イザヤ61章1~7節、詩篇19篇、ローマ7章1~6節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ 61:1 主はわたしに油を注ぎ 主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして 貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み 捕らわれ人には自由を つながれている人には解放を告知させるために。
61:2 主が恵みをお与えになる年 わたしたちの神が報復される日を告知して 嘆いている人々を慰め
61:3 シオンのゆえに嘆いている人々に 灰に代えて冠をかぶらせ 嘆きに代えて喜びの香油を 暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。彼らは主が輝きを現すために植えられた 正義の樫の木と呼ばれる。
61:4 彼らはとこしえの廃虚を建て直し 古い荒廃の跡を興す。廃虚の町々、代々の荒廃の跡を新しくする。
61:5 他国の人々が立ってあなたたちのために羊を飼い 異邦の人々があなたたちの畑を耕し ぶどう畑の手入れをする。
61:6 あなたたちは主の祭司と呼ばれ わたしたちの神に仕える者とされ 国々の富を享受し 彼らの栄光を自分のものとする。
61:7 あなたたちは二倍の恥を受け 嘲りが彼らの分だと言われたから その地で二倍のものを継ぎ 永遠の喜びを受ける。

詩篇 19:1  指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。
19:2 天は神の栄光を物語り 大空は御手の業を示す。
19:3 昼は昼に語り伝え 夜は夜に知識を送る。
19:4 話すことも、語ることもなく 声は聞こえなくても
19:5 その響きは全地に その言葉は世界の果てに向かう。そこに、神は太陽の幕屋を設けられた。
19:6 太陽は、花婿が天蓋から出るように 勇士が喜び勇んで道を走るように
19:7 天の果てを出で立ち 天の果てを目指して行く。その熱から隠れうるものはない。
19:8 主の律法は完全で、魂を生き返らせ 主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える。
19:9 主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え 主の戒めは清らかで、目に光を与える。
19:10 主への畏れは清く、いつまでも続き 主の裁きはまことで、ことごとく正しい。
19:11 金にまさり、多くの純金にまさって望ましく 蜜よりも、蜂の巣の滴りよりも甘い。
19:12 あなたの僕はそれらのことを熟慮し それらを守って大きな報いを受けます。
19:13 知らずに犯した過ち、隠れた罪から どうかわたしを清めてください。
19:14 あなたの僕を驕りから引き離し 支配されないようにしてください。そうすれば、重い背きの罪から清められ わたしは完全になるでしょう。
19:15 どうか、わたしの口の言葉が御旨にかない 心の思いが御前に置かれますように。主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ。

ローマ 7:1 それとも、兄弟たち、わたしは律法を知っている人々に話しているのですが、律法とは、人を生きている間だけ支配するものであることを知らないのですか。
7:2 結婚した女は、夫の生存中は律法によって夫に結ばれているが、夫が死ねば、自分を夫に結び付けていた律法から解放されるのです。
7:3 従って、夫の生存中、他の男と一緒になれば、姦通の女と言われますが、夫が死ねば、この律法から自由なので、他の男と一緒になっても姦通の女とはなりません。
7:4 ところで、兄弟たち、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています。それは、あなたがたが、他の方、つまり、死者の中から復活させられた方のものとなり、こうして、わたしたちが神に対して実を結ぶようになるためなのです。
7:5 わたしたちが肉に従って生きている間は、罪へ誘う欲情が律法によって五体の中に働き、死に至る実を結んでいました。
7:6 しかし今は、わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されています。その結果、文字に従う古い生き方ではなく、"霊"に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。



戦後、国土も人の心も荒廃した日本に、異国から聖書の福音を宣べ伝えるために多くの宣教師たちが遣わされ、何人もの人々が救われた。
私たちの教会は、そうして出来上がった。
当時の困難な状況とはまた性質が異なるが、今の時代も様々な事が荒廃しつつあるように見える。
人は減り、将来はおろか、今の働きを維持することさえ頭を悩ませる。
しかし、そのような中にあっても、神の言葉は変わることなく私たちに慰めを与えてくれる。
何をしなければならないということでもない。
案外、手放してみると、そんなに大事なものではなかったとわかることもある。
何が大切で、何がそうでないのか、こんな時代だからこそ深く吟味して、本当に大切なことだけに専念できるように努めていくことが大事なのではないだろうか。
理想を掲げることは悪いことではないが、あまりに現実離れしたものだと、それはもはや理想とは言えない。
イエス様は、現実の世に生きる罪深い私たちを救うため、この世界において人として十字架で死なれたのでる。
おとぎ話ではなく、歴史の中で実際に死なれたのである。
私たちも現実の世界に生きている。
現実の世界で、肉に従うのではなく、霊に従って生きていく。
そういうものでありたい。