永安先生の悟り | tablaboyの道日記

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祈りによる世界平和運動、祈り研究をライフワークとし、音楽、散歩が趣味です。音楽に関する記事、スピリチュアリティーに関する記事、祈りに関する記事、随時アップしてゆきますので、楽しんでください(^^♪ 世界人類が平和でありますように

“悟るということは、何も特殊なことではないのです。
何故なら、人間は本来神の分霊であって、人間の内なる本質は神そのものであり、本来悟っているものだからです。
とは言っても、人間は肉体という器をまとい、この物質波動の粗雑な世界に生きているため、どうしてもこの肉体に囚れ、肉体を唯一の存在と信じ、いつの間にか自己の本質が神であることを忘れてしまったのです。
ですから、悟りはこれから求めるものではなく、自己の本質は神であることを自覚し、それを肉体身を通して、行動として表せることにあるのです。つまり、悟りは今ここに、自分が在ることの真の存在理由を知ることなのです。
そうした本質的な立場から、この現象世界を観れば、人間が病んだり、争ったり、様々な苦悩や歓喜の中で泣いたり笑ったり、一喜一憂していますが、それらはすべて、因縁生を浄化して、この世界をより善くしてゆくための働きの姿である、ということになるのです。そして、浄化のために現れた、様々な因縁生に振り廻されてしまっているのです。
そこで、悟るためにはまず、この肉体という束縛から脱却しなければいけない、ということで昔から様々な方法がとられてきました。それが悟りへの自力的な修行方法となったのです。そのため、悟りというものが特殊で、難かしいものとなり、一般大衆とは無縁のものとなってしまったのです。
今日まで、様々な瞑想や統一方法が説かれていますが、「人間は本来神の分霊である」という、根本の真理をぬきにしては、真の悟りは得られるものではありません。
釈尊が「人身得難し」と謂っている、この肉体の存在価値を、ここであらためて考えてみましょう。この世界を浄化し、霊質化させていくためには、神がどんなに無限の力を持っておられようと、直接この世界に働きかけることはできないのです。次元が違うからです。この粗い物質波動の世界に働きかけていくためには、物質波動である肉体という器が必要なのです。この肉体は、単なる霊の器(入れもの)としてあるのではなく、この世界の業を吸収し浄化していく、浄化器のような働きをしているものなのです。そこで、この肉体をどう扱うかが大事なことになるのです。
この肉体波動が粗く、鈍重であったら、いかに本心が神そのものの無限の可能性を持っていたとしても、思うように働くことはできません。従って、この肉体を霊質化することが大事なのです。つまり、肉体の波動をより細やかに、精妙に、高めていけばいくほど、内なる本心〈神)が働きやすくなり、無限の可能性が開かれ、力も才能も、知恵も引き出されてくるのです。そのためにも、統一(瞑想)が必要になるのです。
 何故なら統一とは、自己(肉体)の内なる真実(神の分霊としての本心)を見詰め、同化し、高め、ひろげていくことだからです。
人間の肉体に与えられた目的は、より高次元のバイヴレーション(光)を、曇りなく放射できる通路となること、つまり光を伝達できる人になるということです。また、この世の業を吸収し、光に変えていける器となることなのです。
私たちは、肉体感覚に慣らされてしまっていますから、毎日少しづつでも、自己の本質を見詰めるための時間をとりましょう。それが統一(瞑想)なのです。
 こうして、自己の波動を高め、感覚を磨いていけば、それだけ、自覚の領域が自分の中に深く入っていけますし、また外に向ってもどこまでも広がっていきます。そうなれば、今までのように、考えながら事を運んでいたことが、感じることのほうが強くなって、物事の奥に入っていけるようになるのです。そうなると直感的な生き方になっていきます。
そこで悟りとは、一切のものは神のみ心のはからいによって、在ることを自覚し、一切の現れを、それが病気であれ、争いであれ、不幸な出来事であれ、すべては必ず善くなるため、つまり大調和世界顕現のための働きとして、よしと全肯定できることなのです。
 愛とは、今、この瞬間、すべてを無条件でどれだけ受け入れることができるか。そして悟りもまた、すべてを善しと、受け入れることのできた状態ならば、愛も悟りも一つであって、全肯定なのです。”


 上記は波動勉強会の一節ですが、先生の一言はいつも自覚を喚起してくれます。そして体現されてますので説得力があります。


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