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tablaboyの道日記

祈りによる世界平和運動、祈り研究をライフワークとし、音楽、散歩が趣味です。音楽に関する記事、スピリチュアリティーに関する記事、祈りに関する記事、随時アップしてゆきますので、楽しんでください(^^♪ 世界人類が平和でありますように

サッカーの長友選手と平愛梨さんの特集をテレビでやっていましたが、二人の間に愛が起こったのだと思いました。愛は”する”のではなく、”起こる”もの、する人が消えて、愛がその人を乗っ取り”起こる”ものだと思います。このお二人はとてもいい感じで、これは守護の神霊が結び付けたカップルだと思いました。とても純粋なものを感じます。祈りで魂を純化してゆけば、必要ならばかならず守護の神霊がパートナーと出会わせてくれるでしょう。

お二人の天命が完うされますように

 

「神様にまかせきる」より

 

愛とは

 愛というのはどういうことか、というと、陰陽に分かれたのが相寄る時に起こる感情なんです。たとえば前世において、直霊から分かれた分霊同士がここで会いますね。そうすると、ああ親しいな! 懐かしいな! と愛を感じます。愛情を感じる。それで結ばれてゆく。それは昔は一つだったからね。昔は一だったものが分かれていて、それが会うから愛を感じる。

 人類愛というのがありますね。それはどういうことかというと、人類はみな一つです。大神様において一つなんだ、一つのいのちだったものだから、ああみんなが救われますように、みんなよくなりますように、とこう思う。世界平和が出来ますように、と思う。これは人類愛です。その人類愛というものは、世界人類の中に自分が入ってしまう。飛び込んでいってしまうことなのです。ということは、神様のみ心の中に入ってしまうことなのです。分かれたものが世界人類の平和を祈る時には、世界人類の中に自分が入ってゆくのです。その時に愛が起こる。それを人類愛という。大きく言うと人類愛、個人的ならばふつうの愛情なのね。

 自分が楽しむために、男の子や女の子がデートしたりするでしょ。それは愛じゃないんです。業なんです。業をその時々消していると、本当の愛が出てくるんです。古事記のイザナギ、イザナミではないけれど“ああいとしの人よ”と分かれていたものが一つになる、そういう時は本当の愛が起こる

 世界平和の祈りをしていれば、ちゃんと会うべき人が出てきます。ですから若い人は一生懸命やんなさい。世界平和の祈りをしていて、一つの魂が二つに分かれていて、それがパッと会って愛情を感じる、という場合がある。それは守護霊守護神が会わせた結ばれです。

 

 

世界人類が平和でありますように

May peace prevail on earth

「神さまにまかせきる」より

 

人間は想いがすべてです。昨日もドイツで痛ましいテロ事件がありました。本日も新潟で大きな火事がありました。犠牲者、被害者の方に心よりお見舞い申し上げます。

どうかその方々の天命が完うされますように

 

しかし、その原因は過去の自分の想いにあります。想いが未来を描き、創造し、決定してるのです。

一瞬一瞬の自分の想いの波が自分の運命、集団の運命、国家の運命を決定してゆきます。

一瞬一瞬、この今の想いが自分の運命を作り上げてゆくのですから、とてもとても大事なのです。おろそかにすることはできません。

だいたい”肉体の人間は想いの波によってできている”と五井先生はおっしゃいます。

それを光の波に変えること・・それが祈りの真義だと思います。

その方法をやさしく、誰にもできるように、3歳から100歳のおじいちゃん、おばあちゃんでもできる道を開いてくださっています。その道を進むかどうかは、個人の自由です。

 

 

想いを持ったまま、妬みなら妬みの想いを持ったまま、まっすぐ神様の中に入ってゆく。世界平和の祈りの中に入ってゆく。あるいは五井先生なら五井先生という中へ入っていってしまうんです。 そうすると、世界平和の祈りの神様が引き受ける。五井先生に働いている神様が引き受けて、スパッと消してくれるんですね。だから構わず入ってゆくんです。持ったまま構わず入ってゆく。 全託するということは、悪い想いも善い想いも、すべて神様の中に入れてしまうことなんですよ。

悪い想いだけは「これはいけないから」と言ってとっておいて入ろう、というんではない。

それでは始めから入る必要はないんですよ。地上界の人間はまだ全般に修練が足りないから、チャッチャッと想いを超えることは出来ない。短気の想いも超えられない。妬みの想いも超えられない。超えようとすると苦しいんですよ。だからそうではなくて、想いを持ったまま飛び込むんです。 共同風呂ならば、外で汚れを落としてからお湯に入る、というのが礼儀だけれど、神様の世界は構わずダッと入っちゃえばいいんです。そうすると神様は無限の光だから、ピューッと消してくれるのです。だから凡夫が凡夫のまま、迷いのまま、妬みのまま、恨みのまま、恐怖のまま入ればいいんです。

 恐怖の想いが起こってきたら、逃げちゃ駄目ですよ。たとえば地震がある、とか言われると「ああどうしよう」と思うでしょ。そう思っているうちは駄目です。どうしたらいいかと言うと、世界平和の祈りの中に入ってしまう。

「五井先生がいるから大丈夫だ、五井先生!」と言うと、想いが五井先生の中に入る。

するとなくなってしまう。

原理は実に簡単なんですよ。悟るということは、実に簡単なことなんです。

仏教の大蔵経を全部読まなきゃわからないものではない。聖書を旧約から新約から全部読まなきゃわからないようなもんじゃない。簡単なんです。想いがすべてのすべてなんです。

 

世界人類が平和でありますように

May peace prevail on earth

 

「明るい心」より

 

 世界平和を祈っている人はたくさんいます。各国で祈っているでしょう。

しかし、自分の本心が神さまの中に在り、自分は神の子であり、神そのものでもある、世界平和の祈りは、神さまが自分を通してやっているのだから、自分は“世界人類が・・・”と思えばいい。思えば神さまの中ヘスーッと入ってゆく。

ダイヤルをまわせば神さまの光が入ってくる。自分がよけいな想いで、この世の中はダメなんだ、とか、これはダメなんだとかいっているのを、捨てさえすればいい。

ところがただでは捨てられないから、世界人類が平和でありますように、という祈りにして、神さまの中に入ってしまう。こういうように世界平和の祈りを説いている人はないですね。それで、もともと神さまの世界は平和なのであって、ただ人間が邪魔しているだけなのです。人間の業想念で、相手を敵とみて、防備しなければやられてしまう、というような恐怖の想いがいっばいに満ちみちているので、世界が平和にならない。そういう想いさえなくなればよくなる。太陽は赫々と照っているし、月もこうこうと輝いているのだけれど、雲があって、光をそのまま通さない、雲さえどけば、もともと、太陽は照っているんだから、空は青空です。雲をどかすためにはどうしたらいいかというと、業想念を流れるままにしておいて、神さま有難うございます、とやるのです。

 嫉妬心は嫉妬心のままで結構、恨み心は恨み心のままでいい。短気は短気のままで結構だから、そのままにしておいて、神さま有難うございます、有難うございます、といっていると、業想念はいつの間にか消えてしまうんです。つかんでいるから直らない。これをはなせば、だんだん、と知らないうちに消えてゆきます。時間がかかるかもしれません。かかってもいいんだ。神さまとつながっている想いの中から、光が流れて来て、自然と短気とか恨み心とか嫉妬心が消えてしまう。消されてしまうのです。

これがほんとうの意味の南無阿弥陀仏なんです。浄土門的法華経なのです。イエスが教えたのはそういうことだったのです。むずかしい理論じゃわかりません。むずかしい理論はいらないんです。ただ守護霊さん守護神さん有難うございます、世界人類が平和でありますように、日本が平和でありますように、私たちの天命が完うされますように・・・これだけがいつもいつも心の中にある、自分の生活の中にあれば、その人の生活は悪くなろう道理がない。

 

五井先生の教えは非常に簡単明瞭です。

この世界平和の祈りを続けていれば、光り輝く人間(神人)になり、個人も人類も真の救われを体得でき、世界は完全に平和になる。ただそれだけなんですね。その道を援助するために統一や柏手のお浄めや個人指導や守護の神霊の守りがあります。

私も呼吸法、ヴィパッサナなどいろいろ勉強、実践してきましたけれど、やはり最後はただ「世界人類が平和でありますように、神様ありがとうございます」という祈りを心に想う、ということにゆきつくのです。

 

世界人類が平和でありますように

May peace prevail on earth

 

 

五井先生のご両親のお話で、とても参考になります。私の父ももう移行しましたが、移行の数日前、見舞いに行った母から「いままで見たこともないすばらしい笑顔だったよ」と聞いて、とても安心した数日後、移行してゆきました。母はもともと信仰心の深い家系の人ですが、しっかり五井先生、守護の神霊、世界平和の祈りでさらに深い信仰になって、「いつ死んで思い残すことなし、最高に幸せ」といつも言っています。私が若いころに五井先生につながったので、母も命がけで私が祈りを続けているを見て、これは本物だとわかって、だんだん深く五井先生を信頼するようになっていったと思います。自分では知らないのですが「おまえ夜中に柏手をたたいていたよ」と母から言われたことがあります。とにかく寝ても覚めても祈り、統一に徹していた時期だったので、寝ている間に五井先生が身体の中に入って柏手をたたいてお浄めしてくださったのだと思います。私も母を世界平和の祈りで送ることになると思います。できれば宇宙子波動生命物理学が発表され、すばらしい世界ができる道筋が見えてから送りたい、と思っています。

 

 

「想いが世界を創っている」より

 

そこでこの人間にとって、一番の恩人は誰かというと、やっぱりお母さんですね。

生んでくれたということだけでもお母さんです。何故かというと、幽界でぐるぐる廻って、どうにもならない、いつまでたっても一つの渦からぬけ切れないことは、これは苦しみの連続です。その苦しみから救い出すのは誰かというと、こちらにあるお母さん、お父さんの魂と、守護の神霊が相談して「お前のところにやるから、よろしく頼む」というので、こちらに生まれ出てくるわけなんです。

 お母さんの現実の心とお父さんの現実の心が知っていようと知るまいと、生まれてくるわけなんです。生まれてきて、肉体の世界で業を消してゆくわけなんです。

消してゆくことによって、幽界に入って苦しまなくてすむような状態が出てくるわけなのね。

 幽界にいたのではどうにもならない場合があるんですよ。世界平和の祈りが生まれてくると、大分、様相が違ってくるんです。世界平和の祈りの大光明というのは、いかなるものも、幽界も何も全部浄めて救うからね。救世の大光明のようなものが出て来てしまうと、もう問題にならないんですけれどね。

 今までの世界においては、肉体界に生まれてくるということは、業を浄めるための最大の方法なんです。それで肉体に生まれてくるということになる。だから生まれただけでも有り難いのですよ。

 ところが生まれてこないほうがよかった、という人が随分いる。本当にバチ当たりだと思うんだ私は。だけれどその人は知らないんだから仕方がない。親が生んで何も世話をしないで、生みっぱなしでどこかへ行っちゃった人もあるでしょう。そういう人だって、母親は恩人なのです。そこで親孝行というものは恩を返す一番の方法はどういうことかというと、親をいい世界へ送ってあげるということです。

 

親は恩人

 

親にうまいものを食べさせたり、お金をあげたり、愛してやるというのも親孝行ですけれども、どうせ親のほうが先に逝くに決まっていますね。ふつうに言えばそうでしょう。幽界の地獄になんか送らないで、親をいい世界、霊界やあるいは神界に送ってやる、ということが、一番の親孝行なのです。それ以上の親孝行はありません。この世でご馳走して喜ばせる。それも親孝行ですよ、けれどもその何乗倍という程の親孝行は、親の魂を目覚めさせて、霊性を開発させてやって、いい世界にやること。これが一番の親孝行なんですよ。皆さん、親を亡くした人も、お婆さんを亡くした人もいろいろあるわけですが、皆、世界平和の祈りの中に入っていると、亡くなったお婆さんも天国に行くし、これから亡くなろうとしているお婆さん方も、やっぱり天国に行くようになってゆくわけです。それにはまず、子どもが信仰に入って、お婆さんお爺さんを浄めた人もあるでしょう。あべこべに親が入って、子どもたちを浄めている場合もある。子どもの側としては、まず自分が世界平和の祈りの中に入って、世界平和の祈りの中から、親をいい所に送ってやることが、一番の親孝行だと思うんです。

 前にも話したことかありますけれど、私は父親と母親をもう天へ送っています。それで生みの父親、母親というのは、この世にいる時は当たり前の凡夫で、何も特別の仕事をしていないんですよ。特別に世の中のために尽くしたこともなければ、社会事業をやったわけでもない。ただ当たり前のお父さんお母さんです。この世になんの功績もないわけです。

 なんの功績があったかというと、私を生んでくれたというのが功績なんです。お母さんだけでは生めないから、お母さんお父さん両方の功績なんです。母親のほうはつきっきりで、赤ん坊の時はおしめから何からしてくれたわけですね。昔のことを言われると、私困っちゃう。私に六十ぐらいの姉がいましてね、昔、私のことを昌ちゃんと言ったのね。

 「昌ちゃんのおしめを取り替えてネよく……」なんて言われると「そうかな、そうすると有り難いんだな」と思って、お小遣いもやっちゃうんですよ(笑)赤ん坊の時から世話をしてくれたという者には、どうも頭があがらないですよね。どんなにこっちが偉くなったって、親だとか兄貴だとか姉だというのには、頭があがらないものですよね。小さい時のことを知っているし、さんざん世話をかけているから。

そう言われたらこっちは「ああそうか、有難う」ということになるでしょう。

そういうふうに世話をしてくれたわけですね。父親なんかも特別優れていないし、気の弱い人だったし、あまりこの世で働いてもいないし、そのままでいけば本当にあまりいいところに行かないんですね《向こうで笑っているけれどね(笑)》たいしたところに行きやしない。

それだから私は一番先に、この父親を自分の信者にしたんですね。無理矢理に「観音様を拝みなさい。あなたは本当は罪が深いんだから、拝まなければだめだ」と断乎として拝ませたんですよ。「私の言うことを聞かなければだめだ」と叱りつけて拝ましたのです。

 そのうちちゃんと素直に拝んでいって、自然に業が払われていってきれいになり、どんどんいい魂になっていきました。それでちゃんと霊界に行きました。(注 昭和二十九年一月三日没) 母親のほうは大体いいことをしているし、強い人だし、気のはっきりした人だし、正しい人なんです。そして勇気のある人なものだから、そのままでも相当のところまで行くのです。しかし相当のところぐらい行っただけではしようがありませんから、母親にも私やっぱり文句を言ったんですよ。

「あなたはそういう心ではダメだ。そんなことではダメだ」なんてね。よく言った。「私が言ってんじゃない、お前さんの子どもが言うんじゃない、お前さんのお祖父さんが言うんだ」(笑)「これ聞けよ」とね。母親に子どもが言ったんじゃ効きめがないからサ、お祖父さんになりかわったりして、声色も使って、それで諌めたりなどした。だんだん立派になって、私の本などもよく読んで『神と人間』なんかも何回も読んだりした。「これはとてもいいご本だよ。神様のご本だよ。全くいいご本だよ」ってそんなことばかり言ってね。母親が亀有にいるから、月に一回ぐらい、お小遣いを持って遊びにゆくわけですよ。電話でゆくと知らせてありますから、遠くから来るのを待っているんです。

そして顔を見るとニコニコ笑いながら、「お前さんは私の子かね、私の子かねエ」これ随分話すけれどね(笑)つくづく眺めて言う。「お前さんは私の子かね、不思議な子が出来たものだ。私の子かね……」本当につくづく言っていた。亡くなる前にはわかったんですね。自分で生んだ子だけれど、自分で生んだ子でないような気がするんですね。「お前さんは私の子かねえ、不思議なんだねエ……」なんべんもそればっかり、会うたびに言ってましたよ。そのうち(昭三十三年九月十六日)に亡くなりましたけれど。

 亡くなる時には、子どもたちの世話にならないで、厄介にならないで、スッと逝きたい。そればっかりなのね。「いっぺんにスッと逝きたい。それやっておくれ」と私頼まれていたの。

それじゃスッとやってやろう、と思って(笑)そしたら亀有の兄貴のところから、夜、電話がかかってきたんです。「今、倒れた」という電話。その時私はすぐダメだと思った。わかったもうだめだと。家内は「ちゃんと決まってから行きましょう」と言ったけれど「そんなことだめだ。すぐ行かないと間に合わないぞ」とサアーッと家を飛び出して行ったら、待っていたように、私に浄められて天に逝っちゃったでしょう。

 柏手を打ったら、スクッと立ち上がって、ポンポンとやっているうちに立ち上がって、その時は白装束にスッとなっちゃうんです。面白いものですよ。浄まると白装束になるんです。白装束になってこっちを向いて、ニコニコって笑って立ち上がったのですよ。私だけにしか見えないんだけれどね。

 そうすると今度、天のほうから祝詞が聞こえてきて、守護の神霊が大光明の大霊団がスーッと降りてきて、母親をスッと持ち上げてゆくわけですね。スーッと上ってゆくんです。その時は祝詞でしたね。家は浄土真宗なんだから、南無阿弥陀仏で昇ってゆくかと思ったら、祝詞で上っていったんです。神道というのは一番奥の教えですからね。高い教えというか、一番、元のままの教えなわけです。そしてそこに行かなきゃならないわけです。それで神道の祝詞でスーッと上っていった。私も心配だから、一緒に上って行った。ちゃんと送り届けて帰ってきたんですね。

 そういうふうにちゃんと浄めてあると、とても立派なところに行くんです。だから皆さんだって、親御さんが亡くなったりする時には、世界平和の祈りで送ってあげれば、守護の神霊団が来て、ちゃんと持っていってくれるんですよ。そういうものなんですよ。それが一番の親孝行なんです。

 

世界人類が平和でありますように

May peace prevail on earth

 

「明るい心」より

 

物を売りに行くんでも、これ売れるかしら売れないかしら、と考えたってなんにもなりゃしない。試験を受けるにしても、受かるかしら受からないかしら、と考えたってなんにもなりゃしない。それよりも、行く道で "世界人類が平和でありますように、守護霊さん守護神さん有難うございます、わが天命を完うせしめ給え" この祈りをしながら歩いてゆくんですよ。そうしていると、光明をふりまいて歩いているんです。そうすれば受からないものも受かるだろうし、取れないものも取れるだろうし、売れないものも売れるだろう、ということになるのです。

  なぜそういうことになるかというと、自分が神の姿になっているから。ひたすら神さまにならなければだめだ。自分は本当に神さまの中にいたのだから、神さまにならなければだめですよ。誰でもなれるのです。病気でねていても、世界平和の祈りをしている時は、その人は救世主の働きをしているんです。大光明がそこに来ている。丈夫でピンピンしていて、儲けることばかり考えて、儲けることばかり喜んで、ただそれだけでとんだり跳ねたりしている人よりも病気でねていても、世界平和の祈りをしている人のほうが立派だということになる。

 この世の計算でいけば 「何いってんだ、ねていて何が出来る、そんなの寝言だ」 と思うかもしれないが、そう思うのは本当の真理を知らない人なのです。

人間というものは想いなのです。想いがすべてを支配する。その想いを神さままで高めてしまうのが、世界平和の祈りなのですよ。

 

想いが人間の運命を決定してゆきます。何を想うかは個人の自由で、いくらでも選択できます。「自己の本心は神である、光り輝くものである、愛そのものである、自由そのものである」という正念の中に想いを常に置いておき、世界平和の祈りをし、守護の神霊に感謝していれば、時間の問題、体験の問題はあるにしろ、いずれその人は覚者となることに間違いないと思います。

 

世界人類が平和でありますように

May peace prevail on earth

「神様にまかせきる」より

 

自分のこの奥を探ると、みんな入っているんです。分霊も入っていれば、直霊も入っていれば、大神様もこの中に入っているんです。一貫して続いている。この中に入っている。というのを空間的に見ると、天にある。だから金星の人が現われてくるのでも、向こうから現われてくるんだけれど、実はここ(胸の奥)から現われてくるのと同じなのです。

 これは少し難しいな、難しいけれど、そういうことなんです。

 みんな自分なんですよ。自分が一人なんです。皆さんここに坐っているでしょ、みんな自分の現われなんです。私がここに一人いると、みんな私なんです。Aさんという人がいると、みんなAさんなんです。これは秘訣の秘訣ですよ。みんな自分なんです。人間は一人しかいないんですね。

 難しいことはいらないんですよ。自分というものは神様と一つのものなんだ。

それを業想念が取り巻いていて邪魔しているだけなんだ、ということです。

 業想念の壁は大変厚いから、これを消えてゆく姿であると、消して消して消してゆくのは誰かと言うと、守護霊守護神さんは消すために来ているんだから、守護霊守護神さんが消してくれるんです。

だから自分は、スーッと世界平和の祈りの中にいて、毎日毎日自分に与えられた仕事をしてさえすればいいんです。世界平和の祈りを根底にして、仕事をしてさえいれば、いつの間にか神様になってしまうんです。こんな楽な宗教はないでしょ。それを説いているんです。

 

人間は宇宙にたった一人しかない。みんな自分。全宇宙の全人類が自分。全生命が自分。全宇宙が自分。我即宇宙。それを実際に体験しつづけているのが覚者・・

これは覚者になってみないと実感できないのですが、五井先生は常にそういう境地でおられたのだと思います。だから神そのもの、愛そのものなのですね。すごいとしかいいようがありません。

 

世界人類が平和でありますように

May peace prevail on earth

 

もう55年も研究されている宇宙子波動生命物理学ですが、かなり理論の構築が完成され、数式、化学式、物理学理論、数論がでてきて、図面もほぼ完成している状態だと聞いています。

 

しかし、この世には利権というものがあり、新しい発明、発見がされると困る人が数多く存在しているのです。フリーエネルギーなどもそうですが、もし永久に発電できるモーターができれば、電力会社はじめそこから利益を得て社員を養っている会社は、当然阻止しようと、特許を取らせないようにしよう、世にでまわらないようにしようとします。

 

保身が最優先の人間社会の想いが邪魔や妨害をしないような形態で、深く根回しをして、不安心配を取り除きながら、宇宙子波動生命物理学を世に発表してゆく形にしなけばなりません。

 

そのための準備に非常に時間がかかっていると思います。

戦争ばかりしている状態、政治不安な状態、経済危機の状態、そういう大混乱の中にある地球社会で、誰にも不安、恐怖を与えず、道筋をきちんと世界に示し、仕事やお金がなくても、宇宙子波動生命物理学の応用によって、安定的に食料、住宅、医療、教育を供給できるという根拠を示し、そのうえで様々な人類に幸福、利益をもたらす装置を順次開示してゆく、という形になると思います。

もしそういう下準備をしないでいきなり発表すると、ただただ大混乱、パニックに陥り、逆に地球の滅亡を加速させる可能性がある、と思われます。

 

叡智と愛の塊のような神々にそれくらいのことがわからないわけがありません。

用意周到に方法と時期が決められてゆくと思います。

 

できるだけ宇宙子波動生命物理学の開示を早めるには、世界平和の祈りで潜在意識をできるだけ浄化してゆくことが必要だと思います。肉体人間側の努力次第でいくらでも時間は短縮できると思います。

私の推測では、もう5年~10年の間と思っています。

祈りで、光一元の世界を描き出しましょう。

もうひとがんばりニコニコ

 

世界人類が平和でありますように

すべての人が健康で幸せでありますように

「私に荷物をあずけなさい」より

 

 

 呼べば必ず救われる

 そこで私の教えはどういうことかというと、一方では消えてゆく姿、一方では守護霊さん守護神さんを想いなさい、五井先生を思いなさい、私が救ってあげます、とこういうんです。

私が救ってあげますよ、というのは、肉体のこの場所である五井先生がいっているのではないのですよ、神さまの五井先生、皆さんの本心がそう言っているのです。皆さんの直霊が言っているのです。

皆さんの直霊というのは私なのです。それが守護神の働きとして、さあ五井先生を思いなさい、救いましょう、とこう言うんです。そう言った時には救うことに決まっているのです。

 ああそうだ、五井先生にすがれば救われる、とすがってきた人はそのまま知らない間に救われてゆくのです。私が救ってあげますよ、と言って救えないとすれば、私が地獄へ落ちるわけです。こっちが落ちるんだからね。いちいち地獄へ落ちてちゃかなわない。もっとも地獄へ落ちりや地獄が明るくなるけれどもさ。

 「あなたを救ってあげますよ」という言葉、「大丈夫、私が引き受けましたよ」という言葉は大変な言葉なのです。これをうかうかと聞かないで下さいよ。私が救ってあげますよ、という時には法蔵菩薩と同じなのですよ。自分を投げ出しているのです。もし違約すれば、私が苦しむんですよ。

救ってあげますと言って救えなかったら、私はいつまでたったって悟れないことになりますよ。それは三人や五人じゃない、百人にも千人にも万人にも、私が救ってあげますよ、と言う時には、皆さんの業を全部ひっかぶったことなのです。何百何千何万何十万という業をひっかぶるんですよ。ひっかぶる役目を一銭も貰わずにやるヤツはないよね。それは何かというと、皆さんの後の守護霊守護神が引き受けた、ということと同じなのです。ということは、救世の大光明が、神さま自体が、ハイお前たちを無罪放免する、ということと同じことなのです。

 

 

一人の人に想われるということは大変なことで、私も経験があります。

友人がひどいノイローゼで、寝れなくて、苦しくて、救ってもらいたくて、私のことを藁をもつかむように一生懸命想うのでした。

そうすると、常にその友人の思考が自分の中に入ってきて、仕事にも差し支えるようになってきてしまったのでした。そのとき、想われることの大変さを痛感したのでした。

それが何万、何十万、何百万という人に想われる、しかも「私のことを想いなさい、救ってあげるから」と宣言することは、24時間365日、生きている間ずーっと磔になっていることと同じだと思います。

本当に自分が全くない人だけが、覚者だけが言えることだと思います。

神の愛が五井先生の口を借りて無罪放免宣言をしているのだ、と思います。

 

世界人類が平和でありますように

May peace prevail on earth

 

精神世界やニューエイジ、瞑想、呼吸法、気功、ヨガなど、いろいろの修行方法があり、道があり、先達がいらっしゃいますが、五井先生は「神様だけを想う」というまったく単純な一点で神そのものに成きって、言葉と行為、祈りでそれを実証された大聖、神の化身だと思います。

五井先生の全託は、本当に徹底した、完全な全託なのです。それがよくわかります。

今、戦争の危機が迫っていますが、北朝鮮もアメリカも日本も韓国もロシアも、全然、神(宇宙の調和の法則、愛の法則)に全託していないのです。だから、自国を守ろうとして、いろいろ駆け引きをして、優位を保とうとして、最後に戦争になろうとしています。

 

原因は?

神を思わないから・・

神というものをわかっていないから・・

神に自分を投げ出さないから・

 

五井先生は、それを実証されたのでした。

 

覚者になるのは、こんなに簡単なんだ・・

神様だけを心に想えばいいんだ・・

感情想念を祈りの中に投げ出して、さよならしちゃえばいいんだ・・

つかまないで「消えてゆく」とながしちゃえばいいんだ・・

 

 

 

「明るい心」より

 

神さまに全部まかせちゃえばいい。生れて来たのも神さまのおかげならば、死んでゆくのも神さまのみ心です。どうかみ心のままにならしめ給え、どうか神さま、あなたに運命を託しますって、まかせてしまったらば、神さまと一元になります。

  それは私がやってみたんです。そして私はこうなったんです。そこで私は修業中は何をやったかというと、神さま! っていったきりです。神と私は一つである。私と神は一つである。神はわが内にあってわれを生かし給うのである。神さま有難うございます、神さま神さま神さま神さま神さまだけです。あとは何にもありません。他のことは何もいいません。何を下さいとも、何をお助け、もありません。神さま神さま神さま、神さまを売って歩くように、朝から晩まで神さまです。願ったことは、愛深い私にならして下さい、どうか私に出来ることを神さまやらして下さい。何んでもかまいません、ということだけです。神さま神さまって神さまばっかりいってたわけです。二十四時間プラスアルファ、寝ごとにまでいっていた。夢の中までいっていた。神さまだけしかないの。神だけだ。

そうしたら自分の業がなくなっちゃった。神さまの中に入りきりになっているんだからね。いつの間にか消えちゃいますよね。

 

        私は実証した

 

 その代り貧乏もしたし、何もご飯も食べない時もあった。やせちゃって、青くなっちゃってヒョロヒョロしていた時もあって、いろんなことを修業したんです。だけどむずかしい修業は一つもしなかった。滝にもあたらなかった、山にも登らなかった。何にもしない、只神さま神さまていってた。それだけが修業なの。私は素直に神さまだけだと思ったんだ。 

神さまだけにすがって、死ぬものなら死んでもいい、貧乏になるものなら貧乏になってもいい、どうなってもいいと思った。出来るか出来ないか、一ペんやってみなきゃね。それで神さまにだけすがった。そしたらこういう霊覚にもなったし、みんなを救えるようになった。お金をかせごうなんて、一回も思ったことはなかった。別に金のことを考えないで、とうとう今になっちゃった。今、食ベるに不自由もしなければ、住むに家があるし、ちゃんと皆さんが話をきいてくれるし、先生になろう、と思ってやったわけじゃないのに、先生先生ってみんながいってくれる、あがめられて先生といわれる身分になって、いい家に住んで、と思ったことはないんです。なんにもそんなことは思わない。ただ神さま、いい仕事をさせて下さい、と願い、愛深い私にならしめ給え、どうか私のいのちが神さまのお役に立ちますように、神さま神さま神さま、それだけ。簡単でしょう。その間に苦労はあったけど、ついにこうなった。そして、神さまだけを思ってればいいんだ、と自分が立証したでしょう。

  神さまだけを思ってれば、のん気になって、朗らかになって、何が来ても驚きもしない。地震だッといっても平気な顔してねているし、火事だって別に驚きもしなけりゃ、騒ぎもしない。そういう風になったでしょ。そこで私は皆さんにいつもいうんですよ。

神さまだけを思いなさい、他に何もありませんよ。現われるものはみんな消えてゆく姿で本ものじゃない、みんな消えてゆく姿、あるものは神さまだけだってね。愛と真と美しい姿、その神さまだけしかない。柔かさが満ちあふれている、光があふれている。そういう姿きりこの中にはないんだ、ということが本当にわかった。わかったからみんなにそうだ、と教える。

 

 

世界人類が平和でありますように

May peace prevail on earth

修養や道徳では、悪い心を出さないように出さないようにと、自分が精進努力して、りっぱな人間になることを目指すと思いますが、そこには救いがありません。また、自分の悪い部分、未熟な部分、恥ずかしい部分を人に知られたくない、という心が働き、抑圧し、隠し、その抑圧のために、暗い人間、偽善者となり、やがて病気になることが多いと思います。

宗教ではまったくちがうルートを取ります。

自分の欠点、悪い思い、たりない部分をすべて神様の中に投げ入れる。そうすると守護霊、守護神が消してくれる・・・人間はただ神を信頼して任せる、想いを投げ入れるだけでいい・・・

これは宗教の極意だと思います。

みなさん安心して神様を呼びましょう。どんな犯罪者であっても、どんなに欠点だらけの人間でも、愛を行することができないとしても、悪い想い、やましい想い、恥ずかしい想い、知られたくない想いがあっても、神の大光明の中に、祈りの中に入れてしまえば、向こうで消してくれるのですから。それが神の分霊として人間の特権だと思います。

 

 

「明るい心」より

 

自分が悪いからもう神さまは救ってもらえない、と思ったら間違いです。

自分に間違った想いがあっても、その間違った想いがあるままで、妬みの想いがあるままで、恨みの想いがあるままで救ってもらえるんです。それでなかったら本当の信仰になりません、お前の心が悪い、といじめられいじめられて萎縮していることはない。

よい悪いは神さまの光が出てくればわかるのです。神さま有難うございます神さま有難うございます、と年中いっていて、神さまの光とつながっていさえすれば、神さまの光が心の中に充満するから、悪いものは自然に消える。妬みの深い人は妬みがなくなります。

 

世界人類が平和でありますように

May peace prevail on earth