今回はかの有名な草部吉見神社です。

いっときますけど、今回はおもろいですよ~。

 

■草部吉見神社・・・熊本県阿蘇郡高森町草部2175

 

 

阿蘇外輪山(クレーター)の外、東南8km

 

 

 

 

草部吉見神社は下り宮として有名です。

下り宮とは、入口鳥居を入って上写真のように下って境内へ入る構造です。普通は逆で登るものです。

 

 

 

大蛇退治の絵がかかっています。

 

 

由緒書きによると(赤字)

一の宮  日子八井命 神武天皇第一皇子 草部吉見 國龍命

二の宮  比咩御子命 日子八井命の妃

三の宮  天彦命 日子八井命の第一皇子 三郎神社の祭神

四の宮  天比咩命 天彦命の妃 三郎神社の祭神

五の宮  阿蘇都彦命 日子八井命の甥 阿蘇大神建磐龍命

六の宮  阿蘇都比咩命 日子八井命の女(娘) 阿蘇大神の妃

七の宮  新彦命 日子八井命の第二皇子

八の宮  彌比咩命 新彦命の妃

九の宮  速瓶玉命 日子八井命の外孫 阿蘇大神の嫡子

十の宮  若彦命 新彦命の甥 天彦命の御子

十一の宮 新比咩命 新彦命の女(娘)

十二の宮 彦御子命 日子八井命の外曽孫 速瓶玉命の男(息子)

 

日子八井命は神武東征の時に日向高千穂からここ草部へ入り、大蛇を退治した(地元有力者を破った)。甥の建磐龍が下向してくると、日子八井命は娘を娶せた。日子八井命と建磐龍は協力して九州鎮護、東征を行った。

 

神紋の鷹の羽、鷹の彫刻

 

塩井

 

塩分が沁み出していた場所でしょうか。

ここは阿蘇山外周部で、地下のミネラルが浸潤しやすい場所なのかもしれません。

海岸から遠く離れた場所に住む人間にとってミネラル摂取は命にかかわることなので、このような場所を領有することは至上命題だったでしょう。

上記の大蛇退治という噺も、こういった資源の利権を巡る戦いかもしれません。

 

さてさて、ここ草部吉見神社の祭神を百嶋系譜にあてはめて考えてみましょう。

はい、いつもの百嶋先生直筆図だと見づらいので関係者のみ抜き出した図を用意しました。(ハフ~)

これ用意しててとても面白い系図だと気づきましたよ。

ひとことで言うなら「ヒコヤイ、お前やりすぎ!

 

(上図は、一の宮=➀といった具合に祭神とナンバーが対応しています)

➀から順にみていきましょう。

かつて広く中国大陸に広がっていた倭人の祖先が北方漢人の圧迫を受け雲南山中にまで追い込まれた挙句、南シナ海へ脱出しさらに黒潮に乗って列島九州にまでたどり着いたのが多氏。ヒコヤイはそんな多氏の息子です。

ヒコヤイも出世の王道・マスオ作戦で成り上がろうとしました。つまり、許氏の棟梁・高木大神に取り入り、高木大神の娘・タクハタチヂ姫を嫁にもらい受けます。

だから、ここヒコヤイの本拠地・草部吉見神社では➀がヒコヤイ、実家の力を借りたタクハタチヂ姫が②。

ここまでは分かります。この後がおかしい。

普通であれば、二人の間に生まれた男子・天忍日が③となりそうなものですが実際は全然違う天足彦が③です。天足彦は、ヒコヤイとオキツヨソタラシ姫との子です。しかも天忍日より天足彦の方が10歳も年下です。

タクハタチヂ姫と天忍日、激怒したやろな~

しかもですよ、④がなんと天足彦の嫁・息長水依姫って…よくみたらこの人、ヒコヤイと辛国息長姫との娘じゃないですか!

 

天足彦←ヒコヤイ+オキツヨソタラシ姫(スサノオとクシナダ姫の娘)

息長水依姫←ヒコヤイ+辛国息長姫(スサノオと神太市姫の娘)

 

ヒコヤイ、本妻をほっぽらかしてやりたい放題…じゃなくて高木大神からスサノオにでも乗り換えようとしてたのかな??

 

で面白いのが、じゃあ⑤は天足彦と息長水依姫の息子かな、と思ったら違くてなんと建磐龍が⑤なんですねぇ。

ヒコヤイと建磐龍は、神沼河パパの腹違いの兄弟です。古代は母親系統が中心ですので、ヒコヤイと建磐龍は他人同然です。その建磐龍が強引に「天足彦&息長水依姫」路線から主導権を奪い返した、って感じですかね。

 

ちょっと面白い!

 

建磐龍はおそらく、主導権をとるためにタクハタチヂ姫と手打ちしたんでしょうねぇ。

タクハタチヂ姫は父・高木大神の力を借りてヒコヤイの出世に協力したのに、外に女を作って、あまつさえその女達との間にできた子を後継者にしてしまうのですから超々激怒してたでしょうねぇ。

 

割とおもろい!

 

建磐龍は、タクハタチヂ姫とヒコヤイの娘・阿蘇津姫と婚姻し、阿蘇津姫が⑥となります。さらにはタクハタチヂ姫とヒコヤイの息子・天忍日が⑦となります。さらにさらには、建磐龍と阿蘇津姫の間に生まれた娘・雨宮姫が⑧となり、雨宮姫と天忍日がくっついてしまうという…

なんじゃこりゃーっ!

ハプスブルグか、○ぶ○か!(←一応自粛しときます)

これで建磐龍とタクハタチヂ姫激怒のタッグ路線は盤石だー!

 

とおもったらですよ、ヒコヤイはただでは転ばなかった、と。

今度はヒコヤイ、イチキシマ姫との間に生まれた息子・大山クイを⑨に祭り上げることに成功。ヒコヤイが主導権を奪還します。

おそらくはイチキシマ姫の両親・スサノオとアカル姫(父は海洋王・大幡主)の力を借りたのでしょう。

 

⑩、⑪、⑫は推定の域を出ません。

もしこの推定が正しいとするならば、⑩ヤマトタケル(スサノオ、クシナダ姫勢力)→⑪奈留田姫(建磐龍、タクハタチヂ姫勢力)→⑫椎根津彦(鴨玉依姫、大幡主勢力)と主導権が移っていった、となりますね。この頃にはヒコヤイは力を失っていたのでしょう。精力尽きたのかも…

種馬、ここに斃れる!

(ヒコヤイさん、あんたエンターテイナーだよ…)

 

そんな全盛期は精力絶倫だったヒコヤイさんも、やたらめったら種まきしていたわけではなさそうです。

というのはヒコヤイさんが外で種付けしたオキツヨソタラシ姫、辛国息長姫、イチキシマ姫、この3名全員男系でいえばスサノオ系、女系でいえば大幡主系であることが系図からわかります。

ヒコヤイさんは、初代海洋王・大幡主と何とかしてつながりたくて、仲介をスサノオさんに頼んだんじゃないのか? と邪推したくなります。

一時的にもそれは成功して、正妻・タクハタチヂ姫を黙らせて③天足彦、④息長水依姫とすることができたわけですから、ヒコヤイさん嬉しかったでしょうねぇ。(もちろんその直後に正妻・タクハタチヂ姫の大逆襲を喰らうわけですが…笑)

 

(ここまで書いてきて、なんだかヒコヤイさんに親近感を感じるようになってしまいましたよ)

結局はここ草部吉見神社のあるコロニーも⑫椎根津彦により大幡主系に順当に収まったという感じなのですが、ヒコヤイさん自身は最終的にはどうなったんだろう?

ちょっと気になりますね。

 

さてさて、ここ草部吉見神社の祭りには奇妙な点があります。

祭りになるとどこでも神社から神輿を担いで村内を練り歩き、また神社に戻ってきますね。

草壁吉見神社では、神輿が出ていくとき、帰ってくるとき、鳥居をくぐらず鳥居のわきを通るという取り決めがあります。たまに間違って神輿が鳥居をくぐってしまうと、神輿を押し戻してまで鳥居のわきを通らせるのです。

 

これって、敷居を跨がせないっていうことじゃないかな?

上記の➀~⑨の顛末を考えるに、これって外で女作って子も作って後継者指名してくるようなヒコヤイに対してタクハタチヂ姫が(もしかしたら建磐龍も)激怒して「お前なんかウチの敷居またぐんじゃねぇっ!!」ってことを表現してるんじゃないのかな? と想像しました。

 

いや~、歴史ってとってもおもしろいですねぇ! ( ̄∇ ̄;)ハッハッハ