列王記上3章5~14節、詩篇147篇12~20節、ヨハネ8章12~19節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

列王記上 3:5 その夜、主はギブオンでソロモンの夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われた。
3:6 ソロモンは答えた。「あなたの僕、わたしの父ダビデは忠実に、憐れみ深く正しい心をもって御前を歩んだので、あなたは父に豊かな慈しみをお示しになりました。またあなたはその豊かな慈しみを絶やすことなくお示しになって、今日、その王座につく子を父に与えられました。
3:7 わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。
3:8 僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。
3:9 どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」
3:10 主はソロモンのこの願いをお喜びになった。
3:11 神はこう言われた。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。
3:12 見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。
3:13 わたしはまた、あなたの求めなかったもの、富と栄光も与える。生涯にわたってあなたと肩を並べうる王は一人もいない。
3:14 もしあなたが父ダビデの歩んだように、わたしの掟と戒めを守って、わたしの道を歩むなら、あなたに長寿をも恵もう。」

詩篇 147:12 エルサレムよ、主をほめたたえよ シオンよ、あなたの神を賛美せよ。
147:13 主はあなたの城門のかんぬきを堅固にし あなたの中に住む子らを祝福してくださる。
147:14 あなたの国境に平和を置き あなたを最良の麦に飽かせてくださる。
147:15 主は仰せを地に遣わされる。御言葉は速やかに走る。
147:16 羊の毛のような雪を降らせ 灰のような霜をまき散らし
147:17 氷塊をパン屑のように投げられる。誰がその冷たさに耐ええよう。
147:18 御言葉を遣わされれば、それは溶け 息を吹きかけられれば、流れる水となる。
147:19 主はヤコブに御言葉を イスラエルに掟と裁きを告げられる。
147:20 どの国に対しても このように計らわれたことはない。彼らは主の裁きを知りえない。ハレルヤ。

ヨハネ 8:12 イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
8:13 それで、ファリサイ派の人々が言った。「あなたは自分について証しをしている。その証しは真実ではない。」
8:14 イエスは答えて言われた。「たとえわたしが自分について証しをするとしても、その証しは真実である。自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ。しかし、あなたたちは、わたしがどこから来てどこへ行くのか、知らない。
8:15 あなたたちは肉に従って裁くが、わたしはだれをも裁かない。
8:16 しかし、もしわたしが裁くとすれば、わたしの裁きは真実である。なぜならわたしはひとりではなく、わたしをお遣わしになった父と共にいるからである。
8:17 あなたたちの律法には、二人が行う証しは真実であると書いてある。
8:18 わたしは自分について証しをしており、わたしをお遣わしになった父もわたしについて証しをしてくださる。」
8:19 彼らが「あなたの父はどこにいるのか」と言うと、イエスはお答えになった。「あなたたちは、わたしもわたしの父も知らない。もし、わたしを知っていたら、わたしの父をも知るはずだ。」



本日の日課の列王記の箇所は、昨日の歴代誌の箇所とほぼ同じ内容となっている。
細かい記述に若干の違いはあるが、ほとんど同じ内容と言っていいだろう。
大きく異なっている点と言えば、歴代誌では「神」と記されているところが、列王記では「主」となっていることくらいであろうか。
「神」よりも「主」という言い方を用いる場合「救い主」というイメージが強く感じられる。
ただ単に、この世界を創り、治めておられる「神」だけではなく、その「神」ご自身が私と直接かかわりを持って下さり、この私のために救いの御業を成し遂げて下さった、まさに私の「主」である」ということを想起させる名であると言えるだろう。
「イエスは主である」と告白する時、あの十字架で死なれたイエス様の死が、この私のためであったし、私はこのお方のおかげで救いの恵みに与ることができたのであり、この方なしには存在しえない、そういう信仰を伴うものであると言えるだろう。
イエス様が私の存在のために必要不可欠なお方であり、まさに私の「主」であるお方であるからこそ、私は生きていける。
ソロモンは、自分の祝福だけを願わず、イスラエルの民をうまく治めて行くための知恵を求めた。
それは、ソロモンがイスラエルの民と共に生きて行くことを大切に考えたからであろう。
自分とは無関係な人たちではなく、どこかで必ずつながっている、そう考えれば、自分と無関係な他人などいない。
同じ時代に、同じ国に生まれた人たちに、命をかけて救いの御業を成し遂げて下さった救い主イエス様の祝福が豊かにありますように。