釜山の国立日帝強制動員歴史館 ごゆるり鑑賞 | 舟水の世界ごゆるり街歩き

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               NHK教育番組「たんけんぼくのまち」で強烈な刺激を受け、小学校の頃から地理大好き人間。日々の散策からちょっとした世の中の宝箱を覗いて見ませんか?

国立日帝強制動員歴史館は2014年10月に506億ウォンの事業費を投入して建設された地上3階、地下4階の

日本植民地時代の強制動員に関する歴史のみに特化した歴史博物館です。国連記念公園や国連平和記念館と

併設されるように設けられた「日帝強制動員の歴史教育の場」はUN平和文化特区にも指定されており、

平和と人権の歴史を記憶して体験する歴史と観光の名所を目指している施設です。

日本人としては一度見ておかなければならないと思い、年明け早々、ごゆるり鑑賞してきました。

 

 
 

(2018年1月3日撮影)

国立日帝強制動員歴史館は国連平和記念館の隣に建てられています。周りは住宅マンションが立ち並ぶエリア

となっており、とても閑静な場所です。

 

 

 

 
 
 

 

 

 

国立日帝強制動員歴史館 の場所です。

最寄り駅は釜山地下鉄2号線の「大淵(テヨン)」駅となります。3番出口から徒歩20分程です。

 

 

 

 

 

 

 

 

(2018年1月3日撮影)

建物が7階建てですが、丘陵地の崖に併設されるような形で建てられている為、地上3階、地下4階という表現が

される建物です。こちらからのエントランス(地下4階)から地下1階(真ん中のガラス張り)へエレベーターで上がる

と、そこが広々とした歴史館のロビー・レセプションとなっています。上部の地上階が展示コーナーとなっており、

これだけの規模を誇る歴史館を建てる韓国政府の並々ならぬ意気込みが感じられます。

 

(2018年1月3日撮影)

 

(2018年1月3日撮影)

地下1階のロビーは全面ガラス張りになっており、広安大橋方面を綺麗に見渡すことが来ます。

写真中央奥に小さく見えている高層マンション群は海雲台方面です。

 

(2018年1月3日撮影)

歴史館は山裾に位置し、どん突きに当たる為、車通りも殆ど無くとても静かです。

 

(2018年1月3日撮影)

レセプションでもらったパンフレットです。このパンフレットのデザインを見た瞬間、あれっ?って思いました。

 

(2018年1月3日撮影)

歴史館を訪れる前に釜山博物館で見た、この関釜連絡船のパンフレットと酷似している!と瞬間的に感じました。

明らかに意図して造られたものです。

 

(2018年1月3日撮影)

こちらは、当時の日本であれば、当たり前に行われていた出征祝いののぼりです。

いよいよ戦地に出征するその日、親戚・近所の人たちが集まります。親は息子の為に、戦時中、目にする事が

無いような贅沢な食べ物を用意し近所の人たちもそれに預かります。出征祝いの儀式は、息子がもう二度と帰って

くることはないということが暗黙の了解で分かっているだけに、ある意味、生前葬のようなものでした。

 

(2018年1月3日撮影)

こちらに飾られている安田君ですが、名前から察するに朝鮮人です。日本の植民地となった朝鮮では、朝鮮人も

皇民として「天皇陛下万歳」と声高らかに、戦地に赴いて行きました。赤紙招集が行われていたのは、当たり前の

ことですが日本人だけではなかったのです。日本の植民地であった朝鮮・台湾・満州からも日本人として戦地に

向かう事を運命づけられた朝鮮人・台湾人・中国人は多々いました。こういった戦争の歴史は、もっと日本人が

知らなければいけない事だと思います。(ちなみに沖縄戦の戦争犠牲者の名簿には、現地に派遣された本土から

の他県出身者の他に朝鮮人や台湾人の名前も見られます)

 

(2018年1月3日撮影)

こちらは金さんの出征ののぼりです。赤字で召集と書かれています。

 

(2018年1月3日撮影)

徴兵された際、配布された手引き書のようです。

 

(2018年1月3日撮影)

同じ地区から出征で旅立つ召集兵の代表の答辞だと思われます。

 

(2018年1月3日撮影)

日本兵が所持していたお守りです。突撃一番と書かれています。

 

(2018年1月3日撮影)

旅立つ前に、このおちょこで酒を飲んだのでしょうか。

 

(2018年1月3日撮影)

昭和31年1956年巣鴨刑務所発行の「仮出所証書」。今も昔も、なんとも在日アルアルな資料です。

巣鴨刑務所は現在の東池袋辺りにあった刑務所で、戦犯となった東条英機を処刑した場所としても有名です。

金さんの指定帰住地が、渋谷区幡ヶ谷となっています。これって、個人情報かつ故人情報ですね。

 

(2018年1月3日撮影)

こちらは銀行の定期預金か何かのようです。しっかり、姓名と日本名の両方が記載されています。

こうして見ると、朝鮮人だと推測できそうな名字の日本性を付けている人は少ない感じを受けます。

たまたまなのか、金や安が付くとか木下(朴)・木村(金ら)性が見当たりません。

 

(2018年1月3日撮影)

金さんは、金村となっています。

 

(2018年1月3日撮影)

捕虜用郵便葉書です。当時ロシアに捕まった捕虜でも日本や日本の植民地に手紙を郵送できていたようです。

 

(2018年1月3日撮影)

 

(2018年1月3日撮影)

上野警察署発行の盗難防止ポスター

 

(2018年1月3日撮影)

階段を上がっていく空間には、戦時中の写真で埋め尽くされています。

 

(2018年1月3日撮影)

展示場はとにかく広々と空間を贅沢に使っています。

 

(2018年1月3日撮影)

当時、朝鮮ではこのように思想教育が行われていたようです。

 

(2018年1月3日撮影)

 

(2018年1月3日撮影)

旅立ちを前にした人生最後の集合写真です。

 

(2018年1月3日撮影)

こちらは朝鮮人労働者の宿舎の模型です。

 

(2018年1月3日撮影)

プライベートなど一切ない、悪名高きタコ部屋です。

 

(2018年1月3日撮影)

 

(2018年1月3日撮影)

当時の採掘抗の入口を模した模型です。

 

(2018年1月3日撮影)

 

(2018年1月3日撮影)

こちらは防空壕のようです。興味深いのは、看板の文字です。

 

(2018年1月3日撮影)

「朝鮮人は防空壕に入ることはできない」と書かれています。もちろん、これは当時の物ではなくレプリカだと思い

ますが、当時のことを体験していなくとも、こういう差別はあっただろうと、この展示に関してだけは妙に納得が

できました。

 

(2018年1月3日撮影)

 

(2018年1月3日撮影)

朝鮮人は森へ! まるで、鬼は外、福は内です。

 

(2018年1月3日撮影)

ご丁寧にも、朝鮮人はこの方向に逃げなさい!と表示もしていたようです。

 

(2018年1月3日撮影)

慰安所の様子を再現したコーナーです。日本名の女性の名前が掛かっています。

 

(2018年1月3日撮影)

中の様子は今も昔も変わりなく、といった感じで、マッサージ店や日本のソープと同じです。

タイの場末の置屋のようなイメージです。

 

(2018年1月3日撮影)

興味深いのがこの慰安所規定です。フィリピンのビサヤ地方にあるイロイロ島での慰安所規定です。

 

◆「サック」使用せざる者の遊興拒止 

  戦時中のゴムはサックと呼ばれていたのは日本人として興味深い点です。

 

◆料金は軍票として前払とす

 

など、細かく規則が書かれていますが、風俗店だけに公衆衛生に関する記述が多いのが特徴的でもあります。

 

 

 

以上、国立日帝強制動員歴史館のごゆるり鑑賞でした。

 

 

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