供養ということ・・自己体験より | tablaboyの道日記

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祈りによる世界平和運動、祈り研究をライフワークとし、音楽、散歩が趣味です。音楽に関する記事、スピリチュアリティーに関する記事、祈りに関する記事、随時アップしてゆきますので、楽しんでください(^^♪ 世界人類が平和でありますように

まだ世界平和の祈りを始めて間がないころ、当時市川にあった白光の聖ケ丘道場に通うため、小岩の古いアパートに住んでいました。
ある夜、自分のなかに今までになくくらーい、絶望的な気分になるのです。
自分でも「おかしーなー。こんな気持ちになったことないのになー」と思っているうちに、締め付けられような重さ、重圧を感じてどうしようもなくなってしまいました。
そこで意を決し徹夜で祈りを繰り返すことにしました。すると2,3時間すると、女性の声が自分の中から聞こえてきて「私は○○というものです。ありがとうございました。」とお礼をいってこられました。どうもその部屋でなくなった女性のようでした。
あまり霊感らしきものがない私が感じたのですから、よっぽど伝えたかったのでしょう。
はからずも一人の未浄化の女性を供養してしまったわけです。
そこで感じました。
「祈りとは自分が光ることであり、それはそのまま宇宙に光を放射していることであり、生きとし生けるもの、形あるもの、形なきものを供養していることなんだなー」と {/hiyo_do/}
            
         世界人類が平和でありますように