イヤハヤ…

 
日本昔話で有名な「因幡の白兎」のご当地に行って参りましたよ。
 
■白兎神社・・・鳥取県鳥取市白兎603
 
 
前回、前々回にレポした山王宮日吉神社天穂日命神社の近く、海岸沿いにあります。
 
 
国道9号線沿いロータリーに面して鳥居が立ってます。

道の駅の真ん中に鳥居があります白兎(はくと)神社です。
 
さっそく登っていきます。
 
 
ボリューミーな注連縄です。
家紋は亀甲(キッコー)紋の中に剣唐花。これは出雲大社で使われているものですが、ルーツは出雲大社ではありません。
故・百嶋先生は「最初に使用していたのは大幡主であり、現在は三つ盛亀甲(ダビデの星=六芒星の内側を意味する)に三五桐だが、大国主が市杵島姫を妃としたことにより亀甲紋の使用を許された…」とのことです。(久留米地名研究会・古川清久氏ひぼろぎ逍遥より)
つまりここ白兎の地は大幡主傘下・大国主の支配するエリアだということです。
 
白兎も「はくと」と読めますが、この「はく」は元々は「泊」(大幡主の港につけられる表記)だったんじゃないかと思えます。
 
祭神は白兎神…
住所も白兎となっているので、もともと「はくと」という土地・神様なのかなぁと想像しましたが…
保食(うけもち)は伊勢外宮様(=辛国息長大姫)。
八上姫は大国主の現地妻(表現が古い)のようなものかな?
 
本殿。千木は外削ぎ、2本鰹木。
鳥取に入ってからこのパターン多いなぁ。
 
これはどういった経緯があったのでしょうか…
白兎海岸です。伝承ではウサギが小島から岬へ渡ろうとしたということだそうです。
 
近づいてみると
小さなお社が
 
 
ということだそうです、としか言いようがないですな。
 
 
さてWikipediaによると白兎と天照大神の伝承が、ここから15kmほどの山間・八頭町に残されているとのことでした。
赤いピンの八頭町にはかつて白兎神社が3つあったそうです。現在のものは小さな祠のような規模です。
八頭(はっとう)と白兎(はくと)、同じものだと思います。
(八つの頭と書くとヤマタノオロチを連想しますが、ヤマタノオロチ伝説は九州の山鹿ですので関係ないでしょう。ただ、後世にこじつけられることはあったかもしれませんが…)
 
ひょっとして八上姫の八も派生しているかも…
 
「はく」と付く以上、大幡主の勢力下にあったと考えるのが自然でしょう。そんな中での現地勢力と大国主の結びつきを作ろうとする婚姻だったのかもしれません。
この周辺を調べれば大幡主・大国主とは別の現地勢力が分かるかもしれません。白兎はそういった人々を表したものなのではないでしょうか。