「責めてはいけません」より
好き嫌いということ
結婚は人生の重要なポイントです。自分の好みに従って、好きな人にお嫁に行ったり好きな人を貰ったりすることにきめた方がいいか。好きでも嫌いでもないけれど、上司の人が決めたから仕方なくなく涙をこぼしてでもいった方がいいか、その結果は後にならなければわからないでしょうね。
実をいうと、好きというのに二つありまして、魂的にもうピタッと吸いつけられて好きになる場合と、いわゆる顔形、あるいは声に出る言葉とか態度、そういうもので好きになる場合もある。
それから、なんとなく、たゞなんとなくなんとなく、一目見た時好きになったのよ(笑)というようなものもあるし、いろいろあるんですよ。いろいろあるけれども、人間の好き嫌いというもの程当てにならないものはないのです。よくあるんですよ、恋愛でもって、誰が止めても止まらなくて、もう天下にこの人程いい人はないというんで、いった人がありましてね。大分あるんですよ、そういう人が。
一年位して、泣きの涙で私のところにくるんです。だから私が“あなた確か恋愛結婚なんでしょ。好きで好きでしかたなくていった”というと――ええそうです。けれどもう嫌いでたまりません(笑)
どうして一年の間にそんなに変化があるんでしょうね。
それは好きということが、本当のものではなかった。魂が好きっていうんじゃなくて、形の世界の、丸顔だったから好きだったとか、四角いから好きだ、四角くて好きだかどうか知らないけれど、そういうんでね。目がきれいだとか鼻が高いとか、それだけで好きになってしまうのですね。好き嫌いというのは本当にわかりません。
ですから一番問題なのは、自分の心を澄まして、心がすっきり澄んだところでね、見てそれで好きなら、それは間違いないんだけれど、大体好きか嫌いか決める時には澄んだ気持じゃなくて、のぼせてるんです。(笑)冷静な気持で恋愛するなんていうのはないからね。(笑)
そこで一番大事なのは、自分のこの頭の中の好き嫌いというものと、それから魂いわゆる私がいっている守護霊守護神が好き嫌いというものとが合体して、自分も好きであり、守護霊守護神も好きであるという、そういう形の処へいったり、もらったりすればいいわけなんですね。
素直さが必要
ところがそれが自分ではわからないんです。わからないからどうしたらいいかというと、素直な気持ということですね。素直に素直に運命に従ってゆく、という形。現われて来たものはみんな自分にとって必要なものなんだ、どんな悪そうに現われても、それはやがては自分の為になるものなんだ、というような素直さですよね。そういう素直さがやっぱり必要なんじゃないですか。恋愛の場合でも、恋愛してしまってからじゃ間に合わないと思うんですよ。
手遅れだと思うんです。
恋愛してしまうと、はたからなんといったってもう好きだからしようがないんですね。
それで今頃はなお二十になれば自由なんですから。二十になると、親がどういったって私はいくわ、といえば、家を出てもしかたがないでしょ。だからそういう風に社会がもうなってしまっているから、恋愛しないうちが大事なんですね。
今質問したような人は、もう子供さんがあるから、今度は子供さんのためにきいているわけなんですがね、そういうわけで、自分が好きにならないうちに、要するに子供のうちから、素直に天に従う、天の心に従うというような生活を、知らないうちに身につけておくことが、一番結婚の勝利者だと思うんです。そうすると、自然に直感力でもって、いい人わるい人、自分の魂に合う人合わない人というのがわかるんです。魂にピタッと合う、魂的な恋愛が出来るわけなんです。誰か親が決めてくれたり、知った人が決めてくれるよりも、魂的な恋愛なら、それが一番いいと思うんです。
好き嫌いというのは当てにならぬ
けれどもそのためには、どうしても自分の心が、自分の我欲というこの頭の中だけの想念で、好き嫌いと決めるようなそういう習慣がついている間は、恋愛は危険だと思います。この頭だけの好き嫌いというのは、本当にあてになりません。
若い人には、もうくれぐれもいっておきますがね、顔形が好きだとかあの人は好いたらしいとかいうこと程、おゝよそあてにならないものはありません。恋愛ばかりではありません。
交際の場合でもそうですよ。四十五十の大人が、昨日まで、あの人はとても立派な人で、私のために非常にいいし、誰にでも親切で、とてもいい人です、ってほめた人がですよ。
今度翌月になって “あの人どうした。元気ですか” ときくと “ええあんな人、あんないやな奴はないんですよ。あんな自分勝手でどこが好きだったんだか、サッパリわからない”(笑)
私はよくそういうのをきかされるんです。だから、人をけなすことも勿論いけないけれども、やたらに人を賞めるもんじゃありませんよ。人をほめておくとね、今度けなす時困っちゃう。(笑)だから、私はなるたけ人をあまりほめもしなけりゃ、けなしもしないことにしてるんです。
人間というのは豹変するんですよ。因縁が合ってる場合、要するに前生の借りかなんかありましてね、一所懸命片方がこの人に尽してくれるわけです。借りを払ってしまうと、もう当り前になってしまう。当りまえの心で見ると、急にこの人がいやになったりする場合があるんです。
あちらがいやになるとこっちもいやになってくる。そうすると今迄ばかに尽してくれた人が、今度月が変ったら尽くさなくなってしまってね、自分に疎遠にしますから。そうするとこっちが“今迄あんなに私にちやほやしていたのに、なんでちやほやしないんだ”、という風に腹がたってくる。そうするとお互いがうまくなくなってくるわけなんですね。
そういうのを因縁性の交際というんです。
それで、結婚の場合も因縁性の結婚ではだめなんです。そこで私はよく、うちの娘の縁談をって、きかれるのです。そうすると二つも三つもこうあるわけなんですね。
私が、あの人はこういう処がいいけど、ここの処が悪い、とかいうわけです。
で二人ともいいけれど、まあどっちでも自分の好きな方を選びなさい、って、いい場合にはそういう風にいうんですよ。そうすると向うの人は質問するんです。
“先生、結婚というものは生れた時からきまっていると思います。決っているのに、どうして先生はこの人だといわないか”とこういうんですよ。
ところが決っている縁談というのは、大旨、悪い場合が多いんですね。
夫と妻の磨き合い
この世の中というものは、魂を磨きながら神様のみ心を現わしてゆくわけです。
要するに過去世の業を消しながら、だんだん神様のみ心を現わして、地上天国を創ってゆくわけなんです。だから因縁が消えてゆく姿というものがあるんですよ。因縁を果していかなければならない、業を果していかなければならないものが、どうしても出てくるわけなんですね。
それで果していった後で、本心が開いて本当の世界が出てくるわけなんです。だから結婚の場合でも、一番心を磨いてくれるものが、妻であり夫なんですよ。あんまりいい結婚をしてしまいますと、夫は妻をいたわりつ、妻は夫を慕いつつ(笑)という風にね、あんまり仲がいいと、もう二十で結婚しました。四十廻って五十になって、ますますよくなって、六十七十になってなおいい、なんてそういう結婚だとね(笑)心が磨かれないんです。
あんまりよすぎて、ホカホカしちゃって。(笑)
魂を磨くためには、刀でもそうですよ。日本刀を磨く時に、灼熱の火で焼いて、柔かくしてトントンうつでしょ。そして最後に綿かなんかでやるんでしょうけれど、初めは焼いたり叩いたりするんですね。そうして鍛えられるんです。それと同じように、人間もあんまりホカホカホカと、はじめから生れた時幸福で、結婚生活も幸福で幸福でしかたがなくてね、死ぬまで、ということになると、魂は鍛えられないんですよ。
そういうことを守護霊守護神さんは知っているのです。知っているので、守護霊守護神さんほど肉体人間側から守護霊守護神さんを思わない場合、守護霊守護神は仕方がないので、その場合に消えてゆく姿を実演させるわけなんです。
それで大体前生の因縁的に結ばれるものは、魂的には近いのだけれども、因縁で相擦れあうようなものを選ぶのですね。それで結婚させるわけです。
擦りあわせておいて、一番身近かですからね。妻と夫と、親と子と、親子、夫妻というのは離れられないですよ。それはいつでもいつでも一緒で擦りあうわけです。いやだと思っても、どうしても見なけりゃならない。口をきき、顔を見なければならない。そこでどうしても擦れあい磨かれて、嫌でも応でも磨かれて、人間というものがわかってくるわけなんですよ。
守護霊守護神がピッタリと合う人を
そこで、種々と経験して、あゝ愛というのは、要するに自分だけのことを思うんじゃなくて、相手のことを思わなければならない、とかいろんなことがわかってくるのです。擦れあって、だんだんだんだん立派になってくるのであって、一番立派になるための擦り合い、いわゆる砥石のようなものに妻や夫が一番いいわけなんです。あるいは親子ね。つまり夫婦というものは、大体において百組の内の九十何組というのが、大体あんまり(笑)仲よくないんですよ。
私つらつら観じてみるのにね。(笑)
それで大体我慢したりしてやってゆく、我慢するために忍耐しなければならない、忍耐するのも 辛い、何とかならないかというんで宗教の門を叩いたりなんかする場合が多いんです。 本当は合わない、いわゆる魂が擦れ合う人をわざと選んじゃったりして、そういう風に使ってしまっているわけなんです。そこで私か霊覚でみた場合に、あき」の人はこのまゝいってしまえば、必ず六〇点ぐらいな結婚をしてしまって、擦れたり擦れ合ったり、出ようと思ったりひっこんだり、いろいろとやりながら一生を送るんじゃないかと思うでしょ。
そうすると私は一遍あった縁談をこわしちゃう、ああそれはだめですってね。
一遍決っている縁談でもこわしちゃって、ご破算にして、さあ今度新しく選んでいくのですよ。新しく選んで一番魂のよく合う、波の人を選ぶわけです。だからああこの人も合うな、この人もこっちの面で合うな、百%合うということは殆んどないんですからね。
九〇%か八五%か、それでこの人もこうだ、こっちの人もこうだ、それでどっちを選ぼうかと、こういう風になってくるわけなんです。そのように説明してあげるんですよ。
自分の好き嫌いというものを超えて、魂の合う、いわゆる守護霊守護神が好んだ、分霊の自分の本心が合うという人を選はなければならない。だからやっぱりのぼせ上ったんじゃだめです。のぼせないで確かめる。それが打算でソロバンづくで、あの人は東大を出て、月給が今二万三千円とっている、家柄がどうとか…だからいいとこういう風にいったり、親が偉いからいいと、そういう客観的な条件だけで人を選んだら危いんですよ。
客観的な条件じゃなくて、やっぱりその人の人物というものがいいか悪いか、冷静にみて、自分の心と合うか合わないかということを、見なければだめですね。たゞボヤーッと顔が美しい汚いとか、学歴がいいとか、お金があるとか、というんではこわいですね。
縁談ほどむずかしいものはない
相談されて一番私は困るのは、学歴もいい、家柄もいい、男振りもいいという人がいるわけですね。そういうのをもってくる。お母さんはこれはもう先生がいいというに決っている、と思って娘のために持ってくるわけ。娘さんにしたって、家柄も学歴もいい、顔も美男だとしたら、これはもうこたえられないからね。(笑) いいと思ってくるでしょ。
そうすると私がみると悪い場合もあるんですよ。困っちゃうんです。いい、といってやりたくてしようがないのだけれども、これは普通からみればいいのだろうし、お母さんももらいたいんだしね、娘もいきたいんだしね、いいといってやろうかなあ、と思うのだけれども、やっぱりだめな場合があるのです。それは結婚すれば駄目になってしまう、というそういう縁があるんです。
そうすると私は涙をのんでね、さあね、といいながら、止しましょ、というんですよ。
そうすると先生を一遍でうらんじゃうんです。(笑)先生はなんでも悪い悪いっていう、なんてね。私は恨まれるけれども、やっぱりいけないものはいけないと断わらなければならない。
一番いやですよ。形が整ってて悪い縁談というのは、それはその人が他の人をもらえばいいわけだけれど、その人とは合わない。要するにいい人といい人とでも合わないのがあるのですね。どこからみてもいい立派な男性と、立派な女性であっても、結婚すればだめな場合があるのです。不幸になってしまう場合がある。そういうのは普通の人にはわからないんですよ。
どこが不幸になるかというと、波長があわないのですよ、同じいい人であっても。
例えば色の場合でも、紫と赤とすれば、これは両方が生きない。紫の中に赤が入っているからね。生きないわけです。片方が死んじゃうわけです。そういうようなのがある。
いい色であればある程、いい人であればある程、その長所が強いし、その長所と長所がぶつかるんじゃなくて、短所もあるわけなんです。誰だってね。そうすると短所と短所がぶつかると余計にうまくなくなるんですね。そこで片方がとてもすばらしい男性であっても、片方が素晴しくない女性であっても、合う場合もあれば、あんなぐうたらのオヤジの所へよくあのいい奥さんがつとめてるな、と思ってもね、それで結構当人達は満足している。はたからみてやきもきするのは馬鹿馬鹿しい。そういうのもあるでしょ。一人を個人的に見れば、百点あるいは九五点の人であっても、相性としてみれば悪い場合もあるのですね。そういうところがとてもむずかしいのですよ。だから縁談ほどむずかしいものはない。
これから結婚する人へ
これから結婚する人は、守護霊守護神さんにお願い致します、私共の天命が完うされますように、といつも頼んでいて、頼んだ上において、今度は経験した人の参考的な意見などをきくといいのです。
そして自分の好みと、先生なら先生にきくのが一番いいんだね、先生のいいというのと、親などのいいというのと、この三者揃うような縁談をやっぱり選んだらいいでしょうね。
この頭の中の、好き嫌いというのはおおよそあてになりませんね。
だから一番初めに頭の中の善い悪いというもの、好き嫌いというのを一遍捨てる練習を、常にしておかないと駄目でしょうね。捨てる練習をして、素直な気持で、スーと進んでゆくべきなんですよ。
昔の結婚で、いわゆる見合結婚がありましたね。相手を自分が知らないで、家と家とが結びついて結婚した。しかし昔はそれでもまあよかったわけ。それでも家と家とが結婚しても、嫁しては夫に従いですか、一遍いったら絶対に帰って来てはならないんですからね。帰って来られないようになっていたから、それで我慢し忍耐してやっていた。しかし今はそういうわけにはいかない。
今はもう自分の自由ですからね。我慢に我慢して嫁いだままでいるってことは、殆んど考えられないことでしょ。だからやっぱり出やすくなっているわけです。出やすくなっているから、いいことを幸いに安直にいって帰って来たんじゃ、なお困るんですよ。
そこで、やっぱり自分の心というものを澄まして、きれいな心にして、透明に、要するに相手が直感的にわかるような心にならなきゃいけないんですよね。そのためにはやっぱりこの統一会は必要なのです。統一会がどうして必要かというと、統一会は自分の我というもの我欲というもの、自分の趣味趣向というものを、一遍浄化するのです。趣味趣向があっていけないというんじゃないですよ。
自分が好き嫌いがあっていけないという意味ではないのです。好き嫌いというもの、趣味趣向というものが、浄化されて浄まってくると、正しいものになってくるわけです。人を傷つけたり、自分を傷つけたりするような、趣味趣向というのがなくなってくるわけですね。
いわゆる競馬競輪をやったり、ばくちをやったりするのが趣味だっていったって、そりゃあんまりいい趣味ではないですね。そういう趣味がだんだんなくなってくると同じように、まあお酒をのんでも、晩酌で少しやる位いならいいけれども、それが妻をぶんなぐったり、子供を怒鳴りつけたりするようなお酒になったら、お酒は困りますよ。
少し飲めば血の循環がよくなっていいかも知れないけれども、過ぎては及ばないでしょ。
そういうように趣味であっても趣向であっても、それが浄化されてくると適当になってくるわけですよ。それと同じように縁談の場合ね、妻を選ぶのでも夫を選ぶのでも、心がスッキリ澄んでいると、自分で選んだ人が神が選んだ人と同じなものになってくるのです。だからチョコチョコ好きになっちゃだめだ、とこういうわけなんですよ。
人間の尊厳性を高く求めよう
この頃の女の人や男の人は、昔だったら、好いたり好かれたりしてもね、あゝ好きだなあと思っても、なかなか近よらないですよね。手紙出すことも控えちゃうし、話しかけることもしないで、そのまゝ通ってスーと他の処へいってしまうわけです。それは一長一短で、それで悪い場合もあるのだけれども、今の人達は俗の言葉でいえば、惚れっぽ過ぎますよ。男の人と女の人がすぐ好きになったり嫌いになったりする、本当に安直に好きだとか嫌いだとかになり過ぎている。それは自由のはき違いなのですよ。
もっと自分というものを高く維持しなければだめです。自分の尊厳性、人間の尊厳性というものを高く求めてなくてはね。安直に好きになったり嫌いになったりするというのは、自分を惨めにして自分を馬鹿にしているというのと同じなんです。そういうんじゃなくて、もっと自尊心をもって、本当に見定めなきゃいけないですよ。見定めるまで辛抱するぐらいな、辛抱強さがなければならな手あたりしだいに、側にいる人が皆好きになったり嫌いになったりする人がある、本当に若い時には。だから二十か二十二一の恋愛なんていう程、あてにならないものはないです。側にいて親しく交際う者が好きになるんですからね。近づく機会のある人が好きになってくる。それではだめなのです。
そこでやっぱり恋愛というよりは、親とか親戚とか先輩とかが薦めたもので、しかも自分がいいと思うものを選んだ方が、男の人にとっても女の人にとって1いいと、私は思うのですよ。というわけで恋愛講義になっちゃった今日は。
五井先生や長老導師の先生に結婚のご相談をされた方はたくさんおられると思いますが、結婚ほど難しいものはない、と先生方も悩まれていたと思います。
永安先生のところにもかなり恋愛、結婚の相談に来られていましたが、なかなか理想的な出会い、恋愛、結婚はないと感じています。ほとんどが磨きあうための結婚だと思います。
魂から見た恋愛、結婚に詳しく書かれていますので参考にしてください。
また、肉体の人間は利害、小智才覚で動きます。
女性は「経済力があって、ハンサムで、性格がよくて、将来性があって・・・」と、そういう男性を望み・・・
男性は「気立てがよくて、優しくて、家庭的で、包容力があって、スタイルがよくて、かわいくて、・・・」、それに近い人で・・・と思っていると思います。
しかし、その相手が自分に魅力を感じてくれて、お付き合いしてくれればいいですが・・・・
また、そういう理想的な伴侶では自分が磨かれません。
常に守護の神霊に天命の完うを祈り、そこから直観にしたがって総合的に判断し、流れに乗って進むのが一番だと思います。
肉体人間ですから、相手も自分もお互い、欠点も不完全なところも、経験のたりないところもいろいろあります。まあ、それを大きく受け入れ、消えてゆく姿と理解し、自分の鏡となってくれたことに感謝することで調和の姿が現れてくると思います。
世界人類が平和でありますように
May peace prevail on earth