「やがて離れてゆくもの」というモチーフ
こんばんは。Yataです。
読書が好きです。読んだ本の中から、心に響く一節を探すのも好きです。
ストーリーの流れの中にあってこそ、意味を成し、深みも出る文章だということは承知の上で。その一節だけを取り出して、何度も読み返して、味わうのが好きです。
そうして集めた文章を並べてみると、自分の好きなモチーフって際立ってくるもので。
こと「子ども」や「育児」関連の文章に関していえば、どうやら私は、「やがて離れてゆくもの」というモチーフが大好きなようです。
今は自分の腕の中にいる幼子が、やがて育ち、巣立ってゆく。そういうモチーフ。
以前にも紹介した、俵万智さんの歌でもそうで。
歌集「プーさんの鼻」の中で、私がいちばん好きな歌がコレ。
「葉桜のみどりにすいと手を伸ばす坊やいつまで私の坊や」
「坊やいつまで私の坊や」ってフレーズが、もうなんともかんとも。大好き。
私のじゃないのはわかってるの。所有物じゃないの、わかってるの。でも、腕の中にすっぽりとおさまっているちっちゃな子供。
これ、「葉桜のみどり」という、青々とした、生命力・伸びゆくイメージの情景との対比がまたお見事で。
もひとつ、これも好き。
「たんぽぽの綿毛を吹いて見せてやる いつかおまえも飛んでゆくから」
「いつかおまえも飛んでゆくから」
うーん、ほんと、わかりやすくこういうモチーフが好きみたいです、私。
これもね。心的風景と詠まれている情景のマッチ具合がすばらしい。短歌ってすごいな、ほんと。
しかし、こういうモチーフの詩や文章って、いっぱいあるんですよねー。
私だけじゃなく、皆思うことは同じってことですね。
これまた追々紹介していくつもりです。
小指を狙うと有効です。
さっき、CAP(Child Assault Prevention…子どものへの暴力防止プログラム)のワークショップの内容について、かなり長く熱く語った記事を書いてたんですが…。
間違ってブラウザを閉じて、全部消えちゃいました!!(涙)
アメブロには記事の下書きの自動保存機能って…ないのよね??
あぁ、悲しい…。
ちょっと今、書き直す気力がないので、CAPのワークショップで得た小ネタを書いておきます。
子どもが、さらわれたり襲われたりしそうになったときに、覚えておくと有効な手段として紹介されていた護身術。
後ろから手で口をふさがれたり、腕をつかまれたりしたときは、
相手の小指だけをつかんで引っ張る!!
と、良いらしい。
これ、実際にやってみました。
たしかに、大人の握力でつかまれて、手全体をひっぺがそうと思うと難しいんだけど、小指だけならグッと引っ張ることができる。
そして、実験台になった夫曰く、
「小指だけを引っ張られると、折られそうな気がして、反射的に手をひいてしまうかも…」
とのこと。
これ、覚えておこう。子どもに教えておくのもいいし、自分にも使えるし。
(まあ、役立つ機会があったら困るんだけど…)
このCAPワークショップ、面白い話がたくさんあって、紹介したいことがいっぱい!
また今度、改めて記事にしますねー。
今住んでいる自治体では、託児つき(格安or無料)の講座やワークショップがちょこちょこ開催されるので、とてもとても助かってます&楽しませてもらってます。
このCAPのワークショップも、無料託児つきでした♪
ユネスコの学習権宣言
ユネスコの「学習権宣言」…って聞いたことありますか?
1985年にパリで行われた、第4回ユネスコ国際成人教育会議で採択された宣言です。
一部抜粋しますね。
学習権とは、
読み書きの権利であり、
問い続け、深く考える権利であり、
想像し、創造する権利であり、
自分自身の世界を読みとり、歴史をつづる権利であり、
あらゆる教育の手だてを得る権利であり、
個人的・集団的力量を発達させる権利である。
成人教育パリ会議は、この権利の重要性を再確認する。
学習権は未来のためにとっておかれる文化的ぜいたく品ではない。 それは、生き残るという問題が解決されてから生じる権利ではない。
それは、基礎的な欲求が満たされたあとに行使されるようなものではない。
学習権は、人間の生存にとって不可欠な手段である。
もし、世界の人々が、食料の生産やその他の基本的な人間の欲求が満たされることを望むならば、世界の人々は学習権をもたなけれ ばならない。
もし、女性も男性も、より健康な生活を営もうとするなら、彼らは学習権をもたなければならない。
もし、わたしたちが戦争を避けようとするなら、平和に生きることを学び、お互いに理解し合うことを学ばねばならない。
“学習”こそはキーワードである。
(中略)
学習活動はあらゆる教育活動の中心に位置づけられ、人々を、なりゆきまかせの客体から、自らの歴史をつくる主体にかえていくものである。
この宣言のことを知ったのは数年前です。
カンボジアの教育支援を行うNGOで働いていたときに、何かの冊子でふと目に触れた文章。
学習権は、「自分自身の世界を読みとり、歴史を綴る権利」であり、「人々を、なりゆきまかせの客体から、自らの歴史をつくる主体にかえていくものである」。
……この部分が、がつんと響いたもので、メモっていました。
「自らの歴史をつくる主体となれ」
これが、私の教育(なんて大層なモノでもないけど)の根っこです。今のところ。
息子にも、娘にも、「客体」ではなく「主体」であってほしい。
それがどんな形であれ、自ら選びつくりあげた「主体」であってくれればいいなぁと。
子供たちがもっともっと大きくなった時に、読んでほしいと思っている文章です。
名づけは、親の最初の責任
「名づけは、親から子供へ最初のプレゼント」って言葉を、妊婦雑誌とかで最近よく見かけます。
でも、最初のプレゼントは、最初の責任でもある。
俵万智の詩集「プーさんの鼻」より、名づけに関する短歌を二首。
「とりかえしつかないことの第一歩 名付ければその名になるおまえ」
「読みやすく 覚えやすくて 感じよく 平凡すぎず 非凡すぎぬ名」
この二首は、とあるDQNネームサイト(とあるっていうか…そのまんまの名前ですけど)で見かけて知りました。
俵万智は「サラダ記念日」しか知らなかったんだけど、この二首が載っている「プーさんの鼻」は、妊娠・出産・育児に関する歌が多いとのことで…ほかの歌もいろいろ読みたくなって、後日、買ってしまいました。
育児中の方の心に響く歌がたくさんあります。また追々紹介していきたいと思いますー。
子育てはハッピーでなくていい
クーヨンの4月号の記事でちょっと面白いなーと思った一節があったのでご紹介。
毛利子来先生のインタビューより。
「最近、ハッピーとか、たのしく育児、とか流行ってますが、子育てはつらいこともあるし面倒くさくもなる。
なのに、講演会で子育ての話になると、たのしくハッピーに、というタイトルになっちゃう。
それがまた親を悩ませるんだね、わたし、いつもしあわせではない。たのしいときもあるけれど、苦しいときもある……って。ダメ親と思わされちゃうのは気の毒だね。
うまくいかないこともイヤなこともある。そういうことをあっさりと認めちゃう。そのほうがむしろ本当の正直な育児になりますよ。」
この毛利さんって、「育育児典」という育児書を書かれた小児科医の先生だそうです。
HPもありました。→たぬき先生のお部屋
ちらちらっと読んでみたけど、なかなか面白そうなおっちゃん(失礼)です。
私は基本、「楽しく子育て」が一番だと思ってます。
親が笑顔でいることが、子どもにとっては何よりの栄養になると思ってます。
でも、そういう言葉だけが独り歩きしてしまうと、それは何か違う気がするのも確かで。
そりゃ基本は楽しいですよ。でも、いつもじゃない。うまくいかないこともある、悩むこともある、イライラするし、面倒だなと思うこともある。たまに、そんな日が何日も続くことだってある。「何でこうなっちゃうんだろう」と思うことばっかり。
「子育てはハッピーでなくていい」
そうスッパリ言ってもらえると、とても気が楽になる。
「楽しくなくていいんですよ」
そう言ってもらえると、
「いやいや、結構楽しいんですよ」と返せる自分がいたりね。