海外鉄道はなぜ人気がないのか | 旅一郎のブログ

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国鉄(日本国有鉄道)が、最後の全盛期を迎えた昭和47年ー53年までをテーマにした、汽車旅のブログです。

旧型客車亡き後、日本の鉄道旅行は本当につまらなくなりました。そのため海外ネタも載せています。

当時の雰囲気を伝えるものは鉄道にかかわらずアップします


日本の旧客(福知山線列車・大阪駅)

これを対象とした趣味に誇りすら覚えた


(以前も同じような呟きをしているけど、再度備忘録的意味も込めて書きます。)


自分がそうだったから理解できるけど、特に鉄道ファンにとって海外の人気が低い。車や飛行機、船などのファンはそこまで日本原理主義に陥っていないと思う。


昔鉄道ジャーナルで人気の記事のアンケート?

をしていたけれど、その結果も海外記事は人気が低かった。


唯一海外記事で1位だったのは、竹島編集長自ら取材した韓国の鉄道(それも2回にわたる特集)だった。


これまでの記事と違い、ビートルで博多から旅立つ作りになっていたので感情移入しやすかったのだと推測している。


鉄道ジャーナルで珍しく「人気1位」になった記事の頃の韓国旧客。(釜山鎮→清涼里)普通列車

二度と乗れないと思っていた旧客の旅情があった。韓国・京春線


そもそも僕自身なぜ海外が嫌いだったのか(あるいは無関心だったのか)と、当時の感情を思い出すと


まずは日本の国鉄の車両が格好良かったからにほかならなかった。



派手だったヨーロッパの列車・イギリス


当時の海外の情報は欧米がほとんどで派手なデザインなのが気にくわなかった。

それに対して日本の国鉄のデザインやカラーリングが素晴らしいと思っていた(今も国鉄色に勝るものはないと思っている)


ところが国鉄民営化の前後からこれまでのイメージを覆すかのように、特に民営化後は「国鉄的なものを全否定」するかのように、派手なデザイン、カラーリングの車両が登場した。


これにウンザリした事もあり、僕の鉄道趣味対象として最高である旧型客車が無くなった事によるショックもあって、日本の鉄道に対する興味を急速に失った。

その頃知ったアジアの鉄道(台湾)

台湾の旧客

もはやどこの国の車両かわからなくなったJRの車両よりもよっぽど「国鉄らしさ」があった。

鉄道趣味の最高点はやはり蒸気だと思った。(満州)


海外で一番困るのは言語だと思うけれど、日本の鉄道の魅力に駅や車内のアナウンスがあった。


しかしそれも(僕の感性では)変なメロディや、自動放送にかわり、昔ながらの「あおもーり」や「にしがごしまー」という旅情溢れるアナウンス、オルゴールの鉄道唱歌などもなくなったので、もう日本にこだわる必要はなくなった。


今キハ40ブームだけれども、現在高校生くらいで、最後にキハ40を真剣に追いかけていると、終了した時に、かつての僕のようにアパシーになるかも知れない。


そんな時には毛嫌いせず海外にも目を向けて欲しいと思う。


僕の趣味対象としての「国鉄らしさ」は何年失われていて、駅弁すら過去帳入りしそうになっている。


「もういいや」というのが本音かな。