祈りは何故必要か | tablaboyの道日記

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祈りによる世界平和運動、祈り研究をライフワークとし、音楽、散歩が趣味です。音楽に関する記事、スピリチュアリティーに関する記事、祈りに関する記事、随時アップしてゆきますので、楽しんでください(^^♪ 世界人類が平和でありますように

人間は習慣の想いで生きています。自分で気づかなくても、過去のすべての体験、知識を土台にして、想いというものが沸いてくるように出来ています。
私は16歳くらいに自分が前世で宗教家であったことに気づきましたが、自分の想いを覗き込むと、そこに習慣の想いがあり、自分が過去にどんな人間であったか容易に分かります。では祈ると運命にどんな影響が現われるのでしょうか?
 最近、ジェラルディン・カミンズ氏のイエスの霊界通信を読んで、常にイエスが荒野で聖霊たちと交流するために祈りをしていたことから、祈りを意義をまた再確認した次第です。
 以下五井先生の「聖書講義1」からの抜粋ですが参考になりましたら幸いです。

 

 

 

“実に言というものは大事なものでありまして人びとは常に言の根元に遡ってを使うようにしなければならないのです。光ある言葉、生命ある言葉を日常茶飯事にでも使えるようにならなければ、神のみ心を地に現わすことができません。
私はこの言と言葉をはっきりニつに分けて説いておりまして、言の方は光の波動(ひびき)言葉のほうを想念波動と説くのですが、言葉にしても想念波動にしても、その根元は、言であり、光であるのですから、純粋な言とし、汚れなき光の波動とするためには、言葉や想念波動のでてくる頭脳や心を空っぽにする必要があるのです。
いわゆる小智才覚を捨てる、ということです。
ところがなかなか、この小智才覚を捨てることができません。頭脳や心を空っぽにすることはこの世的な頭が良ければ良いほどできにくいことなのです。そこでそのためにこそ、想念を神のみ心に向けきってしまう祈り心が必要になってくるのです。
人間の本来性である、光の中に、言が中に、生命の本源の中に飛びこんでゆく祈りが大事な行事になってくるのです。天のみ心が地に現われますように、という祈りでもいい、世界平和の祈りの、天命が完うされますようにでもいい、愛深い私にならしめ給えでもいい、み心のままにならしあ給えでもいい。とにかく、この世に渦巻いている想念波動圏から、超越してしまう方法をとることが必要なのです。超越してしまう先は、いわずと知れた神のみ心の中であるわけです。”

“ 信の心というものは一朝一夕で深くなるものではありません。それは何生かけた宗教の道によって生れてくるのですが、過去世のことはともかくとして、今生におけるたゆみなき祈りの行によって、信仰はしだいに深められてゆくものであります。ですから、自分はなかなか信仰が深くならぬ、神の存在は信じながらも、どうしても自分頭脳智で物事を考え行ってしまって、心の深いところから智慧や力が湧き上がってくる感じがしたことがないなどという人は、そういう焦り心をも含めて、ひたすら神との一体感を祈りつづけるといいのであります。それは、ただ単純に神様ありがとう存じます、という祈り言一点ばりでもよいのであります。あまりむずかしい祈り言葉では想念の習性がつきません。すべては想念を習慣づけることが必要なので、祈るという習慣をまずつけることが必要なのです。
それにはやはり、自分の頭で納得できて、しかもやさしい祈り言葉がよいのです。
神様ありがとうございます、に徹底してしまえば、四六時中、単純なその言葉を心の中でくりかえしていてもよいのですが、それだけでは単純すぎると思ったら、世界平和の祈りのような意味のはっきりした言葉にしていってもよいのです。主の祈りでも勿論よいのですが、私は世界平和の祈りの提唱者ですから、世界平和の祈りをおすすめいたします。世界平和の祈りを何気なくでもよい、心の中で祈りつづけておりますと、いつの間にか神のみ心と通い合う愛の心が生れてきて、しだいに信仰心が深くなってくるし、世界平和の祈りのもつ、大きな広い意味が自然と心の底から理解できてまいります。”

 祈りは「自己保存」という肉体人間の防衛システムから、自由自在心なる創造力へを意識を解き放つための方法であり、守護霊、守護神との全きつながりを形成するための交流でもあるのです。