたちに心を開いてください。わたしたちはだれにも不義を行わず、だれをも破滅させず、だれからもだまし取ったりしませんでした。
7:3 あなたがたを、責めるつもりで、こう言っているのではありません。前にも言ったように、あなたがたはわたしたちの心の中にいて、わたしたちと生死を共にしているのです。
7:4 わたしはあなたがたに厚い信頼を寄せており、あなたがたについて大いに誇っています。わたしは慰めに満たされており、どんな苦難のうちにあっても喜びに満ちあふれています。
7:5 マケドニア州に着いたとき、わたしたちの身には全く安らぎがなく、ことごとに苦しんでいました。外には戦い、内には恐れがあったのです。
7:6 しかし、気落ちした者を力づけてくださる神は、テトスの到着によってわたしたちを慰めてくださいました。
7:7 テトスが来てくれたことによってだけではなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、そうしてくださったのです。つまり、あなたがたがわたしを慕い、わたしのために嘆き悲しみ、わたしに対して熱心であることを彼が伝えてくれたので、わたしはいっそう喜んだのです。
7:8 あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、わたしは後悔しません。確かに、あの手紙が一時にもせよ、あなたがたを悲しませたことは知っています。たとえ後悔したとしても、
7:9 今は喜んでいます。あなたがたがただ悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたが悲しんだのは神の御心に適ったことなので、わたしたちからは何の害も受けずに済みました。
7:10 神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。
7:11 神の御心に適ったこの悲しみが、あなたがたにどれほどの熱心、弁明、憤り、恐れ、あこがれ、熱意、懲らしめをもたらしたことでしょう。例の事件に関しては、あなたがたは自分がすべての点で潔白であることを証明しました。
7:12 ですから、あなたがたに手紙を送ったのは、不義を行った者のためでも、その被害者のためでもなく、わたしたちに対するあなたがたの熱心を、神の御前であなたがたに明らかにするためでした。



神の救いの契約の言葉を宣べ伝える働きは、信仰を持って受け止められ、喜んでもらえることもあるが、多くの場合、無視されたり、退けられたり、時には御言葉を語る者に対する迫害となって返ってくることもある。
罪の悔い改めを説いたり、神に従う事を勧めたりするためであろうか、欲に従って生きようとする人間にとっては、受け入れられないことが多いからなのだろう。
いつの時代でも神の御言葉を宣べ伝える働きを担う者たちは苦難を強いられてきた。
時には命がけで御言葉を宣べ伝えようとした者もいた。
彼らの命がけの働きがあったからこそ、現代にも聖書の御言葉が語り伝えられている事を思う時、御言葉をおろそかにしたり、御言葉を解き明かす人たちを軽んじてはならないと思わされる。
旧約の時代などは、御言葉を書き記す羊皮紙など、とても高価なものであったはずである。
現代のように紙の書物が大量に印刷できたり、さらには、データとしていくらでもコピーできてしまうような時代では、御言葉に対するありがたみは消え失せて行くのかもしれない。
礼拝ですら、自宅でオンラインで済ませられてしまう時代である。
神の御言葉を宣べ伝えた人たちは、いつの時代でも命をかけてこの働きに取り組んできたことでろうし、なによりも、御言葉の中心であるイエス・キリストは、私たちの救いのために文字通り命を捧げられたお方である。
命がけの御言葉である聖書に対し、私たち御言葉に聞く者も、全身全霊をかけて聞いていくものとなりたい。
困難な時代にあって、今なお御言葉の奉仕に取り組んでおられる全ての方々に感謝と敬意を表したい。