高徳本線キハ40系列は俗化されていなかった | 旅一郎のブログ

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国鉄(日本国有鉄道)が、最後の全盛期を迎えた昭和47年ー53年までをテーマにした、汽車旅のブログです。

旧型客車亡き後、日本の鉄道旅行は本当につまらなくなりました。そのため海外ネタも載せています。

当時の雰囲気を伝えるものは鉄道にかかわらずアップします


高徳本線 高松行き316D 板野駅20分停車中

原型エンジンが唸る

トイレの汚れまで懐かしい

板野を7:25に発車するとすぐ峠に差し掛かる。

隣が空いてるボックスを見ると安心します。立ち客がなくてもいっぱいに詰め込まれたボックスは貧乏に見える。

板野から阿波大宮、県境越えて讃岐相生まで峠超えの勾配が続く。最大25‰なのでそこまできつくないように思うけど、キハ40原型エンジンにとってはきついようだ。

7:34 徳島最後の駅。

峠を越えると海が見えた。トイレ横の席に移り少し窓を開けた。

ようやく汽車旅っぽくなった。

Twitterでも呟いたとおり、「窓開け」「ボックス占有時の足乗せ」「飲食」など鉄道会社が禁止してないところまで自主的に規制した結果汽車旅がつまらなくなっただけでなく、しんどくなった。

しんどい交通手段は選ばれない。マナーの押し付けは鉄道離反を促進する可能性がある。



高松市内に入った。琴電の線路をオーバークロスします。、四条大宮の京福電車を跨ぐ山陰本線のようだ。

9:10 終点・高松。短い旅が終わりました。

全体的に山陰本線だった。

あとは帰るだけの惰性ですが、日本酒が残っているのでつまみを買いました。

青函トンネルと本四備讃橋梁は日本の誇りだと思う。

開業セレモニーこそ新会社のJRがおこなったが、地質調査から開業直前までは国鉄がやっていた。

国鉄という人格があるならば、部下に手柄を取られたように感じるだろう。

岡山から赤穂線にのります。

たった2両になった赤穂線列車に並んでいると国鉄特急が来ました。