サムエル下7章18~29節、詩篇90篇、黙示録22章12~16節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

サムエル下 7:18 ダビデ王は主の御前に出て座し、次のように言った。「主なる神よ、何故わたしを、わたしの家などを、ここまでお導きくださったのですか。
7:19 主なる神よ、御目には、それもまた小さな事にすぎません。また、あなたは、この僕の家の遠い将来にかかわる御言葉まで賜りました。主なる神よ、このようなことが人間の定めとしてありえましょうか。
7:20 ダビデはこの上、何を申し上げることができましょう。主なる神よ、あなたは僕を認めてくださいました。
7:21 御言葉のゆえに、御心のままに、このように大きな御業をことごとく行い、僕に知らせてくださいました。
7:22 主なる神よ、まことにあなたは大いなる方、あなたに比べられるものはなく、あなた以外に神があるとは耳にしたこともありません。
7:23 また、この地上に一つでも、あなたの民イスラエルのような民がありましょうか。神は進んでこれを贖って御自分の民とし、名をお与えになりました。御自分のために大きな御業を成し遂げ、あなたの民のために御自分の地に恐るべき御業を果たし、御自分のために、エジプトおよび異邦の民とその神々から、この民を贖ってくださいました。
7:24 主よ、更にあなたはあなたの民イスラエルをとこしえに御自分の民として堅く立て、あなた御自身がその神となられました。
7:25 主なる神よ、今この僕とその家について賜った御言葉をとこしえに守り、御言葉のとおりになさってください。
7:26 『万軍の主は、イスラエルの神』と唱えられる御名が、とこしえにあがめられますように。僕ダビデの家が御前に堅く据えられますように。
7:27 万軍の主、イスラエルの神よ、あなたは僕の耳を開き、『あなたのために家を建てる』と言われました。それゆえ、僕はこの祈りをささげる勇気を得ました。
7:28 主なる神よ、あなたは神、あなたの御言葉は真実です。あなたは僕にこのような恵みの御言葉を賜りました。
7:29 どうか今、僕の家を祝福し、とこしえに御前に永らえさせてください。主なる神よ、あなたが御言葉を賜れば、その祝福によって僕の家はとこしえに祝福されます。」

詩篇 90:1  祈り。神の人モーセの詩。 主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。
90:2 山々が生まれる前から 大地が、人の世が、生み出される前から 世々とこしえに、あなたは神。
90:3 あなたは人を塵に返し 「人の子よ、帰れ」と仰せになります。
90:4 千年といえども御目には 昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません。
90:5 あなたは眠りの中に人を漂わせ 朝が来れば、人は草のように移ろいます。
90:6 朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい 夕べにはしおれ、枯れて行きます。
90:7 あなたの怒りにわたしたちは絶え入り あなたの憤りに恐れます。
90:8 あなたはわたしたちの罪を御前に 隠れた罪を御顔の光の中に置かれます。
90:9 わたしたちの生涯は御怒りに消え去り 人生はため息のように消えうせます。
90:10 人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても 得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。
90:11 御怒りの力を誰が知りえましょうか。あなたを畏れ敬うにつれて あなたの憤りをも知ることでしょう。
90:12 生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。
90:13 主よ、帰って来てください。いつまで捨てておかれるのですか。あなたの僕らを力づけてください。
90:14 朝にはあなたの慈しみに満ち足らせ 生涯、喜び歌い、喜び祝わせてください。
90:15 あなたがわたしたちを苦しめられた日々と 苦難に遭わされた年月を思って わたしたちに喜びを返してください。
90:16 あなたの僕らが御業を仰ぎ 子らもあなたの威光を仰ぐことができますように。
90:17 わたしたちの神、主の喜びが わたしたちの上にありますように。わたしたちの手の働きを わたしたちのために確かなものとし わたしたちの手の働きを どうか確かなものにしてください。

黙示録 22:12 見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。
22:13 わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。
22:14 命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである。
22:15 犬のような者、魔術を使う者、みだらなことをする者、人を殺す者、偶像を拝む者、すべて偽りを好み、また行う者は都の外にいる。
22:16 わたし、イエスは使いを遣わし、諸教会のために以上のことをあなたがたに証しした。わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。」


ダビデは、自分が神の家すなわち神殿を建てることを悲願としていたが、その願いはかなわず、ソロモンに受け継がれていく。
しかし、ダビデは「神自らが神の家を建てる」とダビデに約束されたことを受け、その神の家が神殿だけのことを意味しているのではないことを悟り、神ご自身がダビデの家を祝福して下さることを感謝し、神をほめたたえている。
だから、ダビデは神殿を建てるという目に見える形よりも、イスラエルの家が反映し、祝福されることのほうがどれだけ大切なことであるかということを理解したことであろう。
しかし、ダビデは王としての歩みを続けていくうちに、バテ・シェバとの姦淫の罪を犯してしまうのである。
罪とは、おおよそ、人目につかないところで行われることが多い。
日本においても、バレなければOKといった風潮がみられるし、そういった態度は、神なき民ゆえの現実の姿と言える。
しかし、神は生きておられる。
そして、全てをご覧になっている。
どんなに見た目では上手く行っているようでも、その内実はどうであろうか。
心の王座に、誰が、何が居座っているのだろうか。
いくら荘厳な神殿を建設しても、その王座が空っぽだったり、あるいは、欲にまみれた自分自身が居座っているのなら、空しいだけである。
どんなにみすぼらしい建物であったとしても、その中心に真実の神をお迎えし、神と共に歩もうとしているのなら、その人は祝福される。
このクリスマス、イエス様がこの世界の片隅の薄汚い馬小屋にお生まれ下さったことを覚えつつ、こんなうす汚れた罪深い私のためにもお生まれ下さったことを覚え、心のうちに救い主イエス様をお迎えしたい。