個人人類同時成道の祈り | tablaboyの道日記

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祈りによる世界平和運動、祈り研究をライフワークとし、音楽、散歩が趣味です。音楽に関する記事、スピリチュアリティーに関する記事、祈りに関する記事、随時アップしてゆきますので、楽しんでください(^^♪ 世界人類が平和でありますように

今日までの軌道を辿っていますと、「人間は戦争か環境破壊で滅びることは間違いない」、と少し頭のいい人なら誰でも感じていると想います。何かしなければならない、という気持ちが湧いてくるのは私だけではないと想います。

下記は五井先生の『運命を恐れるな』からの抜粋ですが、20数年まえに初めて読んでからも、まったく色あせることなく、年々深く心に染み込んでくる内容なのです。まだ、自分なりの方法を発見できていない方は、自分ひとりでやさしく実行できて、全くお金のかからない、悟りと愛行の方法である『世界平和の祈り』をお勧めいたします。下記を参考にしていただけれ幸いです。

 

 


“祈りとは、神にすべてを託して自己の本心を開発する方法です。そうしますと祈りによって自然と道は開かれてゆきます。そういう生き方をしていますと、その場その時々その一瞬一瞬がその人にとっては天命を完うしていることになってゆくのです。”


“不安の想いがでてくる度びに、この想念は消えてゆく姿なのだ、という想いで、世界平和の祈り言の中に投げ入れてしまう。何回でも何十回でも何百回でも、その方法をつづけてゆけばよい。否定がでたらまた祈り、祈りに対する否定が出たらまたいのる、というように、すべての想念行為を、消えてゆく姿として、世界平和の祈り一念に切り替えてゆく。そうするうちに、その人の潜在意識にひそんでいる、罪悪感や不調和の想念が、表面に出ては、消えてゆく姿として、世界平和の祈りの大光明波動に融けこんでゆき、また現われてきては、祈り心の中に融けんでゆくという具合に、暗と光明とが次第に入れ替ってきて、いつの間にか、その人の潜在意識は、世界平和の祈りの大光明、人類愛の光明波動に充たされてきて、その人が意志力でどう想おうと想うまいとその人の想念行為は自然と、明るい正しいものになってくるのであります。”


“世界平和の祈りは、往相(本心開発)と還相(愛行)とが同時に行われるのであり、自分の救われが同時に世界人類の救われになっているというところに、今日までの宗教と根本的相違があるのであります。三才の童児でもちゃんと世界人類のために働いているというのが、この世界平和の祈りの特徴であるのです。先程からも申しておりますように、肉体身の自分を、自分の力で守ろうとするところから、敵ができるのでありまして、この自己保存の想いがなくならないうちは、国と国との争いも個人同志の利害得失のかけ引きも、いつまでもつづいてゆくわけなのですから、この世の業想念波動は消え去るわけがありません。それはやがて、地球人類滅亡のふちに追いこんでしまうのであります。
肉体身の自分の想念行為を、すべて、神のみ心の中に入れきってしまって、神のみ心の中から改めて、自分の運命を頂きなおす、という風になりますと、自分の肉体生活を自分で守るのではなくて、神の力によって自分の肉体生活がなされてゆく、という自覚がでてきます。お互いがそういう自覚になってきますと、自己保存の本能という、動物的な本能が、次第に薄れてきて、神ヘの全託ということになってまいり、生きるも死ぬも神様任せということになり、自分の利害のために、人を損ねるというようなことがなくなってくるわけなのです。
こうした原理を、消えてゆく姿で世界平和の祈り、という方法で行じていますと、意外と容易に神のみ心のままの生活ができてきます。これは一人がやり十人がやり百人がやりというように、次第にやる人が多くなっておりますので、やがては非常な広範囲で世界平和の祈りが行われてゆくことになると思います。
世界平和の祈り言そのものが、もうすでに個人と人類とをしっかり結んでいる祈り言でありまして、個人がすでに人類の一人という意識に立っての祈り言になっていますので、自分一人だけの利害関係に把われている想いが自然とほどけていって、愛他行の人にならざるを得なくなってしまいます。
南無阿弥陀仏は勿論よいことですが、南無阿弥陀仏の世界に入って、そのまま地球人類に光明をふりそそぐという形になるのが、世界平和の祈りなのであります。
ですから、妙好人になった人の一部の人が、禅宗の坊さんのような強い意志力で、南無阿弥陀仏と一つになろうとしていた、そういう苦心の代りに消えてゆく姿という、易行の道がそこに置き換えられているわけで、世界平和の祈りの教えは、やはり南無阿弥陀仏以上の易行道であり、法華経そのままの教えであるということになるのです。”