国鉄はもう無い、その無いものとどう折り合いをつけるか。 | 旅一郎のブログ

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国鉄(日本国有鉄道)が、最後の全盛期を迎えた昭和47年ー53年までをテーマにした、汽車旅のブログです。

旧型客車亡き後、日本の鉄道旅行は本当につまらなくなりました。そのため海外ネタも載せています。

当時の雰囲気を伝えるものは鉄道にかかわらずアップします

国鉄はもう無い。日本に限った話だけど。


国鉄の旅が好きで高校生の時に国鉄が無くなるまでずっと旅してきた。特に最後の数年は記憶に焼き付けようと必死で、最後の最後半年はビデオにその様子を記録した。

(正直ベースでは53.10で減量ダイヤになったところから衰退が始まっており、ビデオを撮れたのは末期の残り滓みたいなものだけだったけど)


そして昭和61年11月に旧型客車とともに国鉄は無くなった。



今風にいえば「国鉄ロス」

自分のビデオ撮影スタイルからみても61.11前と後では真剣さが違うのがわかる。


それまでは「なんとか残そう」と、アングルを迷ったり、短くカットしたらしなかったけど、後のものは「俺ここにも来てたよ」と証拠にさえなればいいと言うくらい適当になっていた。


それで国鉄ロスをどう埋め合わせしたのか。


多くのファンが国鉄ロスになっていた。

特に旧客にフォーカスすると、

ある人はイベント列車、保存列車にその面影を追った。またある人は12系や50系が旧客の「正当な後継者」と見なし乗り続けた。


旧客の価値をTR47と固定してまうと、保存列車一択になる。なぜなら他に代替手段がないから。


しかし僕が選んだのは「海外に行く」だった。

車両としての43系TR47は最高だと思っているけど、博物館に入った様子はみたくなかった。

動物園で見るライオンのようで。


海外といっても旧植民地系の国で、感覚的に日本に近いところを重点的に訪問した。


旅の醍醐味である、長距離列車の持つ別れをベースにした旅情、そこに重点を置いたのだ。

(国鉄の価値とは長距離ネットワークであり、通勤輸送は副業のようなものという考えに基づく)


確かに形式は違うけれど、長距離客車列車でふるさとを離れ遠くの街で働く人を乗せた列車、そこにかつての九州夜行で帰省していた母親の姿が重なり「これぞ旅情」と感じられた。


日本とは型式が違えど、長距離列車のもつ雰囲気、これもまた国鉄の味だった。


※実際にはそれら全てを融合して旅しているところ。


長距離旅情→海外

正当な旧客→保存列車

後継者→キハ40系列


同じように、「江戸」が趣味だった杉浦日奈子が言っていたセリフ「江戸を感じるのは神田のビルの谷間だ、決して深川江戸資料館ではない」その心は今はわかる。