「明るい心」より
物を売りに行くんでも、これ売れるかしら売れないかしら、と考えたってなんにもなりゃしない。試験を受けるにしても、受かるかしら受からないかしら、と考えたってなんにもなりゃしない。それよりも、行く道で "世界人類が平和でありますように、守護霊さん守護神さん有難うございます、わが天命を完うせしめ給え" この祈りをしながら歩いてゆくんですよ。そうしていると、光明をふりまいて歩いているんです。そうすれば受からないものも受かるだろうし、取れないものも取れるだろうし、売れないものも売れるだろう、ということになるのです。
なぜそういうことになるかというと、自分が神の姿になっているから。ひたすら神さまにならなければだめだ。自分は本当に神さまの中にいたのだから、神さまにならなければだめですよ。誰でもなれるのです。病気でねていても、世界平和の祈りをしている時は、その人は救世主の働きをしているんです。大光明がそこに来ている。丈夫でピンピンしていて、儲けることばかり考えて、儲けることばかり喜んで、ただそれだけでとんだり跳ねたりしている人よりも病気でねていても、世界平和の祈りをしている人のほうが立派だということになる。
この世の計算でいけば 「何いってんだ、ねていて何が出来る、そんなの寝言だ」 と思うかもしれないが、そう思うのは本当の真理を知らない人なのです。
人間というものは想いなのです。想いがすべてを支配する。その想いを神さままで高めてしまうのが、世界平和の祈りなのですよ。
想いが人間の運命を決定してゆきます。何を想うかは個人の自由で、いくらでも選択できます。「自己の本心は神である、光り輝くものである、愛そのものである、自由そのものである」という正念の中に想いを常に置いておき、世界平和の祈りをし、守護の神霊に感謝していれば、時間の問題、体験の問題はあるにしろ、いずれその人は覚者となることに間違いないと思います。
世界人類が平和でありますように
May peace prevail on earth