さぁ、今回もコアですよ。

 

■佐敷(さじき)諏訪神社・・・熊本県葦北郡芦北町花岡5

 

前回の鹿島神社より南へ30km

 

桟敷川が作る細長い谷間

 

その川俣になったところにあります。ご覧のとおり、かつては広い川幅の合流地点だったと思われます。

 

 

横断幕じゃなく神額を撮りたかったのね。

 

中の鳥居。神額には諏訪神社とあります。

これは久留米地名研究会・古川清久氏の研究成果ですが、諏訪神社=建南方は八坂刃売と諏訪へと移ったということになっていますが、じつは南九州にも諏訪神社が多いことから建南方の一党の多くが南九州へと移ったと推測できます。

ここ桟敷諏訪神社もそういった拠点の一つなのでしょう。

 

神額のデザインが変わってます。隼人的というか…

 

これ、境内です。すごく広い! 土俵の屋根も結構大きいです。

で、土俵の向こうに行ってみますと…

 

石でできた雛壇になっています。

 

ずら~~っと雛壇です。

かなりの観客を収容できる、これは升席ですね。

 

雛壇中央の階段を上ると拝殿です。

 

神紋は違い鎌。

詳細は不明ですが、諏訪や鹿児島に多いそうです。

 

祭神は建御名方、下照姫(妹神)、八坂刀売(妃神)とあります。

 

ここに大国主。これは後程関連してきます。

 

拝殿

 

拝殿軒のこれは一体…ドラゴンでもなさそう、オコゼ? 鰐?

 

本殿周辺にまで桟敷席が作られています。

こういった桟敷席は身分の高い人用でしょうが、それにしても相当な人数の観客を収容できます。

 

??千木は内削ぎ(女神)って、ここの主祭神は建御名方ですよ?

 

さてさて、この佐敷諏訪神社を演繹していきましょうか。

まず、祭神の建御名方と八坂刀売は諏訪へ行ってしまってますので、この二人を信奉する人々が二人の名前を組み込んだだけであって、建御名方と八坂刀売がここにいたわけでもなかろうと考えました。

 

次が問題です。

下照姫が「妹神」と書かれていますが違います。

下照姫は、大国主とイチキシマ姫の間に生まれた女神です。建御名方、八坂刀売とは無関係です。

 

以上を併せ考えると、ここ佐敷諏訪神社の真の祭神は下照姫となります。しかし、この地域の支配権を保有し差配するのは下照姫自身なわけはなく、大国主ということになるのでしょうね。

しかも大国主の娘・下照姫の時代になってようやく、大国主はここ鹿児島方面の支配基盤を確たるものにできた、ということを表しているように思います。

 

さて、桟敷という言葉から連想しやすいエピソードと言えば日本神話の野見宿祢と当麻蹴速とのデスマッチがあります。(これは相撲と言うより、単なる公開処刑のような気がします)

これについて、お馴染みの久留米地名研究会・古川清久氏のレポートが非常に興味深いです。簡単に紹介しますと…以下赤字

 

大相撲の横綱昇進を巡って熊本市の吉田司家に挨拶に行くという慣行がかつてあった。Wikiによると『志賀清林 を祖とする志賀氏 の断絶後、受け継いだ初代・吉田家次(吉田豊後守)から始まり、相撲の宗家として代々「追風」の号 を名乗る。

この追風というのも航海に関する言葉なので大国主との関連を感じます。

吉田家は近江の家で、近江は安曇川、安曇町など海人族と関連深い地名があります。

野見宿祢は天穂日命十四世の孫、土師の祖、菅原道真 の遠祖でもある。

ここでも天穂日(=草壁吉見=ヒコヤイ)! 野見宿祢があの種馬・ヒコヤイの子孫だったとは!

この芦北地方は隼人塚として知られる地下式横穴墓の北限に近いところで、もしかしたら、野見宿禰が闘った当麻蹶速とは地下式横穴墓を残した熊襲系の人だったのかもしれません。