言葉の誤用の代償について | tablaboyの道日記

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祈りによる世界平和運動、祈り研究をライフワークとし、音楽、散歩が趣味です。音楽に関する記事、スピリチュアリティーに関する記事、祈りに関する記事、随時アップしてゆきますので、楽しんでください(^^♪ 世界人類が平和でありますように

最近、すごい勢いで広告メールが入ってきます。
無差別に、機械的に送られてきている感じです。
また、携帯をメインでメールしている人には、何百というメールが入ると、本当に迷惑しているようです。
まだ、こういう広告なら一括削除できていいのですが、最近では、言葉の力、言葉の怖さを自覚せずに、人を誹謗、中傷、あるいは陥れるようなメールを送る人もいるようです。
それは、とてもとても危険です。

メールを送られた人ももちろん傷つきますが、私が心配するのは、メールを送った人の方なのです。
「無知ほど怖いものはない。かわいそーだなー」と思ってしまいます。
メールを送った人は、たった2、3行の言葉のために、自分の全人生を賭け、強制的に、運命として償うことになり、ひどい場合は、死をもって償い、それでも足りないで、ひどい障害を持って生まれ変わってきたりして、心の底から自分の過ちに気づき、反省し、魂が自覚するまで、その償いは続きます。

想念、言葉の怖さを霊的に分かる人は、怖くて絶対に否定的な想い、言葉は使えないことを知っています。
言葉の奥には想いがあります。想っただけでも、自分に返ってきますから、その想いを取り消すための方法も知っていなければなりません。
それを教えるのが、親であり、教師の大きな、大きな役目だと思います。
しかし、残念ながら、そういう大事なことを教えている親や先輩、教師はまれにしかいません。

これが、実は、やがて国家間の戦争という事態につながっています。
やはり、なんども繰り返すことになりますが、
「消えてゆく姿で世界平和の祈りと感謝行」というようなテクニック、方法論をしっかり自分の中で持っていないと、流れを変えることは、不可能だと思います。
「口は災いの元」とはよく言ったものです。
昔の人は知っていたのですね。
携帯メールやPCメールの氾濫に、そんなことを思っていたのでした。