来たる2023/11/26に生涯学習センター(福岡県筑紫野市二日市南1-9-3)にて

久留米地名研究会・古川清久氏が「キッコーマン醤油は有明海から上総に進出した」と題して講演会(聴講料1000円)を開催します。

それに先立って講演資料を拝見しました。

非常に興味深い内容でしたので、宣伝もかねて当ブログでチラ見せ的にご紹介します。青字

 

 

キッコーマン醤油とは千葉県野田市にある醤油づくりの老舗メーカーです。

野田から利根川を少し下ると香取神宮があります。

香取神宮の山号は亀甲

神宝は三盛亀甲紋↓松鶴鏡

キッコーマン株式会社ロゴマーク↓はこれ↑から取ったそうです。

(亀甲紋とキッコーマン…)

 

香取神宮の主祭神は、経津主神(伊波比主命)。

亀甲紋=大幡主、経津主=猿田彦、という点から大幡主、猿田彦がここを開発したと考えられます。

17世紀、徳川家康の関東入りにより江戸の人口が増加しました。北関東の大豆・小麦、江戸湾の行徳からは塩が運ばれ、利根川下流・野田で醤油造りが発展しました。

野田醤油の主体は髙梨兵左衛門と茂木佐平治による経営で、明治以降にキッコーマン株式会社となりました。
 

高梨家は、信濃を発祥として、平安時代まで遡る旧家です。代々当主は「髙梨兵左衛門」を襲名しています。

茂木家は、群馬に分布することからここが拠点のようです(下図)。

つまり、両家とも日本海側から糸魚川をさかのぼり信州→碓氷峠→群馬→野田と移動した氏族ではないかと想像されます。

糸魚川河口にある奴奈川神社を調べると、祭神は奴奈川比賣命、大日孁命、八千矛命(大国主)。奴奈川比賣命とは、百嶋神社考古学では大国主の妃・市杵島姫。

(これまで当ブログで解説してきた日本海沿岸の神社はことごとく大幡主、大国主の支配地でした)
(正直言えば、信州から碓氷峠へは山越えしなければいけないのでちょっと難しいかな、とは思いますが)

 

 

九州沿岸から日本海岸にかけて大幡主、大国主が開発・支配していた以上、糸魚川河口から信州・甲府へと抜けるルートも彼らの支配領域と考えることが出来ます。※1

 

大幡主、大国主の大元の拠点は九州なので、九州と関東の共通点を列挙します。

1)「千葉の上総(かずさ)」と「島原半島南端の加津佐(かづさ)町」
2)「キッコーマン醤油の発祥地・野田」と「島原半島加津佐町の野田の浜」
3)「キッコーマン醤油の茂木家」と「長崎市の東海岸の茂木ビワで有名な茂木町」
4)「長崎県島原市布津町」と「千葉県富津市」

5)熊本県氷川町には2社、上天草市にも3社の香取神社が存在する
6)熊本県の有明海、不知火海沿岸には多数の猿田彦神社が在り、製塩が行われていた
7)猿田彦神社には「猿田彦」と「博多の櫛田神社の大幡主(=カミムスビ神=塩土老翁)」が祀られている

 

古川清久氏講演会のダイジェストは以上となります。

九州から信州を経由して千葉まで人々が移動したことを論証する意欲的な内容になっています。

ご関心ある方はぜひ聴講してみてください。

 

そしてもう一本講演会の情報です!

こちらは直前になってしまいますが、「群集墓から見る磐井の乱」と題しまして、来たる2023/10/29に生涯学習センター(福岡県筑紫野市二日市南1-9-3)にて伊藤まさ子氏による講演会(聴講料1000円)が開催されます。

ワシも行きてぇ~~!

 

 

※1ちなみに糸魚川から信州、諏訪を南下し甲府に入ると、神代の中でも古い時代の痕跡を残した天津司神社があります。その痕跡とは、天津司神社で行われる天津司舞には大日孁貴をはじめとする列島草創期の神々が登場する点です。

諏訪大社下社秋宮の回に書きましたが糸魚川~信州~甲府~富士市は日本海側と太平洋側を最短で結ぶ、古代の最重要縦走路です。諏訪神社はタケミナカタが九州からやってきて拠点を築いたと考えられますが、タケミナカタよりも世代の古い大日孁貴らがここへ到達していたということは、日本海側と太平洋側を結ぶルートの確保(侵略)に動いていた以外に考えられません!