五井先生の言葉は、宝の山のようなもので、あとはどれだけこちらがその言葉を「宝」と認識し、心の中で光らせるか、にかかっています。光らせれば、潜在意識が光に満ち、周囲(接する人、縁者、霊系統の魂の家族)を自然に照らしていると思います。”本心”という詩では、とても格調高く、奥深い、般若心経の世界を光り輝く言葉で謳いあげられています。
「素直な心」より
詩「本心」を読もう
親鸞がいる間はよかったけれど、親鸞が死んでしまうと、浄土真宗なんていうのはおかしくなって、ただ死骸に念仏をあげているだけ、ということになっちゃうんですね。私の母親のお葬式の時に坊さんが来て、お経をあげているんだけども、お経じゃなくて、時間をとるために節ばかり伸ばしてるようなんですよ。それが絶世の美声ならいい気持になって声をきいているけれども、声も悪いのに、節ばっかり伸ばしている。節はうまかったです。節ばっかり練習したってね、それなら歌をうたったはうがいいです。
ただそうやればお葬式のような気がすると思っているんです。
お葬式なんていうものは、もっと華やかでなければだめですよ。
そこヘゆくと祝詞はいいですよ。朗々として、変な節をつけないで堂々としています。経文というのは長々と読むものじゃないです。
人間はこうすれば生きていけるんだ、あの世ヘいけばこうなんだ、ということを知らせてやるのがお経なんです。
だから、白光なら白光を読んであげたら一番いいんです。
“本心”という詩があるでしょう。“ひびき”という私の本に出ています。あれを経文がわりに仏壇にあげてやってごらんなさい。
みんな浄まっちゃうから。
人間というものは肉体ではないんだ、本心そのものなのだ、本心とは神そのものなのだ、仏そのものなのだ、お前たちが勝手に迷って、勝手に悪い悪いと思っているから悪いんで、悪いという想いをはなせばいいんだ、何も悪いものを追いかけていって捕まえることはない、というのがあの詩です。
本心
地球の未来を輝かすために
人類が是非共知らなければならぬ事がある
それは御身たちの真実が
御身たちの本心が
肉体生活にまつわる欲望と恐怖と
そして悲哀と憎悪と云う
黒い翼に蔽われていると云う事である
それよりも亦一層深くしらなければならない事は
御身たちの本心は
御身たちの真実は
宇宙を動かしている大いなる智慧
無比絶対なるエネルギーの源泉に
その基を置いていると云う事である
御身たちの本心は常に神と一つであり
御身たちの真実は神から発する光であり
そして御身たちは嘗ては本心そのものであったという事である
欲望 恐怖 悲哀 憎悪
そうした業生の想念は
御身たちが神の光の世界から
肉体と云う形の世界に自己限定したときから起こったもの
現れては消え去る大海の泡沫
夢幻が画く一夜の劇
人間が争っているのではない
人間たちが迷っているのではない
争っている想いが
迷っている想いが
今 消え去ろうとして人類の前を 通り過ぎてゆくところなのだ
御身たちは只黙って
御身たちの本心が神と座を一つにしている事を想っているがよい
光り耀く神と本心とをみつめつづけるがよい
心を落ちつけ 想いを静め
只只神の大光明を観じているがよい
そうしている時が一番
様々な業生の想いが消え去り易い時なのだ
御身たちよ
消え去る業生を止める事はない
夢幻の苦痛を想いかえす事はない
御身たちが止めさえしなければ
想い返しさへしなければ
業生は再び御身たちの下に戻ってくる事はない
御身たちは今
本心そのものである
神の大光明と一つの者である
地球世界を光一色で描き出すものである
世界人類が平和でありますように
May peace prevail on earth