朝鮮人が強制移住させられた街 江東区枝川ごゆるり徘徊 | 舟水の世界ごゆるり街歩き

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               NHK教育番組「たんけんぼくのまち」で強烈な刺激を受け、小学校の頃から地理大好き人間。日々の散策からちょっとした世の中の宝箱を覗いて見ませんか?

東京都江東区枝川は東京を代表するコリアンタウンのひとつですが、その存在は東京都の住民でさえ、あまり知りません。まるで存在していない街のように取り扱われてきた・・・そんな感じさえ感じる、東京都の中でも特殊地区となります。

 

(2016年9月撮影)

東雲と辰巳を結ぶ辰巳橋の上から枝川一丁目方面を眺めます。写真では運河の先の突き当りに見えているマンションや倉庫が水辺を固めていますが、その内側には、戦前に朝鮮人が強制移住させられた地区「枝川一丁目」で、未だに当時の面影が残されている、東京都の中でも絶滅危惧種指定エリアとなっています。

 

 

江東区枝川の場所です。

枝川一丁目のある埋め立て地の島の中心部には朝鮮人学校の存在が確認できます。最寄り駅はタワマンエリアの豊洲ということになり、豊洲から運河ひとつ隔てて枝川一丁目に渡ると、そこには別世界が広がっています。まさに東京の光と影が存在する場所となっています。

 

現在の枝川一丁目・・・ここは1940年、日中戦争の影響で開催中止となった幻の東京オリンピックを前に、都内一帯のスラム街の住人を立ち退かせて、当時、何もなかったこの埋め立て地に集団移住させて以来の歴史を誇る、古いコリアンタウンなのです。

 

つまり、天皇陛下が地方に訪れる・・・となると、その訪問先の道路が綺麗に整備されたり、野良猫や野良犬が消えたりします。オリンピック招致を巡っては、風俗雑誌がやり玉に挙げられ、コンビニでの販売の規制が厳しくなったり・・・  それと全く同じ理論で、幻に終わった東京オリンピック開催を前に、スラム街に住む在日朝鮮人を人目に付かない場所に移す必要があったのです。枝川一丁目は、東京都によって人工的に設けられたコリアンタウンということになります。

 

 
 

 

 

 

枝川一丁目の核心部分をグーグルマップで見てみます。この小さな区画が現在でも廃屋寸前の住宅やバラック小屋のような違法建築のような建物が密集するエリアです。東京朝鮮第二初級学校、そして在日タウンの代名詞でもある焼き肉店の存在が確認できます。そして見逃してならないのが、教会です。韓国と言えば儒教ですが、実はクリスチャンも多い国民です。その為、在日コリアンタウンには教会が存在するのが一般的です。在日韓国人の名前には、聖書の「聖」, Saintの「聖」の文字が使わることも多く、例えば、聖子さんという女性ならば、ひょっとしたら・・・朝鮮系日本人なのかもしれない・・・という発想は、そんなに間違ってはいません。(もちろん、全員が全員そうではありません)

 

区画の中に朝日児童公園があります。この場所は、強制移住させられた朝鮮人住人たちの共同洗い場だった場所です。上下水道などが敷かれていない劣悪な環境だった当地で、井戸端会議から食材の水洗い、食器洗い、洗面、洗濯、浴場、排泄まで一気に担う場所だったと考えられます。そんな苦難の歴史がある朝日児童公園ですが、地元住民は朝鮮と日本の友好を願って「ちょうにち」児童公園と呼ぶそうです。なんだか、朝日新聞が朝鮮日本の略ではないか・・・と変な勘違いをしそうになります(笑)

 

そんな枝川一丁目ですが、このエリアは戦時中の空襲を奇跡的に免れた場所です。その為、現在でもバラック小屋や廃屋寸前の建物が密集して残る場所となっています。(ひょっとしたら米軍は、ここが在日朝鮮人の隔離施設と認識していた為、空爆を避けたのかもしれません。) 

 

当時移住させられた朝鮮人たちのその多くは亡くなっている、若しくは超高齢者だと思います。生活も豊かではなく、長年住んできたバラック小屋や家を建て直そうにも建て直す経済力を身に付けれなかった人も多いのではないかと思われ、現在までダラダラと至っている・・・というのが実情かもしれません。彼らの2世、3世も、こんなところに住みたくないと出て行っている者が殆どだと思われ、在日コリアンタウンとしてのカラーが薄れつつあるようです。彼らに代わって、周辺の団地やアパートに居を移すようになっているのが、中国人やらフィリピン人やら・・・で、インターナショナルな環境に身を置きたい人にとっては、お奨めの場所かもしれません。インターナショナルと言えば・・・広尾?恵比寿? いや、枝川です!

 

 

(2016年9月撮影)

今にも倒壊しそうなバラック小屋の倉庫・・・ 在日朝鮮人が残した重要文化財です。奥に見えているマンションには中国人を始めとしたアジアンな住民が拠点を構えていたりします。バラック小屋から、こちらのマンションに引っ越した在日朝鮮人も住んでいると思われます。そういう場所柄だけに、このマンションは東京の相場より安めの賃貸価格となっています。名前は木場南スカイハイツです。家族向けの広さで運河が一望できる眺望もあったりですが、最寄り駅が豊洲駅なので陸の孤島のような場所です。都バスを利用する生活が必須になります。

 

(2016年9月撮影)

味のある、かつてのオウムのサティアンのような雰囲気があるコンクリートの建物。壁面にへばりつけられたプロパンガスが、この枝川と言う地を表しています。都市ガス?いや、プロパンガスでしょ!

 

(2016年9月撮影)

在日コリアンタウンや、あまり積極的に住みたくないエリア・・・には、公明党やら共産党やらピースボートのポスターが街頭に溢れているのは定番ですが、こちらには日本共産党員の事務所までがありました。

 

(2016年9月撮影)

枝川一丁目の核心。東京朝鮮第二初級学校。いわゆる、朝鮮総連傘下の朝鮮人の小学校で、日本ではいわゆる各種学校という定義になります。東京五輪を前に、朝鮮人スラムを人目から遠ざける為の朝鮮人強制移住。当然、在日は在日として教育もこの地でやっていかなくてはいけない・・・ということで、当時の東京市が20年のという期限付きで、都有地をこの朝鮮学校に無償で貸し出した・・・というのがそもそもの始まりです。当然、借地期限の20年を過ぎても、この土地が都に明け渡されることはなく、期限切れ後も、都はズルズルと賃料を請求することもなく「不法占拠状態」が続いていたのです。訴訟沙汰までになってようやく和解が成立したのが2007年。1940年頃に貸し出されたこの土地は、賃貸無料の都有地として70年近くに亘り、朝鮮学校に利用されてきたのです。

 

こういった一件を知るだけも、在日に対する行政や、似たような境遇の同和行政の難しさというのが見え隠れします。「お前らが差別するから、こうなったんや!どうしてくれんだ!」そういう声に、日本の行政は長年何もできないでいた、まさにアンタッチャブルな事案だったのです。

 

ごゆるり散策しながらも、こういった特殊地区の為、カメラであちこち撮影するには躊躇いもあり、写真は数点のみの撮影となりました。

 

 

以上、 朝鮮人が強制移住させられた街 江東区枝川ごゆるり徘徊 でした。

 

 

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