7/31の旅 | 旅一郎のブログ

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国鉄(日本国有鉄道)が、最後の全盛期を迎えた昭和47年ー53年までをテーマにした、汽車旅のブログです。

旧型客車亡き後、日本の鉄道旅行は本当につまらなくなりました。そのため海外ネタも載せています。

当時の雰囲気を伝えるものは鉄道にかかわらずアップします


米子はホテルが安い。

ホテル松本。令和6年の夏休みでも3,700円は助かる。

斜向かいにある「ビジネスイン米子」がこの近辺では最も安く以前はよく利用していました。

しかしインフレの波には勝てず2,500円から3,000円に値上がりしています。

さて改装され全貌が明らかになった米子駅。

右側の鉄道管理局部分を残し大幅に変わりました。

改装されるとほぼ100%改札口直結の1番線は階段移動になります。

またホーム上の弁当屋や駅そばは改札口外に移動します。

ここ米子も例外ではなかった。

以前は改札口からそのままシームレスアクセスができた1番ホーム。いまは迷路のように階段を回らなければなりません。

そもそも1番線は優等列車専用ともいえ、タクシーで乗り付けたらそのままホームに行くことができることが利点だったのに。

エレベーターがあるからいいだろうというのは発車ギリギリに駅到着してエレベーター前に長蛇の列を見、絶望している客に向かっても言えますか?

5:54 米子駅を後にします。

まだ早い時間帯なので人は二人だけ。

伯耆大山では早くもEF64が稼働していました。

本日は曇り。伯耆大山見えない

6:08 淀江で早速6分停車。下りキハ47と交換

6:28 山陰最古の駅舎になった御来屋を発車

6:35 下市

この辺りからパラパラ高校生が乗ってきます。

7:14倉吉。高校生のほとんどはここで降りた。

交換の米子ゆきキハ126を待って7:20に発車

ホーム隣には特急スーパーはくと京都行きが停車中。


この列車で通学していると「大阪、京都へは特急スーパーはくとで行く事ができるのか」と刷り込まれることでしょう。

長距離列車がなくなり国鉄ネットワークの価値も忘れがちですが、乗り換えなし直通という事がその価値でした。

昔の長距離鈍行であれば毎日乗ってる列車が「京都行き」「大阪行き」だったため、そのまま乗って行けば大阪に行けると深層意識に刻まれるでしょう。

その「移動の自由」を意識できるかが、人生の選択肢の多寡に影響を及ぼすと言っても過言では無いと思う。

近年「半径1メートルで生活する若者」といわれ、ネットで便利になった、情報にもアクセスしやすくなったのに実体験が乏しく、よそで起こっている事には「興味がない」という逆説的なことになっているようだ。

それは鉄道ネットワークの分断も原因の一つではないかと思います。

倉吉からは落ち着いています。


鳥取付近の混雑が始まる前に酒の残りを飲んでおこう。