■河輪神社・・・埼玉県児玉郡美里町阿那志1663
氾濫原の中にある小さな独立丘の西側斜面に河輪神社はあります。
独立丘の東側は荒川の氾濫原で、その破壊的な水害からは守られている立地ですが周辺の状況を見るとおそらく長年湿地帯であっただろうと想像します。
山の麓に小さい鳥居がありました。
山の奥へと続く石段を結構登っていきますと…
拝殿
稲荷でもないのに真っ赤
神額の代わりに
赤いから梅の花か?
梅なら菅原道真ですが…
由緒書には…
祭神は淤迦美(高龗、闇龗?)、タケミナカタ、八坂刀女
タケミナカタと八坂刀女は諏訪神で、後から入った祭神ではないでしょうか?
創立不詳で、延暦20年に坂上田村麻呂が祈願した、
鎌倉期に河匂左京〇畠山重忠に信仰された、
慶長期に諏訪神を入れた
明治期に河曲神社とした
拝殿の瓦にある神紋は諏訪か?
こちらは本殿覆屋、神紋は見当たりませんでした。
特に手掛かりはありません。
三代実録に記載の河曲神社と思われ、
武蔵7党猪俣党河匂(かわわ)氏の本貫地
慶長年間に諏訪を勧請
祭神は淤迦美、タケミナカタ、八坂刀女
境内社は三和神社、二柱神社、若宮八幡、
明治期に北向神社、赤城神社、妙義神社、榛名神社、天手長男、御嶽、富士仙元を移転した、と。
祭礼を見ると八坂の影響があるようです。
さらに境内には…
石の祠
手前から榛名、赤城、妙義、天手長男、稲荷、二柱
明治に合祀された神々
その向こうが
若宮八幡
ある種別格
その向こうに…
北向
これは拝殿に向かって左手ですが、石段の奥には…
さらに…
三笠、御嶽、八海山の遥拝所
さらに名もなき祠
裏はゴルフ場
東を見ています。
猫の足あとサイトによりますと…以下赤字
創建年代は不詳
三代実録(901)に載っている河曲神社であろう。
坂上田村麻呂が東北地方の反乱を鎮定する際の延暦20年(801)に当社に祈願した。
慶長(1500年代末~1600年代初)年中に地頭安藤彦四郎が諏訪神を尊信して当社に合祀、社号を諏訪神社と改称。
明治に再び河輪神社に改称し、北向神社、赤城神社(字天神)・妙義神社・榛名神社・天手長男神社、御嶽神社(字横手)、富士仙元社(字塚田)を遷座した。
江戸時代には阿那志村の鎮守社となっていました。
この「阿那志」という地名が気になりますが全く不明です。
穴師? 穴掘り職人? 地下資源を採掘する人?
となれば金山彦系
金山彦の妹・イザナミがイザナギとの間に産んだ神俣姫の別名が闇龗(くらおかみ)です。
日本列島の中央構造線に沿って地下資源を採掘していたのが金山彦系の人々で、彼らが中央構造線を西からここ埼玉北西部までたどって到達したのだと想像します。
上記のような出自の闇龗を彼らがトーテムとして持ち込んでいたとしても不思議ではありません。
拝殿建屋が真っ赤なのも普通は稲荷を連想しますが、稲荷(伊勢下宮様)はスサノオの娘で、スサノオは上記・闇龗(神俣姫)の弟です。
真っ赤に塗るのが金山彦系殷氏の特徴だとするなら、ここ闇龗(神俣姫)を祀っている河輪神社が真っ赤でも不思議はないです。
夏越大祓、師走大祓に人形(ひとがた)を流すことで氏子の罪汚れを祓い、防ぎ札を村境に建てる
これは制圧戦の戦後処理のことではないでしょうか?
年2回やっているということは中世の出来事ではなく古代だと思います。
古代にあった戦いの記憶、人形は敵の死体か?
そしてこれ以上の侵入者を許さぬよう防護札を立てた、と
主祭神は淤迦美神
相殿は健御名方命、八坂刀売命
境内社は榛名社、赤城社、妙義社、天手長男社、稲荷社、二柱社、若宮八幡社、北向社、富士仙元社、御嶽神社、八海神社、三笠神社
河輪は河曲の書き換えでしょうね。志戸川の湾曲した流れのことを表現したネーミングでしょうね。
主祭神の淤迦美(おかみ)とは高龗(たかおかみ)と闇龗(くらおかみ)のことだと連想しますが、実質的に闇龗=神俣姫(イザナミとイザナギの長女)ではないでしょうか。
では闇龗を崇める人々は誰と闘っていたのか?
ここ河輪神社は西を向いて山頂にありますので、氏子たちは河輪神社を背に西からやってくる敵を対していたのではないでしょうか? 川が防衛ラインになっていたのではないでしょうか?
敵は群馬方面の勢力だったかもしれません。
境内社にあったような榛名社、赤城社※1、妙義社の勢力、碓氷峠から群馬へと入ってきた勢力です。
ではさらに闇龗が入ってくる前はどうだったでしょうか?
弥生期の原初の祭神はというと手長男、稲荷あたりだと考えます。
手長男はこの地域に多いです。
手長男は壱岐に祀られていますので、日本海側を北上し新潟に上陸して山中を越えて関東平野に入ったと考えています。
ここまで考えると、まず原初の時代にこの地を開発したのは殷氏のグループ・稲荷で、後に手長男グループが入植し、そこへ秩父から下ってきた闇龗が入り込み群馬方面の榛名、赤城、妙義と抗争していた…などと想像できるかもしれませんねぇ。
歴史は確定できませんが…
※1榛名と赤城が喧嘩をしていたという伝承があります。
榛名=殷氏・金山彦と争う相手というと阿蘇系でしょうか??
以前、赤城山頂にある赤城神社にも行ってみたのですが、どうも観光地化されていて有益な伝承には巡り合えませんでした。
妙義もまだ訪問しておりませんのでよく分かりません。
妙義山はここから西の群馬にあります。

























