霞川を遡上するシリーズも今回が最終回です。

 

■和田之神社・・・東京都青梅市日向和田2丁目317

 

 

もうかなり青梅の西のはずれです。

 

多摩川を見下ろすような河岸段丘上にあります。

 

 

 

 

境内へ進みます。

 

拝殿

鰹木は5本(男神)

 

拝殿神額

 

拝殿を横から

千木は外削(男神)

 

本殿(覆屋)

千木は外削(男神)、鰹木は5本(男神)

 

覆屋の中の本殿、よく見えません…

ここ和田之神社のパンフレットによりますと祭神は大山祇、磐長姫、茅野(かやの)姫

千木、鰹木は大山祇を表現していたのでしょう。

 

拝殿に向かって右側、こちらは境内6社

 

日向神社、イザナギ、イザナミ

波登利神社、天日鷲、羽槌男、棚機姫

菅原神社、菅原道真

柳久保神社(日光二荒山神社)、オオナムチ、事代主、アジスキタカヒコネ

細久保神社(稲荷)、宇気母知

熊野神社、イザナミ、速玉之男、事解之男

 

こちらは拝殿に向かって左側、境内三社

 

愛宕神社、火産霊

八雲神社、スサノオ

雨祈神社、鳴雷、天水分、国水分

 

すぐそばには土俵と相撲練習場

 

ではここ和田之神社のパンフレットを見てみます。

祭神が大山祇(父神)、磐長姫(子神)、芽野姫(母神)、ここを重視するか無視するかで話が変わってきます。

上記のような祭神の情報はあてにならないケースが多いので普段は無視するのですが、磐長姫についてはまだ確定には至っていないというニュアンスの話を久留米地名研究会・古川清久氏からうかがっています。

この点については話が複雑なので古川氏のブログをぜひお読みいただきたいです。百嶋神社考古学に詳しくない方にはちょっと理解しづらいとは思いますが、祭神を確定してゆく作業の難しさ・面白さを少しでも伝えられればと思っています。

 

まず、大山祇(父神)、磐長姫(子神)、芽野姫(母神)というカッコ内の親子関係を信じるならどうなるか。

百島神代系譜上では大山祇と草野姫(かやのひめ=埴安姫、大幡主の妹)の間に生まれた娘が二人います。神大市姫と木花咲夜姫です。この神大市姫=磐長姫だと感じます。

ですので上記カッコ内の親子関係が真実だった、という結論です。

そこから導かれる推論として、和田之神社は創立不明で1598年に日向和田村・日影和田村に分かれた際に三島明神と名前を変えた、とあります。

三嶋大社は静岡県三島に鎮座する神社で、祭神は大山祇と事代主です。(百島神代系譜の上では大山祇と事代主に血縁はありません)

少なくとも1598年までにここ和田乃神社に大山祇が(親子セットで)入っていたんだろうと想像します。

 

もう一つの考え方。

上記古川氏のブログを読んでいただければわかりますが、磐長姫=アカル姫と考えた場合です。

この年代の神々は出身民族間で激しく重婚を繰り返し政争しています。そんな中で生まれた姫君達は育ち・家が違っても実は姉妹と呼べるのではないか、というのが古川氏の推論です。

ですので、このぐちゃぐちゃになった血縁関係の中で、系譜上は関係ないと見える女子を娘扱い、姉妹扱いすることはあったかもしれない、というのが古川氏の思考です。

 

私はこの古川氏の考え方はありうると思っています。が、その一方で、ちょっと複雑すぎてなんともいえなくなる、とも感じています。

ですので、どちらを取る?という選択をするのではなく、一旦とりあえず系譜上明快に説明できる①を採用しようかな、と今のところは感じています。

(ま、そういう風に解釈させたいという意図ある者によって書かれた祭神かもしれませんが…)

 

で、話は戻りますがここ和田乃神社で遅くとも1598年以降三島神社となった、それ以前はどうだったのかという点です。

その観点で拝殿左右にある摂社の祭神を見ていきます。

 

まず右側の摂社。

日向神社、イザナギ、イザナミ

波登利神社、天日鷲、羽槌男、棚機姫

菅原神社、菅原道真

柳久保神社(日光二荒山神社)、オオナムチ、事代主、アジスキタカヒコネ

細久保神社(稲荷)、宇気母知

熊野神社、イザナミ、速玉之男、事解之男

 

次に左側の摂社

愛宕神社、火産霊

八雲神社、スサノオ

雨祈神社、鳴雷、天水分、国水分

 

さて、この中でまず目に留まるのは波登利神社、天日鷲、羽槌男(不明)、棚機姫でしょう。

波登利は服部なのか機織りなのか、判然としませんがいずれにしましても泰氏のような気はします。阿蘇神社でも見ましたが、武蔵野台地では古代から養蚕が行われていましたのでそういった痕跡かな、という気はします。

で、天日鷲は豊玉彦と杉山大神(=阿蘇津姫)の間の息子です。阿蘇津姫は、タクハタチヂ姫(父は高木大神)と草部吉見(=天児屋根=鹿島大神=海幸=ヒコヤイミミ)の間の娘です。

タクハタチヂ姫は狭山丘陵西端の狭山神社でも祀られていましたし、草部吉見は虎柏神社でも見ました。

 

次に柳久保神社(日光二荒山神社)、オオナムチ、事代主、アジスキタカヒコネです。

Wikipediaによれば日光二荒山神社(栃木県日光市山内2307)の祭神は大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命。ですがこの祭神があてられたのは12世紀頃だということでした。

ここ和田之神社の祭神セットと比べ事代主と田心姫が違っていますが、この柳久保神社が入ったのは12世紀以降なのかな、と想像しました。

 

こうやって見ると、ここ和田之神社の祭神は今でこそ大山祇となっていますが、原初は阿蘇系だったんじゃないのかなと感じました。

青梅周辺は阿蘇系が多く入り込んだ土地だったのですね。