前回の勝呂神社から少々移動しました。

 

■島田天神社・・・埼玉県坂戸市島田722

 

 

 

越辺川の氾濫原に含まれるのか、それとも僅かに高い土地なのか微妙な位置です。

いずれにしても洪水の危険は免れないでしょう。

 

 

拝殿

 

 

拝殿の屋根には

 

梅紋、菅原道真

 

本殿覆屋

これ以上は何もわかりません…

 

これは本殿脇の石碑

左は

見づらいですが、小御嶽磐長姫大神

御嶽と磐長姫が合体してる! これは一体…

御嶽は秩父奥地にあるイン式三つ鳥居で有名な神社です。そして磐長姫はどうも定まりきらない神様です。

 

そして右は

浅間、木花咲夜姫

 

では猫の足あとサイトで詳細を見ていきます。以下赤字

祭神は菅原道真。

境内社は諏訪社・稲荷社・九頭龍社、小御岳磐長姫大神・富士浅間大神

(磐長姫以外はまぁ…)

永禄年間(1558-1570)に京都北野天神を勧請したと伝える。明治5年村社に列格、明治41年道免の神明社・勝呂の諏訪社・稲荷本町の稲荷社・町西の九頭竜社を合祀した、と。

 

ということは、明治以前の祭神は菅原道真と小御岳磐長姫大神、富士浅間大神となります。

 

富士浅間は江戸期のものでしょう。

菅原道真は永禄年間(1500年代)。

となると磐長姫が一番古いということになるのかな。

 

磐長姫は久留米地名研究会・古川清久氏のお話によれば、まだ推定の段階だとお聞きしています。

つまり磐長姫=アカル姫とのお考えです。

 

その一方で以前レポートしました和田之神社(東京都青梅市日向和田2丁目317)でも書きましたが、

磐長姫=神大市姫の可能性もあると感じています。

 

今のところ、いずれなのか確定はできません。

 

アカル姫(大幡主とイザナミの娘)、神大市姫(大山祇と埴安姫(大幡主の妹)の娘)、いずれもスサノオの妃です。

いずれであるのかは判断できません。情報がないです。

1500年代に入れられた天神社、つまり菅原道真とも関連なさそうです。

 

百嶋神社考古学では、豊玉彦とオキツヨソタラシ姫の間に生まれた武夷鳥が菅原道真の祖先とされています。

武夷鳥は関東開発をやった人物で、菅原道真の子孫が「祖先である武夷鳥」の祀られた神社を訪問したという記録も残っています。

このオキツヨソタラシ姫はスサノオとクシナダ姫の間の娘です。

ので、菅原道真の血筋と、磐長姫(アカル姫、神大市姫、いずれにしても)はつながっていないです。

 

ここまでの材料を見る限り、磐長姫(アカル姫、神大市姫)信仰が初期にあって、後に磐長姫とは関係なく菅原道真が入ってきた、と想像できます。

 

しかしなんで磐長姫が小御岳といっしょになっているのか分かりません。