雅歌4章1~8節、詩篇145篇、1コリント1章3~17節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

雅歌 4:1 恋人よ、あなたは美しい。あなたは美しく、その目は鳩のよう ベールの奥にひそんでいる。髪はギレアドの山を駆け下る山羊の群れ。
4:2 歯は雌羊の群れ。毛を刈られ 洗い場から上って来る雌羊の群れ。対になってそろい、連れあいを失ったものはない。
4:3 唇は紅の糸。言葉がこぼれるときにはとりわけ愛らしい。ベールの陰のこめかみはざくろの花。
4:4 首はみごとに積み上げられたダビデの塔。千の盾、勇士の小盾が掛けられている。
4:5 乳房は二匹の小鹿。ゆりに囲まれ草をはむ双子のかもしか。
4:6 夕べの風が騒ぎ、影が闇にまぎれる前に ミルラの山に登ろう、乳香の丘にわたしは登ろう。
4:7 恋人よ、あなたはなにもかも美しく 傷はひとつもない。
4:8 花嫁よ、レバノンからおいで おいで、レバノンから出ておいで。アマナの頂から、セニル、ヘルモンの頂から 獅子の隠れが、豹の住む山から下りておいで。

詩篇 145:1  賛美。ダビデの詩。 わたしの王、神よ、あなたをあがめ 世々限りなく御名をたたえます。
145:2 絶えることなくあなたをたたえ 世々限りなく御名を賛美します。
145:3 大いなる主、限りなく賛美される主 大きな御業は究めることもできません。
145:4 人々が、代々に御業をほめたたえ 力強い御業を告げ知らせますように。
145:5 あなたの輝き、栄光と威光 驚くべき御業の数々をわたしは歌います。
145:6 人々が恐るべき御力について語りますように。大きな御業をわたしは数え上げます。
145:7 人々が深い御恵みを語り継いで記念とし 救いの御業を喜び歌いますように。
145:8 主は恵みに富み、憐れみ深く 忍耐強く、慈しみに満ちておられます。
145:9 主はすべてのものに恵みを与え 造られたすべてのものを憐れんでくださいます。
145:10 主よ、造られたものがすべて、あなたに感謝し あなたの慈しみに生きる人があなたをたたえ
145:11 あなたの主権の栄光を告げ 力強い御業について語りますように。
145:12 その力強い御業と栄光を 主権の輝きを、人の子らに示しますように。
145:13 あなたの主権はとこしえの主権 あなたの統治は代々に。
145:14 主は倒れようとする人をひとりひとり支え うずくまっている人を起こしてくださいます。
145:15 ものみながあなたに目を注いで待ち望むと あなたはときに応じて食べ物をくださいます。
145:16 すべて命あるものに向かって御手を開き 望みを満足させてくださいます。
145:17 主の道はことごとく正しく 御業は慈しみを示しています。
145:18 主を呼ぶ人すべてに近くいまし まことをもって呼ぶ人すべてに近くいまし
145:19 主を畏れる人々の望みをかなえ 叫びを聞いて救ってくださいます。
145:20 主を愛する人は主に守られ 主に逆らう者はことごとく滅ぼされます。
145:21 わたしの口は主を賛美します。すべて肉なるものは 世々限りなく聖なる御名をたたえます。

1コリント 1:3 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
1:4 わたしは、あなたがたがキリスト・イエスによって神の恵みを受けたことについて、いつもわたしの神に感謝しています。
1:5 あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされています。
1:6 こうして、キリストについての証しがあなたがたの間で確かなものとなったので、
1:7 その結果、あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます。
1:8 主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。
1:9 神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。
1:10 さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。
1:11 わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。
1:12 あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。
1:13 キリストは幾つにも分けられてしまったのですか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのですか。
1:14 クリスポとガイオ以外に、あなたがたのだれにも洗礼を授けなかったことを、わたしは神に感謝しています。
1:15 だから、わたしの名によって洗礼を受けたなどと、だれも言えないはずです。
1:16 もっとも、ステファナの家の人たちにも洗礼を授けましたが、それ以外はだれにも授けた覚えはありません。
1:17 なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。



雅歌に歌われている歌は、愛する女性に対して歌われた愛の歌であるが、それはまるで、主なる神様がどれほど私たちのことを愛しておられるかということを言葉に表したもののように思える。
一方、詩篇に語られている内容は、主なる神様をほめたたえる賛美の歌であり、人から神への愛の歌とも言えるだろう。
人は神からの真っすぐな愛を受けてはじめて人として生きることができるし、神の愛を受けた者は、まっとうな人として神をまっすぐに褒め称えることができるわけで、こうして神と人との間の健全な交わりが構築されていくのである。
そのような神と人との間において、健全な交わりが構築されている時、はじめて人は自分以外の他者、すなわち自分と同じ人間にも健全な態度で接しうるようになる。
なぜなら、神に愛され、生かされていることを知った者こそが、本当の意味での人としてのあり方、生き方を知っているからである。
神に愛され、神を愛するようになった人こそ真の人、そして、そのような真の人だからこそ、人を愛すことができるようになるのだろう。
相手も自分と同じ「神に愛された人」であることを知っているからである。

ヨハネ14:23 イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。
14:24 わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。

ヨハネ15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。
15:10 わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。
15:11 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。
15:12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。

もちろん、他者を愛することは、そう簡単なことではないけれども「神が愛された人たち」であるという事実を覚えながら、受け留め、神の祝福を祈るものとならせていただきたいものである。