前回の鷲宮神社の2駅上流にある玉敷神社に行ってきました。

 

■玉敷神社・・・埼玉県加須市騎西552−1

 

 

 

こうやってGoogleMapでみると水田と町(微高地)がはっきり分かって、本来の地形が分かりやすいのですが、

 

実際に来てみると微高地は全く分からず、ただ田んぼが広がってる沖積平野に過ぎません。

これも実際に来てみないとわかりませんでした。

 

玉敷神社に隣接して藤棚がありました。

樹齢400年だそうです。結構広いです。

 

玉敷神社敷地の外周の渠。水量豊かに流れています。

 

 

平安時代初期にはすでに記述されている。

かつては久伊豆(ひさいず)神社と称し、近辺の久伊豆神社群の本社。

 

鳥居をくぐり進むと、脇に大黒と恵比寿。

 

参道途中に二十三夜講の石碑

二十三夜講については碓氷神社をご覧ください。

 

参道の脇に

 

天神宮、祭神は菅原道真。

 

玉敷神社の掲示板がありました。祭神は大巳貴(大国主)。

創建は703年、東山道鎮撫使・多治比真人三宅麿による。あるいは136年武蔵国造・兄多毛比命による。

 

参道を進んで

境内に入り周辺から反時計回りに見ていきます。

 

こんなところにも恵比寿。

 

 

神馬社、優秀な馬を祀ったものです。

 

これは…左二つは不明。残りは左から七面大明神(不明)、稲荷大明神。

 

 

金刀比羅神社、祭神は大物主=大国主。

 

 

稲荷神社=伊勢外宮様

 

 

祭神は、菊理媛、伊邪那岐、伊弉冉。

 

なぜかフクロウ。

 

 

 

宮目神社、大宮能売(おおみやのめ)、玉敷神社以前からここにあったということです。

 

見ざる…ではない猿ですね。ひょっとして猿田彦かな??

 

 

秋葉社、金山彦。

 

 

松尾社、大山クイ。

 

濠を巡らせてあるということは…

 

 

厳島社、弁天(厳島姫)。

 

弁天像。

 

 

八坂社(天王様)、スサノオ。

 

茅葺の神楽殿。

 

 

 

(やっと)拝殿です。千木は外削ぎ、鰹木は五本。

 

 

 

拝殿内部。

 

銀杏と三つ巴

 

本殿屋根。

 

本殿を裏から。

千木は外削ぎ、鰹木は五本。

 

本殿(正面から見て)左側面。

 

さて、祭神を百嶋系譜で見ていきましょう。

赤□は主祭神・大巳貴(大国主)。創建したという兄多毛比(=武夷鳥)は黄色□

境内においてあった人形、大黒=大国主、恵比寿=事代主を緑□で。

境内摂社・末社は青□で。

 

さてパッと見、スサノオグループと大国主グループに大別できそうです。

この玉敷神社を創設したという兄多毛比から見てみれば、二つのグループを尊重するのはよく分かりますね。

兄多毛比からみて、スサノオグループは母方(オキツヨソタラシ姫)です。

また同様に、大国主グループは実父・豊玉彦配下です。

 

つまりどちらを立てるという話ではなく、豊玉彦から関東開拓を命じられた兄多毛比は父方の大国主と母方の両方の力を借りなければできなかった、と分かるのです。

問題は母方です。

主力になりうる男子人物がいません。本来ならナガスネヒコがバックアップするべき位置ですが、ナガスネヒコはすでに亡くなっています。ナガスネヒコの乱のため、ナガスネヒコだけでなくオキツヨソタラシ姫までがカットされています。

つまり、この百嶋系譜に描かれなかったレベルのナガスネヒコ側の人物たちが兄多毛比を助けた、ということじゃないのかな?

 

この解釈に当てはまらない人物が2人います。大山クイと事代主です。

 

大山クイは、全国の海岸部を支配した※1海幸彦こと天忍穂耳(=鹿島大神)の息子です。関東に進出するには海賊王・海幸彦のバックアップは絶対に必要だったでしょう。彼の協力なしには関東上陸は不可能です。

また事代主も初代海洋王・大幡主組の若頭で、大国主を継ぐ者です。当然一枚噛んでくるわけです。

新天地・関東平野の海洋利権を巡って熾烈なゲームがあったのでしょう。

大山クイvs事代主、です。

 

ちょっと面白いなと思ったのが大宮能女です。

大宮能女は玉敷神社ができる前からここに祀られていたとのことで、兄多毛比がやってくる前と考えていいのかな。しかも猿の彫刻が施されてあったのでこれを猿田彦と考えると、兄多毛比以前に大宮能女と猿田彦(=ニギハヤヒ=香取大神)が協力してこの地を開発していたのかも…と想像できます。

久留米地名研究会・古川清久氏にうかがっても、この大宮能女が誰なのかは判然としません。

大宮能女と猿田彦という取り合わせを考えると、大宮能女=伊勢下宮様(スサノオと神大市姫の娘)かもしれませんねぇ※2…単なる想像ですが。

 

 

※1なぜ海幸彦(=天忍穂耳=鹿島大神)が日本の海岸部を支配したといえるかというと、これは単純に鹿島神社の分布を見ると明白です。GoogleMapで調べればすぐわかりますが、鹿島神社は全国の海岸部に分布しています。

 

※2百嶋神社考古学では伊勢下宮様と猿田彦は夫婦です。